しろにじ創作倉庫



「妖怪もってけ」奈美子と悦郎の場合 

2005年10月03日(月)

 とある賃貸住宅の一室。男は旅行の支度を整えながら言った。
「オレの田舎……出るんだよ」
 新婚半年の妻は訝しげに聞き返す。
「出るって、何が?」
「妖怪…」
「妖怪!?悦郎さん、熱でもあるんじゃない?」
 夫、悦郎の言葉に妻である奈美子は不安になった。

 奈美子と悦郎は結婚して半年。堅苦しいことの嫌いな二人は入籍だけで済ませ、親へは電話連絡を一度したきり、挨拶にも行ってなかった。不義理をしてると思いながらも、二人は仕事が忙しいとの口実で挨拶を延ばし延ばしにしていたのだった。
 さすがにそれではまずいと思い、まとまった休みも取れたので初めて夫の実家へ行くことになったその前夜、悦郎は奈美子に妖怪のことを話した。

 最近ブームの妖怪だが、実際出るとなれば穏やかではない。
(だけど、妖怪なんて本当にいるのかしら?)
奈美子はそう思った。一般人としては至極まともな感覚だ。
(水木大先生はいるっておっしゃるけど…)
 悦郎の実家に出る妖怪とはいかなるものかと、奈美子も明日の荷物をまとめながら考えていた。
(河童かしら?それとも垢なめ?座敷童?小豆洗いとか畳たたきとか、害のないものならいいけど、山姥とか磯姫だったら怖いわね)
 妖怪には意外に詳しい奈美子だった。

 翌朝、夫婦は悦郎の実家へと向かった。そして4泊5日の滞在を終えた今、奈美子は拍子抜けしていた。
(なんだ、妖怪なんていないじゃない)
 あれは悦郎が自分を驚かすための冗談だったに違いない。
 悦郎の父と母は親切な働き者で、細かいことにはこだわらないおおらかな性格をしていたし、悦郎には他に兄弟姉妹はいない。近所に大きなショッピングセンターもあり、買い物や娯楽にもさほど不便はない。空気も野菜も美味しいし、いい事尽くめの休暇だった。

 会社への土産など重い荷物は、既に宅配便で近所の商店から自宅へ送ってある。会社へ出かけた父親へは先に別れの挨拶は済ませ、すっかり帰り支度も整え、空港までのタクシーを待つ間、奈美子は悦郎に話しかけた。
「ここ、いいとこじゃないの。ね、悦郎さん」
 奈美子の笑顔とは裏腹になぜか浮かない顔の悦郎だった。
 そろそろタクシーも到着しようという頃、小ぶりのバッグを持った奈美子と小旅行用のボストンを持った悦郎は、母親に帰りの挨拶をする。
「それじゃあ、お義母さん、お世話になりました」
「何もできんと悪かったねぇ。また遊びにきんしゃい」
「はい、ぜひ」
「あ、ちょっと待っておくれよ。忘れるとこだった」
 旅費でも渡そうとするのだろうと思った奈美子は
「お義母さん、もうホント気を遣わないでくださいね」と言ったが、悦郎ははっと身を固くした。

「何もないがのう、これ持っていきんさい」
 悦郎の母親が両手に抱えてきたのは、春雨、昆布、どんこ椎茸などの乾物、缶詰の野菜スープ、焼き肉のタレ。それらを奈美子に手渡すと、
「そうそう、おいしいお酒があったんよ」と、また台所へ戻る。
 母親が持ってきた酒を見て、悦郎は仰天した。
「って、いっ、一升瓶!?」
「なんね?これぐらい大の男が持てんとどうするね?父ちゃんが若い頃は米俵を担いで上京したもんさ」
 悦郎が何か言おうとしたが、もはや母親は聞く耳を持たない。
「それと今流行りのお取り寄せっちゅうもんをやってみたとよ。あれ、なかなかよかけん。この間取り寄せたんは、沖縄の乾燥もずくに、ゴーヤーたっぷりのジュースにミミガーに……」
 あれよあれよという間に紙袋が三つ、満杯になった。
「お、お袋、気持ちは嬉しいけど、これは宅配便で送……」
「まあ、そう遠慮せんと。ちょっと荷物になるかもしれんが、奈美子さんと二人で持てばよかろう」
「遠慮じゃなくて……」
「あと帰りの飛行機の中で食べられるようにと思ってなあ、さっき握っておいたんよ。はい、タラコと刻み昆布のお結び。ゆで卵もいっしょにな」
 どさどさどさっ。
 奈美子は圧倒され言葉も出ない。更に母親が冷蔵庫から出してきた包みに、悦郎はイヤな予感がした。
「ニンニクの醤油漬け。おまえの好物だろ」
「……………………」

「せっかく宅配便で送ったのに〜」
 重い紙袋を持たされた奈美子は嘆く。
「奈美子さん、あれが“妖怪もってけ”なんだ。とんでもない田舎へ来たと思って、我慢してくれ」
二つの紙袋と一升瓶を抱えた悦郎はそう言うと、力なく笑ってみせた。

 帰りの飛行機の中、持ち込み荷物のせいで二人は窮屈そうに座っていた。
「しかし、マイッタよ。ま、次は奈美子さんの実家だから大丈夫だね」
 だが、奈美子は表情は暗い。
「実は……あたしのとこにも出るのよ」
「え?」
「あれ…、妖怪もってけ。あたしの実家も出るの」
「だって、君んとこは地方の田舎じゃないだろう。まがりなりにも都内で、駅前は立派な商業地だし、ちょっと行けば豪邸が立ち並ぶ住宅地はあるし…」
「そうだけど、昔の人の感覚なんてそうそう変わりゃしないわ」
 奈美子は軽く前髪を掻きあげた。
「うちの母が…好きなのよ、あれこれと物をあげるのが。独身時代に帰ったときなんか、おでんを鍋ごと持たされたこともあったわ」
「な、鍋ごと!?」
 さすがにそれはキツイなと、悦郎は思った。
「ええ。断るとヒステリーを起こして手が付けられなくなるから、黙って持って帰ったの。電車の中でものすごく恥ずかしかったわ。だから、なるべく帰らないようにしてたんだけど……。悦郎さん、どうにかして回避するようにしましょうね。二人がかりでなら、ノーって言えると思うの」
「な、奈美子さん…」

 悦郎の頭の中では、おでんがてんこ盛りの巨大な鍋を「妖怪もってけ」がぐるんぐるんに振り回していた。

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