希望の日記

2010年01月14日(木) 晴れ

それにしてもあのおっさんやキチガイの振る舞いには腹の虫が納まらない。私は聖人君子ではないし、それを目指すべきでもない。野人のように生きていこう。でも弱者のために奉仕する。私は乱暴に振舞っているだろうか。そんなことはない。社会はもっと暴力に満ちている。耐え難い。いじめはやめろ。何考えているのか。私は我慢しない。いま自分に与えられている苦痛に対しては我慢しない。過去のことはいずれ許す以外ないのだろう。しかし今現に行われていることは許すことは到底できない。許す必要なんかないのだ。
芸術に救いを求めよう。宗教であっても良い。救いを求めること、祈りは必須のことだ。あんな俗物とは人間が違うのだ。
自分を許すということは反撃に自由を与えるということだ。平和を求めるということはそういうことだ。何で一方的に我慢しないといけないのだ。そうしないと仕事もできない。勝つか負けるか弱肉強食だ。
私は一方的に卑劣な強姦魔のターゲットにされ、ひどく傷つけられ、大事なものをたくさん失ったのだ。もうこんなことはたくさんだ。会社というのは恐ろしいところだ。何で会社なんかに入ったのか。今でも危険が迫っている。というより、現に私を傷つけてやまない。それをとめる術が私にはない。芸術に逃げ込もうとしている。新聞なんか読まない。時間の無駄だ。自分を損なう。うるさい。国がどうなろうと知ったこっちゃない。知らないやつが知らないところで勝手に決めているだけじゃないか。何の興味もない。芸術の世界にこもろう。それが互いのためだ。
芸術は私にとって、現実逃避だ。堂々と現実逃避しよう。戦いなんか全く興味がない。強欲なやつら。死んでしまえ。
一週間が終わった。良かった。悪いものが自分の中にある。誰の中にもある。私は悪を自衛のため、弱者を救うため以外には決して使わないことを誓う。自分の中の悪を取り除くということは難しいので、そんなことを考えてみた。悪でも用心棒の職を得たりする。悪は全く役に立たないわけではないのだ。悪は過酷な自然に対応するひとつの機制だ。誰の中にも備わっている。悪丸出しのやつもいる。おばさんなんかほとんどそうだ。あの婆には最大限の軽蔑と無視を進呈しよう。絶対に相手にしない。そのことに命をかける。誇張ではない。
自分の身は自分で守る。正義はわが方にある。
死ねと。その一言しかない。こんなひどい人間?にあったことはない。あのキチガイ教師以来か。殺したい。その一言だ。法律さえなければとっくに殺している。絶対に相手にしてはいけない。人間のくず以下だ。あんなひどい人間?見たことがない。絶対許さない。


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