銀行間の通信、特に海外からの通信量が膨大になりつつあり、金融機関専用コンピューター通信「SWIFT」が始まろうとしていた。 1981年夏の終わりである。 テレックスに代り、多用化する銀行業務に対応する為に開発された全く新しい通信システムで、近い将来に銀行内の主コンピューターに接続され、自動化に大いに役立つ筈である。 パリ国立銀行東京支店は、この時点では、まだコンピューター化はされてない。 専用線だのモデムだのと、謙治の耳に新しい物が導入せれ始めた。 謙治は、パソコンの重要さを早くから認識し、パソコン雑誌を買い勉強していた。 上層部にパソコンの重要さを説き、購入の要請をしたが跳ねつけられた。 何に使うのだと。 皆がパソコンに慣れ親しむこと、それが大事なのであるが、そんな物に銀行は金を出さない。 パソコンの魔力に取り付かれた謙治は、大枚をはたいて自宅にパソコンを買ってしまった。 ソフトが市販されるようになるのは、そのずっと後のことであったと謙治は理解している。 ロータスもエクセルもワードも無く、日本語入力など考えも及ばなかった。 従って、したい仕事の為には自分でソフトを組まなくてはならない。 謙治はまず、テレックスのテストキーのプログラムを組む事にして、簡易言語としてのBASICで、連日深夜まで、まだPC98が出る前の、NECのPC88で格闘した。 テストキーというのは、一般の人には馴染みが薄いかも知れないので、簡単に説明しよう。 書類で重要な事を指示する時は、登録してあるサイン、又は印鑑の照合により、その指示が権限を有するものによって発せられた正規のものであるか否かを確認する事が出来る。 しかし、テレックスの場合は、アンサーバックによって発進元の確認は出来るが、サインも印鑑も無いので、そのメッセージが正規のものかどうかの判断は出来なくなる。 そこで考えられたのが、テストキーなのである。 日付、銀行名、支店名、通貨、金額をそれぞれ数字化する。 金額は、1の位の3はxxx、2の位の5はxxx、の様に、10の位ぐらいまであり、全部を合計した数字をテストキーという。 取引先は、それぞれのテストキー表を、予め通信相手と交換しておくことは言うまでもない。 PC88には、ハード・ディスクという贅沢な物は無かった。 ディスケットさえも無かった。 オーディオテープが記録媒体なのである。 謙治が作成したテストキー用のプログラムは、いちいち数百枚あるテストキー表から1枚を取り出し、計算機でカチャカチャやるよりは、数倍いや数十倍早いと思われた。 これを上司に見てもらわなくてはならない。 パソコン事業を始めたばかりのドッドウエルBMSに無理を言い、デモ用の機械を運んでもらった。 謙治の執拗な要請に、渋々デモンストレーションを見てくれた総務と人事を担当していたフランス人モレオン氏は、パソコンの導入を検討する気は毛頭無かった。 そこに謙治は、大企業に働く者の事無かれ主義を見た。 本店からの指示もないのに、進んで変化を求めたりする事は、危険な行為に他ならないのだ。 ソードコンピューターからBASICより簡単な言語PIPSが発表された。諦めきれない謙治は、しかし、ショールームへ行っても溜め息をつくだけに留めねばならなかった。
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