暴かれた真光日本語版
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2003年12月18日(木) |
053 publicatiosinMahikari |
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「最後の天の岩戸開き―岡田光玉師の大予告」八坂東明著 リヨン社97.6.30初版 P4-5 今から三十八年も前に、霊の実在と神の経綸(計画)を説いた一人の聖者が日本に存在した。 聖者は現代文明の危機を一貫して叫び、自然環境も現代社会も大曲がり角に来ていると警鐘を乱打し続け、人類救済の原理を説いた。 しかし、不幸なことに、多くの日本人はその存在すら知らなかった。 昭和四十九年(一九七四)六月二十三日、一条の光となって昇天された聖者の逝去を報じた全国紙の扱いを見れば、一目瞭然である。それは写真の掲載もないわずか数行の記事であった。 聖者の名は岡田光玉師(1901-1974)。 崇教真光の初代教え主である。 私が敬拝する大恩師・光玉師は、二十世紀後半から二十一世紀前半にかけて、人類が未曾有(みぞう)の大変革を体験することになると明言した。
【解説】この本を読んで、私は「どんな記事が当時の新聞に載ったのだろう。」と思った。そこである公立図書館において、昭和49年6月の全国紙5紙を、胸をときめきかせながら調べてみた。 朝日・毎日・読売・日経の縮刷版、および産経のマイクロフイルム版…いずれも東京本社発行の都内最終版である。 最初に朝日と毎日の縮刷版を閲覧したが、一向にみつからない。読売と日経をみても載っていない。藤波孝生代議士の母親の死亡記事(6月25日)は複数の新聞に載っていたが…。 とうとう最後に、産経のマイクロフイルム版を書庫から出してもらい、時間をかけて閲覧した。だが私は落胆した。結局、5紙のいずれにも光玉氏死亡の記事は載っていないのである。当時の教団本部は大田区田園調布で、光玉氏の死亡した元み魂座は世田谷区羽根木にあった。 都内最終版に載っていないということは、他地区の“全国紙”には当然載っていないはずである。念のため、東京新聞も閲覧したが、結果は同じことであった。縮刷版は地方の公立図書館でも閲覧できるので、ぜひ自らの目で確認することをお勧めする。 これは全くの捏造記事で、岡田光玉氏を冒とくするものである。八坂東名(本名:岡田泰六氏)は全く信用できない人物である。県登録博物館を開設する団体の責任者とはとうてい思えない。 この書き込みを読んだあなたは、ぜひ崇教の幹部に「どんな記事が当時の新聞に載ったのでしょう。」と聞いてみよう。誰もが「見たことがない」と答えるだろう。 最近、崇教は初期研修テキストにやたら新聞記事のスクラップを載せているのに、あまりに矛盾した内容である。岡田晃弥教え主代理よ、文句があるなら新聞記事を光記念館に展示せよ!(2003.11)
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