暴かれた真光日本語版
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2003年07月27日(日) 027 mcinmahikari

4. Excessive use of fear 
  恐怖を多用する。


a. Fear of thinking independently 
  自分で考えることに対する恐怖


信者はしばしば、憑依霊というものは人間を操ってものを見させ,考えさせ、何でも言わせることができると教えられます。このように教えられると,多くの信者は自分自身の考えに対して疑いを持つようになります。これはそんなに驚くようなことではありません。

b. Fear of the "outside" world and enemies 
  「外」の世界と敵に対する恐怖


他の全ての宗教は、「真如」(真実の如きものだが真実ではないもの)であるとされます。真光の教えの中には、このような姿勢が繰り返し現れます。

真光の主な敵は、見えないもの、水の系統の神々とされています。それらは現在火の系統の神々に置き換わりつつあるとされています。また、真光の信者に対して復讐を試みたり、教団の正しい活動を邪魔しようとする霊たちがいるとされています。教団の活動を邪魔するものは何であっても、それは「霊障」であるとされます。地縛霊は事故を引起こし、憑依霊は人間のものの見え方、聞こえ方、発言を操るとされます。また、ある民族全体が他のグループを妨害しようとするといった、集団霊障なるものもあるとされています。例えば,北アイルランドの紛争が絶えないのはこの集団霊障のためだというような説明をされます。

c. Fear of losing one's "salvation" 
  「救い」を失うことに対する恐れ



「今日の神は、神の計画の進展に遅れをとったり、新しい霊的文明の建設に役に立たない魂を必要とはしていないのです。(自分が日本人やユダヤ人だからといってうぬぼれてはいけません。)そのような役に立たない魂は火の洗礼によってその存在自体が消去されてしまうというのが神の意志なのです。神の計画では、充分に浄まった魂だけが、種人(たねびと)としてこの地上に留まることを許されるのです。」
[Sunkyo (Great Guideposts on the Path of Divine Wisdom), by Sukuinushisama, The Descent of Holy Spirits, pg 16]

「仮の教えにては皆つぶされ行くのみ。バラバラに致せし世を一つに致す大仕組み始まるなり。」
[御聖言 P.297 人生の夢]

「それ故、頂上に上ろうとしている今日の人類は、平安のうちに自己満足に浸っているわけにはいかないのです。もし怠ければ、あなたが引いている人生という手押し車はすぐに坂道を転がり落ちて大きな事故を引起こし、全てが無駄になってしまうということをよく知った上で、ご自分の未来を選んで欲しいと私は望みます。」
[Extract from Teachings of Sukuinushisama, Arrival of the Age of Major Compensation - Cleaning and the Path to become Seed People & Let us thoroughly enjoy cleaning" August 1987, MAAJ Vol 6, No 10, October 1987, pg 8]

d. Fear of leaving the group or being shunned by group 
  グループを去る恐怖、あるいはグループから避けられるという恐怖


この恐怖はまさに現実の恐怖であり、日常の中で持続していきます。それは、信者が御み霊(おみたま)と呼ばれるペンダントをシャワーを浴びるなどの理由で身体からはずすときの恐怖です。御み霊は神からの守護を信者に与えるものだとされているので、信者がそれをはずすとき、御み霊をかけているときと同じ程度には神から守られていないとされます。何らかの理由で御み霊をはずしている信者は、一般的に言って大変な緊張と不安を感じます。私は時々、ブラジャーを買うとき(試着が必要なため)や水泳をするためやX線検査を受けるために、自分の御み霊を家に残して出かけなければなりませんでしたが、それは常に不安に満ちた時間でした。

御み霊に関して御無礼があった人は、(例えば落としたりベッドや椅子につけてしまったりなど)、哀れみの目でみられ、軽蔑に似た目で見られます。御無礼を犯した人は、その他の人に比べて明らかに罪や穢れが多いとされるからです。

「御み霊を授かることによって、私たちは神からの不断のご守護をいただけるだけでなく、人様の命もお救いすることが許されるのです。」

「睡眠中もトイレにはいるときも運動しているときでも、どうしても不可能な場合を除いては常に御み霊を首にかけるようにしましょう。」
[Mahikari Primary Kenshu Reference Textbook, pg 70, 71]
e. Fear of disapproval 
  非難に対する恐怖


もう一つの大きな恐怖があります。道場の幹部は助けの手を差しのべてくれるはずの存在ですが、時には虐待的で批判的です。私の場合,幹部が助けの手を差し伸べてくれないという場面に私は遭遇したことがあります。彼らは次のように言います。『もし教えに対して疑問をもつならば、あなたは明らかに神の教えを正しくつかんでいない。』 他の信者もまた、真光の道場の中では監視役として振る舞い、大きな影響力を及ぼします。誰かが神に対して御無礼をしたり、幹部や教えに対して批判的な意見を述べたりした場合にそれがおこります。もし誰かが神に対してご無礼をしてしまった場合,それは深い罪や穢れを持っている証拠であり、もっと多額の寄付をしたり神に仕えたりすることでお詫びをすることを勧められるのです。

5. Extremes of emotional highs and lows. 
  感情の高低の激しさがある。


真光の信者には、霊査のときに感情の激しい変化がよく起こります。それは、憑依霊が信者の身体を乗っ取っているとされ、信者の様々な深い感情にはけ口を与え、叫んだり震えたり,怒ったり恐れたり、復讐心や絶望を表したりします。この霊査は時には30分ぐらい続き、信者をひどい苦痛にさらします。一般的にはそれほど頻繁におこることではありませんが。

