性愛を必要以上に恐れてはいけない。仕事も同じことだ。m氏は仕事を恐れたりなんかしない。難にでも暗いついていく。私も見習いたい。50にして結婚もした。性愛についても貪欲だ。性愛を必要以上に恐れてはいけない。ネガティブな結論にいつもなってはいけない。時間を有効利用して、勉強の時間にしようか。こんな日記ばかり書くんじゃなくて人の話を聴く時間にしようか。本を読む。新聞を読む。性愛を受け入れるということが大事だ。自分がどんなに弱い存在になっても、性愛は自分のエンパワメントしてくれる。性愛は論じるものじゃなくて、自らかかわるべきものだ。また二次元でなく三次元であるべきものだ。閉ざされたものではなく、開かれたものだ。人と人とを離反させるものではなく、融和するものだ。朝の時間は好きなことをするだけじゃなくて、人の話を聴く時間にしよう。お説教を聴く時間にしよう。そしてその日一日お説教にしたがって、行動する一日にしよう。村上龍と稲盛和夫の本を読んでいるが、いい感じだ。早くも役に立った。ずいぶんよくなったものだ。 今日はよく働いた。村上、稲盛の仕事本のおかげだ。意欲を高める本のほうがいい。小手先のテクニックなんか今の私には必要なくて、意欲を高めるストレートなメッセージがいいと思う。ykさんが近くによってくるような気がするのだが、気のせいだろうか。仮にそうであっても拒否しないことにした。セクハラとかにあわないだろうか。そういうことはないだろう。性的なことはあるのだ。ないと否定してもあるものはある。前回のトラブルでも性愛の問題が一番大きかったのだ。性愛をまったく拒絶するのは得策ではない。婆に性愛があってはいけないだろうか。ないといってもあるものはある。子供にだってある。赤ちゃんにだってある。フロイトが指摘した点は慶弔に値する。例のエディプスコンプレックスを除けば信ずるに足る。 性愛というものを見誤ったばかりにこんなことになった。性愛が悪ければ、結婚している人はみんな悪いことになる。あまりにも幼稚な考えだ。性に先鋭的な部分とまったく晩生な部分が同居している。類まれなケースだ。性愛は重要だ。結婚制度は性愛を安全な形で社会の中に組み込んでいくための装置だ。それはよく機能してきたが、今は結婚しない人も多い。結婚という制度にがんじがらめに縛られてしまうことに恐怖を覚える人々だ。私も性的に一人の女に縛られることに恐怖を覚える。でも性愛に許容的になってきた今となっては、女性を受け入れてもいいと思っている。二次元だけの存在であってはならない。生身の人間が一番いい。女を愛することがどうして悪いのだ。いいことだ。 男と女がいればそこに性愛がある。否定したとしてもあるものはある。あるものをないと言い張ってはいけない。うまく行くものもいかなくなる。あるものをあると認めれば、おのずと畏怖の念が生じて、互いに尊重しあうようになる。あるものをないと言い張るからおかしくなるのだ。あるものはあるのだ。目に見えないからないと思い込むのは動物のようなものだ。動物でさえ知っているのに、賢い人間がどうして見誤ってしまうだろうか。服を着ているからといって、裸がないと思うのはおかしいだろう。性愛というものはある。あるはずがないと思うからおかしなことになる。体臭を性的なシグナルと受け取る人は少なからずいる。それもあるものはあると思わないといけない。あるものはあるのだ。悲しくもうれしくもない、当たり前のことだ。互いに尊重しあうということが大事なのだ。 フロイトが親子間にも性愛があると喝破したように、あるものはあるのだ。最近ykさんが怖い。大丈夫だろうか。トラップにはまっていないだろうか。あるものをないと言い張ると大きな過ちを犯すことになる。私のように。字が読めなくなり、仕事もできなくなる。お互い尊重しあって、楽しくすごそう。性愛というものはある。あるといったらあるので気をつけたほうがいい。今日エレベーターで、あの海外の子と一緒になった。かわいかった。何とかならないだろうか。あのaさんだって、性欲は人一倍強いと私はにらんでいる。尊重しあわないといけない。あるものはあるのに、ないと言い張って失敗を繰り返す。私はでも成長した。チラッと見る一目の中に、恋の芽生えがある。あるものをないと言い張ってはいけない。あるものはあるとした上で懸命に大人の対応をしないといけない。偏見や差別だって、なくならないだろう。私自身の中にもあるのに人を責められるわけもない。あるものを有ると認めたうえで冷静な対処が求められる。 性愛は男女の緩衝材になりうるし、潤滑油になりうる。社会的にも有用なものだ。セックスだけが性愛ではない。男と女の間に必ずあるものを無視することは許されない。性愛は有用なものだ。それ自体甘美なだけでなく、男女間を円滑にいかせるために有用なものだ。私の男色癖も否定しても仕方がない。あるものはある。同性愛ではなくすべての存在に性的な関心が向かう多形倒錯というやつかもしれない。それでもあるがままの自分を認めたほうが害が少ない。男色家は世の中に多い。それを認めたほうがいい。認めたほうが害が少ない。精神医療ユーザーであることを認めたほうがらくだ。たけい倒錯であることを認めよう。性愛は異性間だけでなく同性間にもある。親子間にも兄弟間にもある。あまりにおぞましいので誰も言わないだけだ。でもインセストタブーは人間だけだ。おぞましさの基準は何なのかわからないが、それに異議は申し立てない。おぞましさを共有する。神が母の眼をつぶしたのではないかと思う。あの家が燃えたのも私たちの罪を神は許さなかったのだと思う。私たちは罰せられている。性愛はあることはあるが、認めなければならない。私は十分罰せられている。あの母も罰せられている。余生をゆっくり送りたいのだ。あんな婆みたいな変なやつにかかわってはいけない。性愛は必ずある。それは認めざるを得ない。恐ろしいものだ。甘美でもある。あのおぞましい男。神に罰せられ、障害を精神病院で送ったあの男。あいつさえいなければ、こんなことにはならなかったのだ。あのhさえいなければこんなことにはならなかったのだ。私はこんなことにはならなかったのだ。一生面倒を見てもらおう。こんな精神状態、こんな記憶力になってしまったのに、一人では生きていけない。一生面倒を見てもらおう。こんなことになって生きていけない。あのhさえいなければ。kとhさえいなければ。あの母親には人生を台無しにされた。何だ。あの母親は。信じられない。まともじゃない。最近弱ってきたのと、私がこんな風になってきたので、少しおとなしくなった。あいつこそおかしい。人の人生を台無しにして。幸せになる権利はあるのだ。hも私の人生を台無しにした一人だ。あいつは何で人を眼の敵にするのだ。いつも怒っているみたいな顔して、何を考えているのかわからない。どうしてこんなことになったのかわからない。私と父と母があんなことになってしまったのは病気のせいであって、私のせいではない。私は仕事をがんばる。あの三人と一緒に仕事をしたくなかっただけだ。今は開放されて自由の身になった。今は楽しい。 私も幸せになる権利がある。何で私だけ罰せられているみたいに不幸なのだ。幸せになる権利はあるのだ。性愛というのは楽しいが、怖い側面もある。注意しないといけない。 兄から電話があった。マンションの事を聞いてきた。もう断ったといった。実際断ったし。まだ早い。定着したとは言いがたい。今でも毎日早く帰りたい。電話もない。こんな状態でマンションを買うなんてそれは危惧するだろう。
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