希望の日記

2008年12月10日(水) 晴れ

昨日は行ったほうがいいのか行かないほうがいいのかわからない忘年会だった。行ったことがプラスにもなったし、マイナスにもなった。でももう忘れよう。
しんどい。今日は朝からしんどい。デイケア行きたくない。でも楽しいかもしれない。一生懸命やってくれているスタッフのためにも行こうか。その前に少し休もう。
家に帰ってきた。昼の長い休みがきつい。たまにはいいだろう。スタッフはいつも元気だ。少し事務作業をしただけでしんどくなってくる。先週からとてもしんどい。
目がかすむ。先週から調子が悪い。このまま生きていけるだろうか。なんか不安定な気持ちだ。アーテンを飲まないせいだろうか。なんとなくやっていけるだろう。慣れれば何とかなる。ウノ面白かった。でも人数が多いとかえって打ち解けない。緊張してしまう。被害妄想もひどくなる。
女文化も捨てたものではないなと思う。女文化が私を救う。源氏物語も女文化なので頑張って読んでみたら。目がかすむけれども。naomix★と文通のようなことをやっているので、女文化に興味がわいてきた。自分を救うように思う。
真剣に生きて行こう。まじめに心を入れ替えて生きて行こう。仕事もきちんとやろう。ひとつのことにこだわるのが悪い癖だ。それにしても途中であきらめてしまうこともある。中途半端だ。人にこう言われたとかされたとか、いつまでも覚えていても仕方がない。こだわりはやめよう。こだわりをやめると生きていくのが楽になる。私は女文化に親しもうかと思っている。大体無意識のうちにそんなことをやっている。料理とかヨガとか源氏とか凝ったことがある。今現に脳がおかしくなって、人付き合いさえ億劫だ。しかしこれで生きていかないといけない。脳梗塞になったのと同じだ。多田富雄氏のようにあんな状態になっても旺盛な活動をしている。私も頑張ろう。頑張ってみる。しんどいけど頑張ってみる。真剣に生きてみよう。稲盛和夫氏みたいに真剣に考えると、宗教に行き着く。
女文化に親しむ。それが私の目標だ。男文化は慣れない。将棋囲碁、マージャンは苦手だ。唯一得意だった酒が飲めなくなってしまった。
性的なことでなくても性的になる。源氏物語はそういうものではないだろうか。キルトとかパッチワークでいいんじゃないのか。手芸とか絶対無理。女流文学とかに親しんだらいいんじゃないのか。大体例外なく性愛を描いているから。瀬戸内寂聴とかいいんじゃないか。女性文化というのはいいかもしれない。女性的生き方もいいかもしれない。無理に男らしくすることはない。格闘技とかどうでもいいのだ。男らしくならなくて良い。その代わり女性的になる。女は人畜無害だからいいんじゃないかと思う。女性文化。与謝野晶子クラブとか入っていたじゃないか。
私が何で女性文化がいいかというと、この間の神戸事件があったからだ。私に歩み寄って映画のチケットをくれたのを見てこれはおいしいと思った。私の趣味の女性的な部分は全く未開発だが、そこに宝の山が眠っていると思ったのだ。私の直感は正しいと思う。これは誰も傷つけないし、自分の生きがいにさえなると思う。女は性愛、出産、育児を経て死に向かう。長い死にいたる時間にも多くの仕事をするらしい。人類の進化に影響を与えたという説さえある。それは多くは値が安い。手芸で売るものなんて全くチープだ。でも高いじゅうたんや、小説は高く売れる。大体文学なんて女性的なものだ。その女性的な自分に権力というややこしいものに自分を進ませたことは、賢明ではなかった。文学の世界に頑張って進んでおけばよかった。その場合教師くらいしか仕事はなかったかもしれないが、それでもいいじゃないか。英文学でもやればよかった。女々しく生きて行こう。乱暴なのが男らしいのではない。優しいのが男だ。
自分の中にある核のようなものが、女性性だろうと思う。誰にでもあるんじゃないかと思う。自分の与えられた性と一致しない、性同一性障害ではないだろうか。でも自分のせいに不満足であるわけでもない。でもこういう障害が起こったところを見ると、自分でストレスを抱えていたんじゃないかと思う。それでそういう部分に水路付けを与えて、リビドーを逃がしてやれば安定してくるのではないかと思う。抑圧していた、女性的なリビドーが温泉を掘り当てたように噴出して、私を元気付けてくれたらいいのに。酒を飲んで睡眠薬を飲んだことで前頭葉が傷ついた。元に戻ることはないだろう。女の話を聞いていると下らないことを話している。それが女というものだろう。でも紫式部やキュリー夫人のような女性もいる。女性文化を認めることは女性尊重につながる。そういうのは安全保障というか、自分が世間で生きていくのに有効なんではないだろうか。ところで川上未映子はすごかった。あんなにすごくないと男と張り合っていけないのだろう。私はもっとパワーの弱いひ弱な花のような文化でも十分満足だ。堀辰雄とか、立原道造なんか好きだった。芥川なんかもそうかもしれない。
マザーテレサとか、緒方氏とかいろいろいる。女社長とかもいっぱいいるし。
自分を大切にしよう。嫌なものは嫌と言おう。そのために受けるデメリットは甘受しよう。それなら文句ないだろう。
女性自体とかより、女性文化に興味がある。女性雑誌でも読むか。jjとか実際に買っていたこともある。モデル出身の女性に興味があるということは女性文化への興味ということだ。そっちのほうが楽しければ、そっちに行けば良い。上野千鶴子とか読んだらいいんじゃないか。小倉千加子とか。
えびちゃん人気とかいうのも結局そういうことかもしれない。女が女に欲情している。ハセキョーにも同じものを感じる。衣装とか化粧とかファッションは結局女性文化ということだ。女の間だけで流通する、商品や情報。そういうものに興味を持ってもいいんじゃないかといっているのだ。リビドーの逃げ場になる。女に興味はなくて女の文化には興味がある。それはもう立ち枯れてしまって、栄養を求めている。水を欲している。それに水をやるとたぶんオネエになってしまうのではないかと思う。それでもいいじゃないかと思っている。囲碁将棋、ゴルフはやらない。車も持たない。女も持たない。子も持たず、父にもならない。もちろん障害があるけれども。それは仕方がないけれども。それは私がリビドーを抑圧してきたからかもしれない。女の文化に興味を持とう。kさんは調理師の免許も持っていて、子供三人を一人で育てて孫もいるそうだ。私より大分立派だ。
女性文化というと細雪なんかそうじゃないか。あの命を落とした男の話はかわいそうだった。男女の愛の究極の形を描いているのか。男が描く女性文化だろう。女は女をあんな風には見ないのではないかと思う。でも外国人が書いた日本語の小説のようなものではないかと思う。大体合っているが、所々おかしいということか。
女性文化。いいな。naomix★と文通することは私の女性性に水路を作る。ところでnaomix★は書き込みがない。もうやめたんだろうか。二日に一度でも一週間に一度でもいいから、書き込んでほしい。
女性文化。大したもんじゃないと思う。でも源氏物語なんかは大したことある。1000年以上読み継がれるというのもすごいし、内容の高度性もすごい。女性文化は悪くない。フェミニズムに興味を持てばいいんじゃないのか。男が女を見るようには私は女をもはや見ていないんじゃないか。独自の視線、視座が必要かもしれない。安定的で安全な視座が。
女性文化に親しむことが自分を何か守ってくれるような気がする。免疫のように、子宮のように。私にはそういうものが必要だ。自分を守るものが。


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