調子が悪い。耳鳴りで一睡もできなかった。どうして酒を飲むだろう。酒がトラブルの原因になっている。脳のダメージもそうだ。しんどい。寝れないのは一番しんどい。病気にも良くない。私は病気かどうかわからないが。私は人付き合いが下手だ。昨日寝ながら考えた。父親とのこともいじめのことも人付き合いに集約できる。人をいじめようとしてしまうのは小学生の頃の経験があるのか。いい加減に大人になってほしい。女とか男とかも関係なく人間同士のことだ。いじめとかそういうことは止めるのだ。私は元々そんな人間ではなかった。それが変な奴と付き合ううちにそうなってしまったのだ。どうしたらいいのかわからない。私は守られている。神によって、仏によって、超越者によって。それは誰でもそうだ。統合失調症だから人付き合いがうまく行かないのか。人付き合いがうまく行かないから統合失調症になったのか。原因と結果はわからない。お父さんごめんとしか言いようがない。本当に後悔している。人間関係のまずさが、父親との問題に集約されている。人間関係というのは単純なことだ。いじめたりせず、卑屈になったりえらそうにもせず、善良であることだ。相手が女であっても同じことだ。どうして人間関係がうまく行かない。これはうまく行くようにしないといけない。小さい頃に戻って、善良になろう。耳がおかしい。耳だけじゃなく脳全体がおかしい。 統合失調症がうまく治るといいね。人付き合いができるといいね。職場を変わることを真剣に考えている。もっと条件の悪い職場になることも十分考えられる。それでもいいのか。私は守られている。脳の具合が良くない。タイピングができない。相当悪い。昨日酒を飲んだのはなぜだろう。脳が明らかにおかしいのに。自虐だ。酒を飲んで睡眠薬を飲んだときも自虐だった。酒を飲むことは自虐だ。弱さだ。統合失調症だ。私は善悪の区別が付きにくいところがある。統合失調症の原因か結果かわからないが。はっきり善悪の区別をつけよう。善悪の区別をつけよう。酒は飲んではだめなのだ。善悪の区別が付かなくなる。普段から善悪の区別が付きにくくなる。敬う心、許す心、詫びる心、こういうのが大事だ。私に欠けているものだ。目がかすむ。酒を飲むからだ。酒は良くない。だらだらと長いこと飲むのも良くない。どうしてこうなるのか。家族にも見捨てられる。あと数年頑張れば、農家の世話になれるかもしれない。農家で働くのだ。イチゴ栽培に励むのだ。むしゃくしゃする。うまく行かない。統合失調症は良くない。何を書いているのかわからない。 調子は最悪だ。酒ばかり飲んでいたらそうなるだろう。hのことを考えるとおかしくなる。あいつのせいで全てむちゃくちゃだ。私が悪者になってしまった。戻るにしても出るにしてもあいつのせいだ。荷物送り返してきやがって。脳がダメージ受けたのは大きい。元に戻らないだろうか。何でこんなことになってしまったのか。わからない。 統合失調症であったことをもっと自分に大事なこととして考えよう。ふたをして過去に封じ込めるのではなく、今の問題として考えれば、自分に優しくできるはずだ。hのことは考えるの止めよう。あそこに戻らなくてもいいのだ、無理に。考えないのが一番だ。戻る気があるのならまたもっていけばいいだけの話だ。統合失調症になるくらい苦しんだのか、統合失調症だから苦しんだのかわからない。人付き合いが下手だから統合失調症になったのか、統合失調症だから人付き合いが下手なのか。それもわからない。確かなことは私がかつて発病したということ。それを大事にしよう。そして今も生き辛さを抱えて苦しんでいるということ。統合失調症であったことを無視しないでじっくり受け止めれば実り多いことが出てくるのではないか。うつとか言って矮小化すると何も出てこない。スッキリしよう。敬う心、感謝する心。思いやりの心。許す心、詫びる心。きれいな心になろう。それは今なら可能だ。統合失調症だという自覚の下に初めて自分に優しくでき、心をきれいにできるのだ。