暴かれた真光日本語版
DiaryINDEX|past|will
2003年12月17日(水) |
054 publicationsinMahikari |
--------------------------------------------------------------------------------
旧石器に関する間違ったみ教え
[1]岡D光T師述み教え集(昭和41年) [五月度月始祭ご教示要旨] 考古学会もずい分以前とは変わってきて、この縄文土器のさらに前期に石器時代があって、それを新石器時代と名付けた。これはざっと六十万年前を新石器時代と名付けていますが、そういう太古時代のさらにもう一つ前に旧石器時代というのがあったことがわかってきた。・・・・ 世界の太陽信仰はずっと後期に属し、一万年以下の歴史しかもっていない。日本の太陽信仰は少なくとも六十万年前の旧石器時代にはじまっている。飛騨で旧石器時代のいろんなものを見せてもらってきましたが、あちらでは今でも到る所で、山に登って太陽を拝む習慣があります。 [七周年大祭ご教示要旨] しかし、最近の日本と外国の考古学者や人類学者や、民間の心あるかたがたによって、少なくとも日本には、六十万年から百万年以上の歴史があることが、ようやくハッキリしてきました。世界の学者も日本が最古の国であるといい出しています。
[2] 岡D光T師述み教え集(昭和42年) [立春大祭ご教示要旨] (P32) 相沢氏の発掘されました標本によると、三十万年前の石器、二十万年前、十万年前の石器はざらにあります。
[3] 「M光」誌平成8年12月号 秋季大祭教示(岡D恵S氏) P13-14 神霊界にお帰りになられました大神様のご威徳を人びとはお慕い申し上げました。 しかし、お姿を直接拝することは出来ません。そこで神の子は、大神様(おほかみさま)をお慕い申し上げ、対象物としての太陽を拝むようになりました。これが今も世界に残ります「太陽信仰」の淵源でございます。 救い主様は、昭和四十年に日玉の国をご探訪なされました。そして「太陽信仰は、少なくとも六十万年以前の巨石器時代に劫(さかのぽ)る」ことをご垂示くださいました。 そして、ご承知の通り、平成六年には、宮城県上高森遺跡に於いて、北京原人よりも十万年古い六十万年前の地層から「日本原人」の存在を示す前期旧石器が出土したのであります。これは、六十万年前の太陽信仰を裏付ける発見でもありました。 わが国の旧石器時代を開きましたのは、相沢忠洋先生でありました。旧石器時代は、今日一気に六十万年前まで遡ることとなったのでございます。 救い主様は、「日本列島から、少くとも百万年前の遺跡が発見されるであろう」とご予告になられておられます。
[4] 「天意の大転換―岡D光T師の大予告2」八S東明著 リヨン社99.6.15初版 (P249) 光T師は、四十年前に歴史上の常識が打破されると予告した。 『日本の歴史はすくなくとも百万年以上前に溯るのである。やがていたるところから数十万年以上前の石器が発掘され、日本歴史は書き換えるほかない時代が来る。』 四十年前、この預言は一笑に付された。狂気の説として退けられた。しかし今日、日本列島の各地から最古の遺跡が続々と発掘されている。 (P252) 平成九年には、宮城県上高森遺跡において推定六十万年以上前の石器が発見され、考古学会をアッと驚かせた。十数個の石器は思わせぶりに円形にきれいに並べられていた。 この石器を見た岡D恵S師は、 『当時、すでに日本原人に神を祀り拝む習慣があったのではないか。』 と指摘した。 六十万年前といえば、あの中国の北京原人よりも十万年も古いことになる。 北京原人より十万年前に、わが国に日本原人が住み、しかも美的な認識を示していたという事実に驚嘆するほかはない。 そして平成十年十一月には、推定七十万年前の石器が上高森遺跡から発見された。 師の預言したとおり、百万年前が見えてきたのである。
【解説】県登録博物館を開設する宗教法人の代表者としての発言である。揃いも揃って……といいたくなる。炭素年代測定法を用いた考古学的検証が必要なことは、國學院大學で神道考古学を専攻した岡D晃弥氏ならわかっているはずである。 なお、相沢氏の発見した石器で、最も古いのは4-5万年前といわれている。 http://www.gsj.jp/Hokkaido/BBoard/gs2001/rec10.htm 日本最古の金取遺跡が現在調査中であるが、推定8-9万年前といわれている。 http://www.st.rim.or.jp/~adachima/sinpou2003.7.7.1.html 光T師の預言は見事にはずれたね。文献[4]の『預言』に関する記述を読んでごらん。
[4] P93-98 <旧・新約聖書の終末預言> 終末期の到来による火の洗礼を説いたのは岡D光T師だが、「新約・旧約聖書」にも火の裁きについて記述されている。 これは、魁のメシア・岡D光T師の具体的な終末預言を補完するものであった。 はじめに知っておかなくてはならないのは、聖書における預言とは単なる予言ではないということである。 「預言」とは、その字の如く「予め事の起こることを通告する」ということであり、予言者が神の言葉を預かり、民に伝えるものである。 つまり、預言されたことは未来において必ず起きることを意味している。それはライプニッツの予定調和説のごとくに必ず実現してしまうのだ。 そこで聖書は予め起こるものを「預言」と書き、それ以外のものを「予言」と記して別している。 予言は「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と言われるように、必ず実現するとは限らない。 本書では光T師の予告を「預言」と表し、前者の聖書の預言と同じ意味に使用していることをご理解いただきたい。
Top
日記作者
|