暴かれた真光日本語版
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2004年01月20日(火) 067 publicationsinJapan

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○○真光と八代英太

週刊ポスト2003.11.28 P36-41
「小泉=池田大作」弾圧政権を監視せよ!
P38
 自民党議員の一人が、選挙協力の実態を語った。
「公明党の推薦を受けるためには、まず公明党の各都道府県本部に推薦願いを提出させられる。公明党は、学会側と相談して判断するが、推薦決定にあたって、比例代表は公明党に入れるように訴えることと、後援会名簿の提出が条件になる。名簿は学会の選対に渡り、学会側は独自にわれわれの後援者に『比例は公明党に』と電話作戦を展開した。」
P39
 一方で、公明党は将来の代表候補といわれる太田明宏氏を東京12区から出馬させるために、選挙区が重なる自民党の八代英太氏を比例代表に回すなど、いくつかの選挙区を取引した。
 その東京12区には、全国から腕ききの学会オルグが集められ、八代氏の後援会名簿をもとに徹底したローラー作戦を実施し、接戦の末、太田氏は当選を果たし、学会の底力を見せつけた。

【解説】八代英太議員は、89年8月に崇教真光の初期研修を受講し、9月度月始祭の来賓として祝辞を述べた(真光誌89年10月号参照)。完全なる裏切り行為であるぞ!


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崇教真光と教育基本法

 平成15年8月の大幹部会で、岡田晃弥氏は教育基本法改正を推進するための署名活動を行うよう指示した。崇教の各拠点では、組み手に署名集めの指示が出された。目的の一つに、多数の署名を集めることにより、教団をあなどれない存在であると関係者に認識させる必要が法あるからだそうだ。
 平成12年12月に小山孝雄参院議員の支持署名集めをした時は、後日自民党本部から確認のための電話がかかってくる可能性があるため、署名者は”小山孝雄”の氏名をよく覚えておかねばならなかった。ある組み手は信者でない人に署名してもらい、「小山孝雄の名前をよく覚えておいてください。」といった。その一ヶ月後に小山が逮捕されたため、大恥をかいてしまった。今回はそのようなことがないので、皆は気楽であった。
 教育基本法改正推進の署名は、『新しい教育基本法を求める会』(会長 西澤潤一 岩手県立大学学長)の『新しい教育基本法へ六つの提言』に基づいている(西澤潤一編著『新教育基本法6つの提言』小学館文庫参照)。
http://www.nipponkaigi.org/1.26.htm
http://www.h2.dion.ne.jp/~kyokasho/0_conb07.htm#shukyou
 一方、日教組は猛反対している。
http://www.jtu-net.or.jp/kyoukihou/revo/call/
上杉論文「つくる会の動向」
http://www.h2.dion.ne.jp/~kyokasho/0_conb07.htm#shukyou
教科書問題
http://www.h2.dion.ne.jp/~kyokasho/1106kousin/new-0228.htm
 この(1)『新しい教育基本法を求める会』は、(2)『新しい歴史教科書をつくる会』や(3)『日本会議』と構成員が共通している。ただ、(3)には宗教関係者が多く入っているが、(1)には宗教家はわざと入っていない。「つくる会の動向」HPにあるように、崇教真光・岡田恵珠氏は日本会議の役員である。
 ただこの教育基本法、公明党は批判的な姿勢をとっており、自民が選挙で公明の協力を得たため、すんなり実現できそうにない。

共同通信[11月11日12時26分配信]
「公明のウエート増す」 教育基本法改正で文科相
 河村建夫文部科学相は11日午前の記者会見で、保守新党の自民党合流が教育基本法改正問題に及ぼす影響について「政策調整は(改正に慎重な)公明党とやるのだから、それなりに(公明党の)ウエートは増すだろう。しかし問題点はつめてあるし、積み上がっている。2党になったからといって、これまでと違う意見が出るということはありえない」と述べ、影響はないとの見方を示した。
 同時に「2党の協議がまとまれば、法案を(国会に)提出したい。協議促進に努力したい」と述べ、来年の通常国会提出を目指す考えに変わりがないことを強調した。

産経新聞2003.11.12
 教育基本法改正問題でも、自民、保守新両党は「国を誇りに思う心」や道徳、規律、宗教心などが身につく教育の実現を盛り込みたい考えだが、公明党は、同法改正には一貫して慎重。解散前の通常国会で改正法案提出が見送られたのも、公明党が「愛国心」「宗教教育」などの盛り込みに強硬に反対したためだ。


