希望の日記

2009年04月14日(火)

しんどい。今日は脳はしっかりしているが、体がしんどい。毎日変なことばかり言われて、体が悲鳴を上げているのかもしれない。おかしいって何なんだ。もうその発言はやめろ。はっきり利害が対立する。私は精一杯やっている。周囲は物足りない。
仕事ができない。今日は少し仕事した。回ってきた仕事はミスなくこなしている。でも絶対量が少ない。
女に対してどう接したらいいか。良くわからないが、女性として接したらどうかと思う。性的なことを全く無視することは不可能だし、得策でもない。女性は女性として扱えばいいんじゃないか。女として扱われて悪い気はしないだろう。どんな女でも自分を女と思う。小さい女の子でも同じだ。おばあさんでもそうだ。女として見られて悪い気はしないだろうというのは勘違いだろうか。男のエゴだろうか。まあ常識的な範囲内であればいいんじゃないか。全く拒否すると冷たいという印象を持たれかねない。人間関係、男女関係、微妙なものだ。性を否定するのは実態とかけ離れているし、全く不可能だ。得策でもない。性的に行動することはいいことだ。何もパンツを脱いで暴れろとか、痴漢しろといっているわけではない。常識的に潤滑油として、まあ、笑顔でいるとかそういうことでもいいじゃないか。笑顔がどうして性的だろう。性的なメッセージを受け取るかどうかは人それぞれだ。腋臭を性的なシグナルと受け取る人もいる。だから、拒絶しなくても大丈夫だ。拒絶はいい結果をもたらさない。受け入れることの方が大きな利益をもたらす。性的なことがどうして下品だろう。人は性的なことにひきつけられ、動かされている。それを拒絶したら、世の中回っていかない。女性とうまくいかにのはおそらく性的なことを拒絶するからだろう。そうしなければうまくいくようになる。ブスとかおばさんであっても、性的なものを持っている。性的なものを拒絶したら身もふたもなくなる。世は幻想である。幻想で人は動いている。夢とは幻想に他ならない。人は夢に動かされている。夢と生きることは重なる。同義語といっていいくらい、近いものだ。労働は夢があってこそ、生かされる。夢に向かって生きて行こう。夢は大事なものだ。夢によって生きているのだ。人間は。ものによって生きているのではない。金だ、飯だと下品なことを言うな。下品とは限らないが、それだけではないということだ。幸せは金ではない。心の持ちようだ。 しんどい。明日休みたいのだが。昼まで行って帰ろうか。頑張って生きて行こう。生きるとは何だろうか。そんなこと考えても仕方がない。どこかに引きこもりたい。でも引きこもるのはいつでもできるから、今は何とか生きて行こう。性的なことは必要だということだ。キリストにしても、性的なことを拒絶しているわけではない。処女から生まれたことになっているが、本当だろうか。そんなはずはない。でも性的なことを穢れと思う気持ちはわからないでもない。でもそんなに忌み嫌うべきものだろうか。それによって動かされているのに、何で隠そうとするだろうか。恥ずべきもの、汚いものと考えるからだろうか。そういう考えが、女性蔑視につながる。性を明るく開放的なものと考える社会は解放された自由な社会だ。アメリカのような国は進んでいると思う。でも保守的なところもあるか。ピューリタンのような考えもある。中絶反対といっているグループもあるから、なんでも自由というわけではない。何の話だ。性は汚いもの、恥ずべきものではないということだ。解放された社会を目指そうといっているのだ。うそをついてはいけない。心にみだらな考えを抱いてはいけないという。みだらでなければいいだろう。清らかな性というものがあるのだろうか。純真な性。一人にだけ捧げるのは清らかな性だろうか。国家はそう取り決めている。一夫一婦制を法律で定めている。それだけが唯一の性であると。私はせいはもっと自由であるべきだと思っているがどうか。私は婚姻には向かない。自由と矛盾するからだ。自由。性はもっと自由であるべきだ。性的放縦とは違う。他人の権利を侵害したりしない。自由であるべきである。性的少数者であっても権利を認められるべきだ。尊重されるべきだ。何の話か分からなくなってきたが、私が独身である、本当の理由はそういうことである。性的に縛られたくないのだ。一人の女だけに性的に縛られるというのは私には向かない。5分おきに違う女を愛してもいいのだ。性的夢想の自由といっても良い。性的夢想すら禁じるというのでは、生きてる意味がない。一人であればそういうことは自由だ。五分おきに違う女に恋しても良い。結婚していたらそんなことは許されない。全ての女に情けをかけるくらいのことでもいいのだ。全ての女を愛してもいいのだ。美女も醜女も幼女も老婆も、老若男女愛していいのだ。自由だ。性的自由だ。女を性的に拒むということはその存在を否定するということだ。性はその人の重要な一部だ。性を否定するということはその存在を否定するということだから良くない。たとえブスであっても。否定してはならない。nhkのアナウンサーであっても性的に不活発というわけでもないし、価値がないというわけでもない。逆に価値が高いと思われるのはなぜか。全ての女は性的だからだ。女を差別しているわけではない。女に欲情することはその女を評価し、肯定することではないか。ある理由で性的にその人が価値がないと考えるのは良くないことだ。人妻というと逆に欲情したりする。いかに全ての存在が性的か。禁止がいかに妄想を膨らませるか。禁止する理由なんかないのだ。逃げる理由もない。制的なものを禁止し、逃げようとすると、娘道成寺の坊さんのように不幸なことになる。愛を受け入れるべきだ。簡単なことだ。