2011年06月15日(水) |
■本からお話紹介…反抗的な子が母からもらったもの |
今日も、本からの紹介です。 こんな話を見つけて、心にじ〜んと来ました。
今日紹介するのは、この本からです。
「こころのチキンスープ8 探しものは何ですか」
(ここから引用)
「アイリーンへの手紙」より (アン・アイリーン・ウィークス)
私には3人の子どもがいます。 1番上でただ1人の男の子は、父親の名前をとったポール。 父親譲りの茶色の目と巻き毛をしているのは末っ子のテレサ。 真ん中の子は、私と母の名前をとってアイリーンと名付けました。
母は、アイリーン・アンといい、それをひっくり返して、 私にアン・アイリーンと名付けたので、私も最初の女の子が 生まれると同じように自分の名前を逆さまにして、 アイリーン・アンと命名したのです。 アイリーンは、何と生後5ヶ月には 自立心の兆しを見せ始めました。 人に食べさせてもらうのを拒み、 何でも自分でやろうとしたのです。
3人の子どもを育てるのは、とても楽しいことでした。 どの子もみな勤勉で、しかもユーモアがあり、 これと決めたことは一生懸命やりました。
ただ、どこの家庭でもそうでしょうが、 わが家でもときには、親が子どもの行動にひとこと、 言わなければならないことがありました。
ポールとテレサの場合は、こちらの言い分を黙って 受け入れてくれることもあれば、言葉に出して抗議して くることもありましたが、そんなときもきちんと話し合って、 最後は必ずお互いにわかり合えるものです。
ところが、アイリーンだけは決して 話し合いに応じようとしませんでした。 私たち両親が何か言おうとしても聞く耳をもたず、 さっさと2階の寝室に駆け上がり、 ドアをバタンと閉めて、 音楽をガンガンかけるのです。 こうして、話し合いなんかしたくない! と態度で示すのでした。
娘がまだ小さい頃は、私も何度か言って 聞かせようとしました。 でも、かえって反抗的にさせるだけでした。
ある日、私たちの言い分を どうしてもわかってもらおうと、 私は彼女に手紙を書きました。
私たち両親がどういう立場にあり、 彼女のどこを改めてほしいと 思っているかを書きました。
私は、翌日娘が学校に行ってから、 彼女のベッドの上に手紙を置きました。
アイリーンはその手紙のことを ひとことも口にしませんでしたし、 彼女がそれを読んだという証拠もありません。 しかし、彼女の態度が変わったのです!
それから何年も、私はことあるごとに、 彼女の部屋に手紙を置きました。 アイリーンが学校へ行っているあいだ、 そして仕事やデートにでかけているあいだに、 おそらく1年に、2〜3通の割で、 14年間にわたって…
彼女は、1度も手紙を受け取ったなどと 言いませんでしたし、内容について 話すこともありませんでした。 しかし、彼女の態度が変わるのでした。
ときたま、 「手紙なんて書かないでよ!」 と、言いながら、2階に駆け上って いくことはありました。
が、もちろん、 私は書きました。
1990年に子どもの父親が亡くなり、 その3年後にアイリーンは結婚することになりました。
私は虫目の母親として、 あれこれ口出しし過ぎないよう心に決めました。
すべてが順調にいっていましたが、 結婚式の1ヶ月前になって私たち親子は、 意見の食い違いから言い争いました。 娘は、腹立たしげに言いました。
「私はもう24歳よ。 養護教師としても立派にやっているし、 もうすぐ結婚だってするんですからね」と。 それに、 「手紙なんか書かないでよ!」 とも。
ええ、もちろん、 私は書きました。
結婚式の3日前に、アイリーンは、 新居にもっていくものを荷造りしながら言ったのです。
「クローゼットの中に、 捨てられない箱があるの。 お母さんが私に書いてくれた手紙が 全部入っている箱よ。 私、あの手紙をときどき 読み返していたのだけど、 いつか娘ができたら、 娘にも読んで聞かせたいと 思っているわ。 ありがとう、 お母さん」と。
ありがとう、 アイリーン。
(ここまで引用)
私は、母から手紙などもらったことがありません。 もらったらどんな気持ちになるものなのでしょうね。 そして、どんな内容の手紙だったのでしょう、 読んでみたいですね。
いろいろと調べてみたのですが、 手紙の内容までは、わかりませんでした。 わかったら、報告しますね。
この本も、いい本ですので、 機会があったら、読んでみてくださいね。
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