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崇教真光と「日本を守る会」

「真光」誌(崇教) 400号 (平成8年1月) 41-43頁
お祝辞 「二十一世紀を迎えるにあたって」
日本を守る会初代事務総長 副島廣之

 昭和四十二年七月、戦後三十年も間近い当時の日本が、池田内閣の所得倍増政策によって経済的発展をみたが、精神的には占領政策の桎梏(しっこく)から脱却できず、国民の国家意識や民族としての連帯感を失い、物・カネと物質主義と利己主義に走り、学校教育も日教組の左翼偏向によって、次代を担う子弟の育成が危ぶまれる状態となった。
 かような日本の状況を憂慮する宗教界、社会教育会、学界、言論界などの長老たちが「このままでは日本危うし」という危機感から、東京の日本工業倶楽部で会談をおこなった。鎌倉円覚寺の朝比奈宗源、神社本庁前総長富岡盛彦、明治神宮宮司伊達巽、全国師友協会会長安岡正篤、真光教団開祖岡田光玉、生長の家総裁谷口雅春、作家の山岡荘八の諸先生など、錚々(そうそう)たる人物が十数名、筆者が世話役をつとめて談論風発の一夕を過ごしたが、この集いを二回、三回とつづけるうち、おのずから日本を守る会の結成が申しあわされ、昭和四十九年四月二日、日本を守る会の結成総会が明治記念館で開催され、「わが国の伝統精神に則り、愛国心を高揚し、倫理国家の大成を期す」以下五か条の基本運動方針や役員を決定し、筆者が事務総長を仰せつかって運動を開始した。
 運動の始めは百人委員会の結成と随時開催によって同志的結合を深め、続発する諸問題に対処して時の総理に会見し、叱咤激励するなど果敢な発足であった。この中で真光の岡田光玉師も積極的に協力されたが、残念ながら程なく他界された。しかし幸いに岡田恵珠師が教団を「崇教真光」と改め、光玉師の志をついで日本を守る会の代表委員に就任され、今日に至るまで教団をあげて協力をいただいてることは、誠にありがたく、また今回機関誌『真光』が四百号を迎えられることに対し、心からお慶び申し上げる次第である。
 平成七年は二十一世紀を数年後に控え、また大東亜戦争終戦五十年の年であった。終戦後の六年間、日本は占領軍の支配下に置かれ、致命的な変革を余儀なくされた。神道指令を発し、大日本帝国憲法をアメリカ製の日本国憲法に変え、教育勅語を排除失効させるなど日本古来の信条や政治、教育の根幹を破壊したほか、極東軍事裁判(東京裁判)という勝者が敗者を一方的に裁く無法な裁判によって、多数の要人を戦犯として処刑し A日本悪玉論によってわが国を侵略国と断定し、マスコミや学校教育によって日本人を洗脳した。こうしてマインドコントロールされた日本人は、日本の伝統的良風美俗を失い、物欲的人間と化し去った。二十一世紀を目前に控え、”日本人よ目覚めよ“と叫ばざるを得ない。(以下省略)

注:
1) 明治神宮宮司の外山勝志氏が「真光」誌400号40−41頁に祝辞をのせているが、内容は省略する。
2) 崇教と悪徳国会議員の関係は、”真光関係者集合!!(10)”No.51-70に書かれてある。
http://life.2ch.net/psy/kako/1037/10376/1037673567.html
3) 陽光子の三大徳目『心の下座』に岡田恵珠師が、「日本を守る会」代表委員として昭和64年の「年頭のことば」を掲載している。

崇教真光二十六周年秋季大祭(宇尾好委員長)
「真光」誌(崇教) 279号(昭和60年12月) 41-42頁
お祝辞 十月十三日 「救い主様、教え主様のみ意顕現」
参議院議員 防衛政務次官 村上正邦

