1980年のゴールデンウィークに、カルベ頭取夫妻が北京へ行くついでにというより、乗り継ぎの為に東京に寄ることになった。 5月3日の午後に着いて、4日の午後の便で北京へ発つ、たった24時間の滞在である。 しかも、ゴールデンウィークの土曜・日曜に、東京支店としては何が出来るであろう。夜の食事? 日曜日の道路はかなりの混雑が予想されるので、朝から成田に向かわなければならないであろう。 おまけに支店長はパリでの支店長会議の後の数日を故郷で過ごすことになっていて留守であった。 成田山真勝寺とそれに付随する寺々を回れば、3・4時間潰す事が出来るだろう。 参道だって中々面白い。 高級ホテルという訳にはいかないが、成田のホテルだって一泊くらい我慢してくれるだろう。 予定は決まった。 だが準備段階になって困った事が持ち上がった。 いくら探してもフランス語はおろか、成田の寺々に関する英語の説明書が見付からなかったのである。 仕方無しに、日本語の説明文をかき集め英訳したが、謙治の心配は別の所にあった。 前回、カルベ頭取が来日した時の週末、横浜三渓園への小観光をしたが、カルベ頭取はその時、既に立てられていた予定にしかたなしに従った迄で観光には一切の興味を示さず、車の中でも書類に没頭していたのを思い出したからだ。 5月3日、ゴールデンウィーク後半の3連休は快晴であった。 ドライバーさんには休んでもらって、緊張した副支店長シャントレル氏と謙治は、午前の遅くに成田へ向かって都心を車で出た。 もうすぐ昼だというのに首都高速道路の交通麻痺状態は続いていた。 千葉街道も、京葉道路も、歩いた方が早いと思われる混雑である。 謙治たちは、十分な時間的余裕を見ていたが、シャントレル氏は苛々し始めた。 「到着に間に合わなかったら、失業だ」本気で心配している。 おまけに、うっかり閉めてしまった借り物のアタッシュケースのコンビネーション番号が分からなくなり、シャントレル氏の苛々は頂点に達した。 交通渋滞の方は、船橋料金所を過ぎれば、何とかなるという確信のようなものが謙治にはあった。 だから、市川までは一般道を、出来得る限り混雑を避けて進み、市川からはまだ混んでいたが京葉道路に入った。 暫く激しい渋滞が続いたが、船橋料金所を過ぎていくらか動くようになり、習志野を過ぎる辺りから走り出した。 普段の3倍の3時間ほどかかったが、奮闘していたシャントレル氏のアタッシュケースも開き、2人は、やや遅い昼食を採る余裕も出来た。 翌日も快晴であった。 副支店長シャントレル氏と謙治も成田にホテルを取ってあったので交通の心配はなかった。 そして、何よりも謙治を安心させたのは、頭取は書類に没頭してはいなかった。 謙治の準備した、決して上手な英語とは言えないであろう説明書を読みながら、楽しそうに散策し、午後、北京へ向けて機嫌良く発って行った。 鼻歌を歌いながら、シャントレル氏と謙治は帰路に就いた。もう、何時間かかろうが構わなかった。 明日は子供の日だ、一日休めるではないか。3連休の中日の夕方、東京へ向かう道路はがらがらであった。
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