性を受け入れることはわれわれインテリに取って難しいことだ。だが、今はそういう時代ではない。今そういうことを行っているときではない。より生き易くするには性的なものを受け入れないといけない。当社がより生きやすい会社になったのは硬いイメージを崩して、柔らかいものに訴えかけたからだ。硬いものは人気がない。柔らかいものでやっていきたい。知的だった私が脳にダメージを負ってから、知的なことに興味を持たなくなってきた。代わりに性的なイメージに興味を持つようになった。今日あの女が黒いストッキングをはいて私の前で長く働いていた。何のアピールだろうかと思った。気のせいだろうか。仮にそうだとしても受け入れることにした。ありがたく受け入れることに決めた。だまされているとか、誘惑されているとか思わない。自分の意志で動いているのだ。性的なイメージ。いいじゃないか。結局私もヤンキーなんだろうか。ヤンキーとえらく気が合う。性的なイメージはいいじゃないか。私は低いものとして否定したりしない。食べることも同じだ。より低いものとして否定したりはしない。あの女面白いと思う。私に興味を持ってくれるだけで嬉しい。あんな若い女がどうして私なんかに興味を持つんだろうか。好みのタイプ何だろうか。私もあの女が好みのタイプだ。昔は違ったが、今はああいう性的にアクティブなタイプに惹かれる。清楚な女とかあまり興味がなくなった。でも要するに何でもいいのだ。性的におとなしかろうが、アクティブだろうが、どちらでも良い。私に興味を持ってくれさえすれば排除しないことに決めた。排除されるとすぐ分かる。ykさんも自分が年だからとか、そういう理由で排除されていると感じるから起こっているのではないだろうか。そんなことはない。性的にアクティブになることはいいことだ。私は必死で抑圧してきたが、ここに来てどうでもよくなった。そんな堅苦しいことなんかどうでもいいじゃないか。性的に活発で何が悪いのだ。それは年なんか関係ないし、病気なんか障害にならないし、脳に障害を負っていても問題にならない。私の腋臭も性的なシグナルと受け取る人もいるから、肯定的に考えたほうが良い。嫌な人は嫌だろうが、そうでもない人もいる。気にしないことだ。ネガティブな自己イメージを膨らませるのは病気の元だ。あのババアでも性的に受け入れられないというメッセージをもっとも強烈に嫌うのだ。ババアは確かに性的に受け入れにくい。でもそうは思っていない。本人は自分はれっきとした女で性的魅力があると思っている。つりあいの問題だ。だからあの馬場を性的に受け入れることは重要な第一歩になると思っている。あんなばばあでさえ受け入れることができるということは、全ての女を受け入れることができるということだ。掃除のおばちゃんでも女として受け入れることができるということだ。それで何か損することになるだろうか。氷川清みたいに良い男として人気を博することができるじゃないか。それもこれもあんな若い男でありながら、おばはんを拒絶しないからだ。ヨン様でも同じだ。若い良い男であって、おばさんを拒絶しないのはヨン様と氷川清くらいだ。脳のダメージを受けたからこういうことを考えられるようになったのだ。良い変化といえないことはない。性とは何だろうか。そんなに狭い限られたものではない。性は広く深いものだ。人を受け入れるものだ。子供でさえも性によって動かされている。高齢者であっても同じだ。子供や年寄りが性的に扱われることを汚らわしいと思う人もいるが、受動的でなく能動的に性的に活動することは禁止されることではない。谷崎の鍵は読んだことはないが、老人の性がテーマらしい。老人にも性はある。子供にもある。ただそれは子供だから大事に守られねばならないというのは当然だが。汚らわしいものではないということだ。全ての人間は性的に活発だといってよい。私も病気になって面倒だった頃、性的なことから逃げていたが、逃げてばかりもいられない。黒いストッキングの女とも付き合っていかないといけない。hさんも人妻という性のアウトサイダーだが、今や人妻は性のメインイベンターであって、排除してはならない。人妻であっても本人はやる気満々だ。それを汚らわしいと思ったり、抑圧したり、排除してはいけない。怖がってもいけない。性に対するネガティブなイメージがそういう行動に走らせるのだ。性的少数者などというものは存在しないとさえ思っている。sm愛好者であっても同性愛者であっても日の当たるところに出始めた。smは無理かもしれないが、でも市民権を得ている。にしおかすみこを見よ。ハードゲイを見よ。性的少数者はもはやいないかのようだ。希望が湧いてきただろう。素晴らしいことだ。性自体がすっかり解放されている。われわれの若い頃とえらい違いだ。自由に若者は性を楽しんでいる。抑圧することはひねこびた性を生む。あるいは変態行為に走る。変態であっても異常ではなく日陰者ではない。すっかり日の当たるところに出てきた。精神病者であっても働くことができる。これは実験だ。私は世界最先端の実験を行っているのだ。さすが最先端の企業だ。私には見える。目に見えないものが私には見える。性の問題からえらいところに飛んでしまった。自由とはそういうことだ。自由。自由から価値あるものが生まれてくる。世に誇れる人生でありたい。頑張って生きて行こう。こんな病気と思ったが、克服できる。働くことさえ不可能ではない。これから必死で働こう。仕事がないという問題はあるが、それは病気のせいではない。変といわれるが、それは病気のせいではない。今日はしんどかった。明日は元気になろう。無理なら半日休んだほうがいいかもしれない。


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