hのことは考えない。戻らねばいけないのではないのだから。自分が統合失調症を患ったことがあると言うことをもっと重大に、大事に受け止めよう。そうすれば無理はしないはずだ。無茶はしないはずだ。 統合失調症といって自分を見ると確かにおかしい。今までの人生がおかしかったのは統合失調症のせいだ。そういわれればそうかもしれない。悪くなってもいいことはない。当たり前だ。心をすっきりきれいにしよう。思いやり、感謝、許す心、詫びる心、敬う心で心を満たそう。自分が統合失調症と思えばかわいそうにもなるだろう。自分をいじめなくなるだろう。かわいそうな私。燃えつき症候群などではなく統合失調症だった。今の年になってもその影響はなくならない。サドの小説を読んだことが引き金にはなったろう。あいつは統合失調症だから。でも結果かもしれない。原因かもしれない。わからない。なるべくしてなったのだ。原因の詮索は不毛だ。でも俯瞰で見るとやはり、そうなるべくそちらの方向に流れて行っている。それでも珍しい病気ではない。100人に一人だ。がんと同じくらいだ。だからますます詮索は無意味だ。それの衝撃を今のものと捉えたら、原ザリや脳のダメージ何かどうでもいい。重大な現在の問題だ。心をきれいにしよう。思いやりの心、感謝の心、敬う心、詫びる心、許す心。これでいつも心を満たそう。そうすれば統合失調症の影響から逃れられる。私は両親の子だ。両親を足し合わせて、ある環境の影響下におけばそうなることもあるということだ。このことをもっと重大に捉えるべきだ。松下幸之助の本でも読め。そうすれば心がきれいになる。今からでも遅くはない。 統合失調症ということを重大に捉えれば自ずと正しい道がわかる。統合失調症であれば、悪いことをするかもしれない。正常な判断ができないかもしれない。人付き合いがうまく行かないかもしれない。仕事もうまく行かないかもしれない。人と違うのも仕方がないかもしれない。仕事がうまくいかなくても仕方がない。人付き合いがうまく行かなくても仕方がない。そう考えると自分に過大なものを求めたりしない。できなくて良いんだよという気になる。だめ人間とか思わない。ずっと病気だったと思えば仕事も人間関係もうまく行かないのは無理もない。調子が良いように見えたのも、抗うつ剤とegのお蔭で躁状態にあったともいえる。今の方が正常に近いかもしれない。できなくても良いんだよ。大体の統合失調症の人はそうだ。働けない。この間の木曜クラブでも一番何もしなかったじゃないか。統合失調症ということを大きな長い目で認めよう。そうすれば焦ることはないじゃないか。 統合失調症ということをもっと重く見よう。今の状態が統合失調症かどうかというより、かつてそうだったということは大きい。人格がそういう影響を受けているのだ。統合失調症ということをそんなに重視すべきだろうか。すべきであると考える。今そうであるかどうかは疑わしいと思っているが、かつてそうだったことは明らかだ。そのお蔭でむちゃくちゃな人生になったといえる。普通の人間とは違う人間になった。あるいはそうであったのだ。過去のことは今更どうしようもない。今の自分は、過去の病気が反映したものだ。そこが大事なところだ。だから私が悪いのではなく病気が悪いので、自分を責めることはない。今働けなくなったことは病気の影響が大きい。統合失調症が発病したのだ。発病したかどうかは問題じゃなく、過去の人生が統合失調症の影響を強く受けているということだ。こうして訳のわからない人生になってしまった原因は統合失調症であり、結果もそうである。それを重視して行こう。働くことができないのは病気のせいだ。 統合失調症が一回でも起きれば人生だめなのか。そんなことはない。でも波乱の大きな人生になる。それは経験済みだ。統合失調症だといったら統合失調症にされてしまった。
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