2011年06月07日(火) |
■震災の中で、見えたもの、学んだこと…その5.ふるさとを守りたい |
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私は、岩手県の小さな町に生まれ育ちました。 このたびの震災で、この小さな町も、 大きな被害を受けました。
実家は、海側ではなかったので、 津波被害はなく、幸いなことに、 なんとか住める状態で残りました。 もっとも大きなガラス窓は割れ、 2階には、大きなひび割れやゆがみができ、 とても行けませんが、1階は大丈夫です。
春が美しい町なのに、そして、 春は毎年山菜採りをしていたのに、 今年の春は… 昨年までいっしょだった兄もおらず、 ふるさとは崩れかけ、余震におびえ、 美しさも楽しさも感じることができず… こんな状態でした。
古い家々は、 形こそ残っているものの、 大きくゆがみ、 住める状態ではありません。
もっとも、 そんな中にあって、
「あの家は、さすがに、 壊れているだろう」
なんて思っていた(私も町の人たちも)、 以前からボロボロで今にも倒れそうな家が、 しっかりと残っていたりして、 思わず笑ってしまいました。 (そのお宅の方も笑ってました)
この家は、作業場として、 まだ使うそうです。 大丈夫なんでしょうか…
坂の上にあるブロック塀は軒並み、 お墓も、ほとんど崩れてました。
もっと被害のひどいところは、 危険区域になっていて入れませんでした。
このような壊れたふるさとを 見たことがなかったので、 ただただ泣けました。
しかし、私のふるさとには、 まだ住める家々が多く残っており、 けが人も何人かで、亡くなった方は いなかったということなので、 よかった方だと思います。
今現在は、 住めなくなった家々を壊しており、 町は、歯が抜けのような状態です。 それを見て、母は、
「町を遠くまで、 見渡せるようになった〜 明るくなって、 空が見えるようになった」
などと言っており、救われます。 町全体で、復旧に向けて、がんばっています。 もっとも、高齢者が多い町なので、 ゆっくりゆっくりだと思います。
今まで、ふるさとのことを 考えたりすることはほとんどなく、 いつもあるものだと思っていました…
でも、そうではない現実を知り、 ふるさとがどんなに大切なものなのか、 ふるさとのために何かしていきたいと、 強く思うようになりました。 守りたいふるさとです。
それぞれのふるさと、そして日本のために、 一人一人ができることをしていけば、 きっと、世界が驚く奇跡的な復興ができると思います。 力出していきましょう。
これから、毎月一度は、震災関係の話を していきたいと思っています。 どうぞ、よろしくです。
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