今日は会社行きたくない。脳のダメージさえなければと思う。記憶障害、注意力の低下さえなければ人と伍して働いていけるのに。これのお蔭で仕事が回ってこない。いつまであの席にしがみついていられるのか分からなくなってきた。活字が読めないのが辛い。感謝の気持ちを持って生きていけば、何とかなると思う。専門家の治療を受けてみたい。セールスマンにもおかしいといわれている。皆がおかしいという。アルコールの害が及んでいるのだ。専門医の診察が受けられるまでまだ一ヶ月以上かかる。でもほっとかれた頃よりも確実によくなっている。後から今のことをどう思い出すだろう。とことん変わった生涯だな。自分自身を楽しむということができない。自分とは誰だろう。なんか良くわからなくなってきた。字が読めなくなってしまい、楽しみがなくなってしまった。これが戻ることがあるのだろうか。近くであれば焦点が合うようになって来た。これで遠くの焦点が合えば、何とかなる。少しずつ直っていっているような気がする。アルコールによる害だから、治るかどうか分からない。脳外科の手術では治らない。薬でも治らない。リハビリくらいしか直る道はない。注意力が低下している。おかしな人間になってしまった。どうしたらいいのか。道がない。このまま生きていくしかない。自分の脳を使って生きていくのだ。思い出そうと思えば思い出すことができる。忘れまいとすればメモを必死で取る。そうすれば何とか仕事を続けていくことができると思う。思い出そうと思えば思い出せるし、忘れまいと必死になれば忘れないものだ。 今日の女性とのトラブルでも、共に生きることを考えるべきだ。その女性の悲しみを一緒に悲しんであげるくらいの気持ちが大事だ。何でそのことに気づかず、その女性は勝手に大丈夫だと思い込んでしまったのだろう。恥ずかしい限りだ。私は人情家として生きて行こうと思っている。これだけ苦しい思いをしてきたのだから、その資格はあるはずだ。共に生きること。共に生きる感覚を身に付けないと生きていけない。何で自分のことばかり考えるのだろう。自分は散々世話になっておきながら、人のことは何で気にならないのだろう。心が痛まないのだろう。そう考えると全てが納得行く。帰りに挨拶すると小さな声で挨拶してくれた。良かったと思った。かわいそうだ。女性の忍耐強さは無限ではない。優しくしてあげないといけない。今日はykさんも考え事をしていたようだ。私も考え事をしていた。仕事ももちろんやったが、良く考え事をした。これはいい考え事だ。大人の一人前の人間になるための考え事でいいことだ。もっと会社を盛り上げることを考えてもいいのではないかと思う。私はいい気分になることが多いので、そういう方向で会社を盛り上げるとか仲間をつなぐ紐帯になろうとするとか、そういう努力は必要だ。今日も課長は私が元気がないのを見て、仕事が面白くないのかと思って、なんか盛り上げようとしてくれた。えらいものだ。忙しいのに。今日はというより、いつも人の考えることが手に取るように分かるようになって来た。いいことだ。女性はもっと優しく扱わないといけない。気づいたら、近づきすぎているので、気を使わないといけない。でも人の悲しみを共に悲しむことができるということは嬉しいことだ。共に悲しみ、共に喜ぶ。コンパニオンという言葉もある。私もだいぶ成長したものだ。心とは難しいが面白いものだ。さすがにマザーテレサの言葉を味わっているだけのことはある。心は面白い。楽しいものだ。今まで生きたこと、苦しんだことは無駄になっていない。生きることは楽しいものだ。苦しくもあり、楽しくもある。今日はmさんと少し会話した。定額給付金の話をした。面白かった。たくさんしゃべらなくていいのだ。気持ちよく仕事ができるようになればいい。首尾一貫しているようにしよう。心が大事だというのなら、心を大事にしよう。裏切ったりするまい。共に生き、共に食べる仲間は尊い。大事にしなければいけない。思い出そうと思えば思い出すことができる。たとえ、脳に障害を負っていても、簡単に復元することができる。この問題は私の難問を解く鍵になるかもしれない。サドマゾヒズムという恐ろしい謎を解いて、自由になる道はある。これがその鍵だ。共に生きるということ、共に喜び、共に悲しむということが大事だ。これがその鍵だ。サドマゾヒズムという古い革の衣から自分を解き放つチャンスだ。きっと自由になれる。あの女が私を解き放って自由にしてくれるんじゃないかと思う。自由とはそういうことだ。毎日いろんなことが起こるものだ。でも一個一個無駄なことは何もない。どれも自分を成長させる大事なものだ。私は昨日より少し自由になった。共に生きること、共に悲しむということ、共に喜ぶということ。これが大事だ。 送迎のバスを止めたりと笑顔で話す若き社員にわれ言葉少なし。 この事件は私の古い心に巣食っているサドマゾヒズムという自動思考の巨大な塊を溶かしてくれた。きっと私は明日から自由になれる。私も自由になろう。生身の人間を相手に生きて行こう。そう決めたのだから、それでいいのだ。忘れっぽいことなんか理由にならない。私は自由になり始めた。自由に思考し始めた。硬い自動思考の塊を溶かし始めた。サドマゾヒズムと教条的左翼主義。自由になりたい。自由に生きたい。かつ正しく生きたい。私は今のところで満足している。いろいろあるが、結局良かったんじゃないかと思う。共に生きるをキーワードに生きて行きたい。共に悲しみ、共に喜ぶことを今日は学んだ。簡単なことで、目の前にあることだ。書物の中に閉じこもっていたらこんなことは分からなかっただろう。脳のダメージも粋なことをやるものだ。共に生きること。smはもう古い。私の中ではもう死んでいる。死体を引きずって生きていても仕方がない。新しいほうに向かって生きて行こう。私がどんなにこまっているかわからないだろう。だがそれでも生きていかないといけない。思い出そうと思えば思い出せるし、忘れまいとすれば忘れないものだ。新しいものが好きだ。新しい世界で生きて行きたい。自分は壊れてしまった。新しい自分で生きていかないといけない。新しい自分を創っていかないといけない。記憶のほうは専門家に任せるとして、自分はこのまま生きていかないといけない。誰も助けてくれない。悪くはないのではないかと思う。強くないといけないだろうか。弱くても正しく生きていけば生きてはいける。頑張って生きて行こう。共に生きる共生ということを考えて生きて行こう。宗教は楽しい。正しいことしかいっていないし、宗教を信じて生きて行こう。
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