優雅だった外国銀行

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23 三菱重工ビル爆破
2005年06月02日(木)

1974年8月30日、この日の昼も謙治たちはいつものように昼食の為に日比谷東宝ツインタワー9階のレストランにいた。 食事も終わりに近づいた時、ズシンと低いが大きく建物に響くような音を聞いた。 ビルにトラックが突っ込んだような。 皆は顔を見合わせたが何も言わなかった。 間もなく、救急車や消防車が数多く行き交う気配を感じ始めた。 外へ出て皆は、又無言で顔を見合わせた。 大きな恐ろしい事件が勃発した事を誰もが感じていた。 国際ビルの方を覗うまでも無く、丸の内仲通りには煙が立ち込めていて、消防車、救急車と警察車両に埋め尽くされていた。 途中、交通が遮断されていて困難を極めたが事務所に戻って来ると、まだ、当時はダイレクトインになっていなかったボタン電話の外線が全部点滅していた。 どれを取ってもみんな行員の家族からのものであった。

当時、銀行にテレビは置いていなかった。 ラジオを聴くようなことも、仕事中はまず無かった。 電話は、テレビニュースを観ていた人たちから家族の安否を気遣うものであった。 三菱重工ビルで爆破があったというのである。 国際ビルからは100メートル位しか離れていない。 謙治たちは、多くの緊急車両と煙、音も聞いたが、何があったのかは分からなかった。 これが8名の死者と376人の重軽傷者を出した、あの三菱重工ビル爆破事件であった。

この時まで一般のビルに警護が付くことは無かった。 銀行でも大企業でも一般人をチェックするような警備は無かったし、警備会社等というものがなかったような気がする。 いい時代であった。




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