こんな一日でした。
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2005年10月22日(土) 学生時代

先日、大学時代の友人から夫に電話が来た。
同じ大学を出た私たちにとって、共通の友人である。
「卒業後さぁ〜、みんなに会ってる?」みたいな話が続いた。

美大というのは、つぶしが利かない。
教師の免許はみんな結構とっていたけれど、卒業の時、試験に受かって、無事、教師になった同級生はたったひとり。しかも、訴えられこそしなかったようだが、刑事事件になるようなことをしていた人物だけだった。まだ、私たちの大学では学芸員の資格は取れなかったから、教師になれなかった、もしくはなりたくない人は、なんの免許もない、後ろ盾のない仕事を探し始めなければならなかった。

卒業して13年…。ゲーム業界に進んだ人、作家活動に邁進した人、デザイナーになった人、テレビの仕事をしている人、さまざまである。テレビを見ていて、同級生の姿を発見することもある。
一方、身を持ち崩した人の噂も聞く。かなりの数だ。闇に消えていったような人もいる。生きてはいるのだろうけど。

すでに、亡くなってしまった友人もいる。私が結婚した年に、その人は無言で発見された。懐かしい友達が「結婚したんだって」と電話をくれて、私は嬉しく、弾んで電話に答えた。「実は…」と友人は、お葬式の日取りの連絡を始め、私には二の句が継げなかった。
その友人は大学院時代、私がずいぶん悩んでいた頃の友達で、彼女も悩み深い人だったから、なんとなく、そばにいたことも多かった。とはいえ、思春期のように悩み事相談をし合うようなこともなく、ただ日常会話をしていただけだったけど。

ストレス性の難聴のため、全く音が聞こえなくなることもあって、彼女は学校をよく休んだ。譲れない、自分の価値観があって、それに私が不用意に触れると、鞭で叩くように声を荒げ、次の瞬間には、また、おとなしくて知的な笑顔に戻る人だった。そんな自分の譲れなさと、不条理な世間とのギャップに、耐えられなかったのだろうと思う。
…でも、わからない。本当の所は誰にもわからない。彼女は姿を消す前に私に電話をくれていた。「貸していた漫画を返してね」と。それだけだった。

彼女が発見されるまで、かなりの月日がかかった。そのくらい、彼女は本気で消えたかったのだ。絶対、見つからないように、努めたのだろう。
私には出来ないと、つくづく思った。私は、往生際の悪い人間で、分かって欲しいといつまでも望みをかけてしまう甘えが強い。だから、きっと消える時には手がかりを残してしまうと思う。
「つまり、あんたは絶望できない人間なんだ」と、私は彼女に言われた気がした。
「あんたには、消えることは出来ないんだからね」
「だから、半端に悩んでないで、世間に希望を賭けてりゃいいじゃん」と。

なくした友人、頑張っている友人、しっかり暮らしている友人、会うことも出来なかったりするけど、きっと、どこかで自分を支えてくれている気がする。


Oikawa Satoco |MAIL

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