毎月のみ祭りで配られる教えは、時として非常に厳しくて恐ろしいものです。一般的には信者は自分の生活全てを「霊的な目」で見るようにとされ、全てを真光の世界観を通じて解釈するようにと教えられます。こうして、大きな恐怖を用いることで信者自身の生活を非常に歪んだものにしてしまいます。

「私は、はかりしれない深い精神的苦痛を感じました。そして、これはおそらく神が私に行動に移すようにと望んでおられるためではないかと考えました。」
["Salvation from practising teachings" by LH, MAAJ Vol 17, No 1, January 1999, pg 13]

み祭りの時や、研修(初級)の最後の御み霊拝受式のとき、霊界お浄め、周年大祭、神向き会、その他信者が集まって何かをするとき、みんなで一斉に祈言を奏上したり、霊的な体験談を聞いたりすると、精神が高揚します。

多くの信者は、光を与えたり受けたりしているときにも、「霊的な高揚」の感覚を経験します。これらの経験はしばしば、疑念や不安をもちつつも教団への関与をしつづけてしまう原因になるのです。

6. Ritual and often public confession of "sins".
  儀式においてや、しばしば公の場で「罪」を告白させる。


み祭りにおいて人々が集まっている前で、信者によって体験談が読み上げられます。その体験談というものは、困難なことや感情的なことに関しての話になりがちなので、しばしば非常に感情的な状況に陥ることがあります。また、典型的なものとしては、信者は自分の内なる「間違った」考えや態度を告白し、状況が変化したことによって真光の教える真理にめざめることができた、ということをよく話します。体験談を話すときの信者は一般的にいって非常に神経質になります。なぜなら体験談を話す信者には、そのとき神様が注目していると教えられ,かつ公衆の面前で話をしなければならないからです。これは多くの人にとって非常に恐ろしいことです。なぜなら、自分がよく知らない部屋一杯のたくさんの人々に対して、自分の魂(心の奥底)をさらさなければならないからです。


7. Phobia indoctrination: programming of irrational fears of ever leaving the group or even questioning the leader's authority. The person under mind control cannot visualize a positive, fulfilled future without being in the group. 
  恐怖を植え付ける: グループを去ることや指導者に疑問を持つことに対して、得体の知れない恐れを抱くようにプログラミングする。マインドコントロール下にある人は、グループをやめた後のポジティブな実りの多い未来を、自分の中にイメージすることができない。


a. No happiness or fulfillment "outside" of the group 
  グループの外においては、なんの幸福も満足感もありえない。


もし幸せになる唯一の道が神に仕え、真の光を与えること以外にないとしたら、教団を去るということは地獄行きの魂になることを意味します。光を受け,研修を受講したのに、熱心な信者にはならない人々に対する態度は、彼らはチャンスを与えられたのにそれを逃した仕方の無い人たちだ、というものです。

b. Terrible consequences will take place if you leave: "hell"; "demon possession"; "incurable diseases"; "accidents"; "suicide"; "insanity"; "10,000 reincarnations"; etc. 
  もしそのグループを去ったら,悲惨な結末が待っている。:「地獄」、「悪霊の憑依」、「不治の病」、「事故」、「自殺」、「発狂」、「一万回の輪廻」など。


教団を去ることを決めたある若い女性は、道場(センター)の長から次のようなことを言われました。「真光をやめるとガンにかかりやすくなりますよね...。」 このような例は無数にあり、一般的にはこう言われます。「真光をやめた人は,2,3年の間はもともと持っていた良いカルマのおかげで何事もなく過ごすことができ、普通の生活にもどることができます。しかし、悪いことがそのうち起こりはじめます。真光をやめたときに感じる大きな喜びや解放感というものは、その人についている憑依霊がその人を喜ばせているのであり、憑依霊は、その人を唯一正しい道である真光から引き離すという邪悪な目標を達成したことに対して喜んでいるのです。」

c. Shunning of leave takers. Fear of being rejected by friends, peers, and family. 
  脱会者に対する忌避。友人、仲間、家族から拒否されることへの恐怖


これは常に起こっていることであり、私自身にも起こりました。1人のとても親しい友人を除いて,私は真光内の友人のすべてを失いました。最近真光を去ったある女性は、私が真光を去ったことを1年以上も知りませんでした。道場の中では,教団を去った人についての話はほとんどされません。あるとき私は街中で信者の人と出くわしましたが、いくらかめずらしいことではありますが、完全に無視されました。殆どの信者は、元信者に対して礼儀正しい態度をとりますが、真光の中で元信者についての話し合いがもたれるということはまずありません。

d. Never a legitimate reason to leave. From the group's perspective, people who leave are: "weak"; "undisciplined"; "unspiritual"; "worldly"; "brainwashed by family, counsellors"; seduced by money, sex, rock and roll. 
  グループを去るにあたっての正当な理由などありえない。グループの見地からすれば、脱会者とは「弱く」、「自制心に欠け」、「霊的でなく」、「俗物であり」、「家族やカウンセラーに洗脳され」、お金やセックス,ロックンロールなどの誘惑に負けた人とされる。


教団の見地からすると、教団を去った信者は邪神邪霊に操られ、また、自己中心的で物質主義的(物主)で、恐ろしい結末になることを運命付けられた人、という見方をされます。神の守護はなくなり、同様にして光を受けることからくる利益も得られなくなるとされます。


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