 私は今日この荘厳なる秋季大祭二十六周年を記念いたしましての式典に参列させていただきましたことを心より御礼申し上げます。真に有難うございます。
 私がこの真光様とのご縁をいただきましたのは、今日私がお供して参りました、明治神宮の権宮司と申しますよりも、日本を守る会の事務総長であられます副島先生の導きでございました。
 ある会合の席で、「村上さん岐阜の高山にぜひ一度行ってらっしゃいよ。あそこには天地創造の神様をお祀り申し上げる大変な御神殿が建立されたんだよ。そしてまた教え主様がとっても魅力的なすばらしいお方だから、参拝をお願いし、そしてお目通りをお願いしたらよろしいよ」と、そうしたご案内を副島先生にいただきました。
 ぜひ早い機会に参拝をしたいなあ、と思っておりました。その念願がかないまして、六月十日わざわざ、副島先生が明治神宮の総務部長をなさっておられます外山さんに、私の案内役をしていただきまして参ったわけでございます。
 そして、私は忘れることもできません、教え主様の本当に終始にこやかでご慈愛深いご尊顔で、心温まるご接待を賜りましたこと、本当に有り難うございました。心うたれる思いでございました。心洗われる思いでございました。本当に高いところでございますけれども、心から御礼を申し上げます。有り難うございます。
 思いますれば、救い主様が「今の日本はダメになってしまう。物質万能、日本人の心はいったいどこにいったのか。いまこそ神仏を信ずる宗教者が団結しなければならない」と申されて、日本を守る会を創立なさいました代表発起人でいらっしゃいました。この創立には本当に心を尽くしてくださいました。
 私は当時国会議員ではございませんでしたが、この日本を守る会の国事対策局長を命じられまして、私も救い主様のお心の万分の一でもと思いまして、一生懸命お手伝いをさせていただきました。
 そうしたご縁もございまして、救い主様、教え主様の下で活き活きと、伸び伸びと、幸せをかみしめてその日その日、毎日毎日を送っていらっしゃる世界の国々から沢山ご列席なされておられる皆様とお目にかかれたのだなあと、そのご縁に今沁々と感謝を申し上げさせていただいておるところでございます。
 お話をうけたまわれば、今年は陛下ご在位六十年の大祭を十一月の十三日武道館で日本を守る会が主催をいたしまして、開くことになっておりますが、そのご在位六十年のみ祭りにも沢山今日ご列席の皆様方が来てくださるということをお聞き申し上げております。
 今も皆さんと一緒に神の国、天意顕現のというお祈りの言葉がございました。あのどう猛な狼とあの優しい仔羊が共に草をはむ、地上天国、神の国を顕現するために、私も皆さんと一緒に力を合わせて今後、働かせていただきたいと決意を述べさせていただきます。
 教え主様、真に有り難うございました。

注: 村上正邦は平成2年の秋季大祭に来賓として出席し、海部自民党総裁の祝辞を代読した。内容は「真光」誌H2年12月号45-46頁に掲載されている。翌平成3年秋季大祭にも来賓として、宮沢自民党総裁の祝辞を代読した。その他、平成5年と9年の秋季大祭でも来賓祝辞を述べている(各年の12月号参照)。

【解説】 村上正邦は、昭和49年当時はたしか「生長の家」の職員だったと思われる。神道政治連盟議員懇談会の幹事長(村上正邦)・事務局長(小山孝雄)は、明治神宮権宮司であり日本を守る会の事務総長だった副島氏を通じて、崇教真光とつながっていたことは容易に想像できる。なお、「日本を守る会」は「日本を守る国民会議」と統合し、平成9年5月30日に「日本会議」となった。( www.nipponkaigi.org )

「崇教真光」誌平成15年4月号 三月度月始祭教示(3月3日)
P11-12
 とかく私どもは、政治・経済に無関心をよそおうのでありますが、そうした無関心こそが愈々国の乱れ世界の混乱を助長していることを知らなくてはなりません。
 私ども陽光子乃友は、主神神殿にお参りになられる心ある為政者を支援していく必要があります。
 何故ならば、「神理正法」は、政治・経済・化学・教育の根本を説いているが故に、心ある為政者に”神のみ光とみ教え”をお与えすることが必要なのであります。

【解説】リクルート事件江副被告判決の前日の教示である。逮捕された国会議員(藤波孝生など)が崇教の大祭で来賓祝辞を述べていることが、昨年よりネット上で追及されているが、それに対する苦しまぎれの反論である。村上正邦は、過去に何度も大祭で来賓祝辞を述べているが、結局何の“ご利益”もなかった。

<読売新聞>[2003年5月20日16時17分更新]
「参院のドン」村上元議員、実刑判決に表情厳しく

 「自己の社会的責任に余りに無自覚、かつ無反省」――。東京地裁で20日、開かれたケーエスデー中小企業経営者福祉事業団(KSD)事件の判決公判。中谷雄二郎裁判長は、自らを支えたマンモス財団から、ためらうことなくわいろを手にした元参院議員・村上正邦被告(70)を厳しく指弾した。苦学しながら「参院のドン」にまで上り詰めた村上被告は、神妙な面もちで実刑判決に聞き入った。
 午前10時前、東京地裁104号法廷。紺のスーツにネクタイ姿の村上被告は、いつものように合掌して入廷し、中谷裁判長と向き合った。
 裁判長から「被告を懲役2年2月に処する」と告げられると、裁判長に少しだけ頭を下げ、弁護側の前の被告席に静かに座った。判決理由が読み上げられる間は固く目をつぶり、険しい表情を変えない。
 「幼少のころより炭鉱で働いた被告が職人大学(現ものつくり大学)の設置を推進したのは、苦学した経歴に裏打ちされた政治信念を背景にしていた」。朗読が情状部分に進むと、目を見開いて裁判長に視線を戻した。
 判決言い渡し後、再び、裁判長と傍聴席に向かって合掌した村上被告。弁護人は閉廷後、「元理事長の供述のみを根拠にした不当な判決。客観的な証拠をもっと分析して欲しかった」と不満を口にした。一方、東京地検の笠間治雄・次席検事は「国会議員による汚職を厳しく断罪し、同種事案の再発防止のための警鐘を強く鳴らしたものとして、意義深い」とのコメントを出した。

◆「靖国参拝」が日課◆
 村上被告が、古関忠男・元KSD理事長(82)と知り合ったのは1990年11月ころ。中小企業振興を掲げる古関元理事長に協力を約束した村上被告に対し、KSDは92年の参院選から、選挙運動を全面支援することで応えた。
 参院選の比例名簿順位を上げるための自民党費肩代わり、パーティー券の大量購入、そして、私設秘書給与の負担。検察当局が確認したKSDの利益供与額は、わいろも含めて3億円を超えた。
 しかし、全面無罪を主張した村上被告は、贈賄を認めた古関元理事長について、公判で「思い込みの激しい方。昵懇(じっこん)とか懇意ということはない」と表現。KSDからの様々な支援についても、「秘書から何の報告もなかった。事件があって初めて知った」と、自らの直接的な関与を最後まで否定し続けた。
 関係者によると、村上被告は最近、新たに都内に事務所を借り、靖国神社への参拝を日課にしているという。事件については多くを語らないが、ものつくり大学の話題になると、「学生にはかわいそうなことをした」と漏らすことも。政界復帰は考えていないものの、「この国難の折、お役に立てずに申し訳ない」と議員辞職に悔しさをにじませることがあるという。
 事件の舞台となったKSDは今月1日から、中小企業災害補償共済福祉財団(あんしん財団)に改称し、新しいスタートを切った。
 最盛期で107万人いた会員は事件をきっかけに次々と脱会し、現在は51万人に半減した。改称を機に、会員の資格を従来の中小企業経営者だけでなく、その従業員にまで広げたが、不況の影響で会員数が増加に転ずる気配はない。財団企画広報室は「今はまだ、事件を振り返る余裕はない。とにかく会員第一主義だけを考えたい」と話す。
◆事務所家賃をわいろ認定…政界に警鐘◆
【解説】票とカネを丸抱えする巨大財団と、その目指す施策を実現しようと奔走する政治家。KSD事件は、「良識の府」であるはずの参院と、中小企業の支援をうたった「公益法人」との癒着を浮き彫りにした事件だった。
 検察は、KSDから村上被告への様々な利益供与の中から、現金提供と事務所家賃の負担に絞って立件した。事件の全体像から見ればごく一部とも見えるが、この日の東京地裁判決で、事務所家賃が「わいろ」と明確に認定された意義は大きい。昨年9月の元参院議員・小山孝雄被告(59)に対する判決でも、同地裁はKSDが負担した秘書給与をわいろと認定している。事務所家賃や秘書給与の肩代わりがわいろと認められたケースは、「ともに、国会議員ではこれまでなかった」(検察幹部)だけに、政界への強い警告とも言えるだろう。
 事件では、参院選に出馬する村上、小山両被告の自民党の比例名簿の順位を上げるため、KSDが勝手に会員を同党員にして、党費を肩代わりしていた実態も明るみに出た。東京地検特捜部は「党費の肩代わりを政治家への寄付と認定するのは法的に難しい」などとして、政治資金規正法違反などの適用は見送ったが、この丸抱えが2人の政治家を支えたのは間違いない。
 このため、自民党は一昨年の参院選前に、比例代表候補の名簿登載基準を「党員・党友2万人以上の確保」から、「党員・党友の確保を図る」に改めた。非拘束名簿式の導入により、参院比例選で特定業界の丸抱えだけを頼りに当選することは難しくなったが、それでもなお、業界の利益代表者として、参院に送り込まれた政治家は少なくない。
 KSD事件以後も、加藤紘一・元衆院議員による政治資金の私的流用、鈴木宗男・衆院議員の口利きによる汚職、坂井隆憲・衆院議員の多額のヤミ献金など、「政治とカネ」を巡る事件は後を絶たない。今回の判決を機に、政治家は自ら襟を正す姿勢が問われている。
(竹原 興)
参考文献『悪党と政治屋 緊急ドキュメントKSD疑惑を追い詰めた400日』(朝日新聞社)



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