2010年09月12日(日) |
■『この世に“雑用”という仕事はない』というお話 |
今日は、久しぶりに、本からのお話紹介です。 このところ、いい本に出合うことが多く (私にとっては、とても嬉しいことです) 紹介したい本と話が、いっぱいあるのですが、 今日と明日は、こちらの本からお話紹介です。
「この世の悩みがゼロになる」 小林正観著
先週、「ことば探し」でも、 この本からのことばを紹介しましたが、 気づきのある、いい本だと思います。
(ここから引用 47P〜)
『この世に“雑用”という仕事はない』
友人に「マスト」君と「としこ」さんがいるとしましょう。
マスト君は、いつも 「ねばならない」と考えながら生きています。 「ねばならない」ものをたくさん背負って 生きている人。 “must”と書くことにしましょう。
としこさんは、 「と・とらわれない」「し・しばられない」 「こ・こだわらない」をモットーに 生きています。 俗な言葉で言うと、「ノーテンキ」、 難しく言うと「執着していない」ということ。
「マスト」君とはちょっと距離をおいて付き合って いくことにし、「としこ」さんとは、仲良く 付き合っていくことにしたらどうでしょう。 この話をすると、
「でも、毎日やらなくてはいけないこと、 例えば炊事、洗濯、掃除、子どもの 世話など、私の一日は、『ねばならない』 ことのかたまりです。 “must”で毎日追われているのに、 “must”から離れるなんて、 どうすればできるんですか?」 「妻子のためにイヤな仕事を 毎日我慢しながらしている。 仕事そのものが“must”ではないか」
と聞かれることがあります。 その答えとして、 渡辺和子さんの話をせねばなりません。
渡辺和子さんは、2.26事件で 暗殺された教育総監、渡辺錠太郎氏の娘です。 9歳のとき目の前で父が殺されたそうです。 20代後半になってアメリカの修道会に入り、 10年ほどして日本に帰りました。 岡山の「ノートルダム清心女子大学」の学長や、 理事長を歴任されています。 多くのすばらしい本もお書きになっています。
渡辺和子さんがその修道会にいたときのこと。 食事の準備で食卓にお皿を配っていたとき、 渡辺和子さんに、あるシスターが寄ってきて、 こう尋ねたそうです。
「渡辺さん、あなたは今、 なにを考えながら、 お皿を配っていますか?」 渡辺さんは、とまいどつつ、 「いえ、何も考えていません」」 と答えました。
そのとき、シスターは、
「渡辺さん、 あなたは時間を無断しています。 なぜ、このお皿を使う人の幸せを 祈りながら配らないのですか? この世に“雑用”という仕事は ないのですよ」
と教えてくれたというのです。 よく考えてみましょう。 炊事も洗濯も掃除も、また子どもの世話も 会社の仕事も“must”です。 しかし、そこに
「この食事をする人が 元気になってくれるように。 この服を着る人が 幸せになってくれるように。 この廊下を歩く人が、 笑顔で過ごせるように。 この仕事に関わる人が みな幸せになってくれるように」 と、念をこめたら、それは単なる “雑用"でもなく、単なる作業でも 単なる仕事でもないでしょう。(略)
そのように考えていくと、“must”が 本当に存在するのか、という疑問が生じませんか? 「元気」や「幸せ」を祈る、 念を込める手段として日常のすべて存在している…
宿泊業の人にこの話をしたところ、大半の人が、 「宿泊業とはすばらしい仕事だったんですね」 と言いました。
食事をつくり、風呂をわかし、 部屋や廊下を掃除し、それらすべての作業が 「泊りに来てくれる人の幸せを祈れることだった」 ことに気がついたというのです。 もちろん、どんな仕事にも職業にも同じことが言えます。
“must”と思っていたことでも、 実は 「超能力的な“念"を実験できる 一つひとつの「現場」 であったことに気がつくと、むしろ、 「もっとそういう時間や場所がほしい」 と思えるのではありませんか。
そして、それは必ず、「実績」だけで終ることなく、 目に見えるかたちで現れてきます。 そうなればもう、念ずるのが楽しくして仕方がない。 “must”だったことが喜びや楽しみになるのです。
(ここまで引用 50Pまで)
“must”くんにとらわれて、 「あれもこれも、せねばならない」と思ってしまうと、 こんなことを、なぜ、私がやらなくてはならないのだ、 毎日毎日、同じ繰り返しでいやだいやだと、 と、思えてきて、本当にイヤになってしまいます。
でも、自分の“念"を磨く修行の場として、あるいは、 自分の“愛"を届けることとしてやっていると思えば、 ちょっとは違う気持ちになってやれるように思えます。 どうでしょうか?
例えば、“念"や“愛"でなくても、 違う本に書いてあったイヤな仕事だったけれど、 トップセールスマンになった人の言葉として、 こんなことが書かれてました。
「カルデンボーン(自分の名前)、こいつを やらなくては食ってはいけないのだそ。 やらなくてはならない以上、ひとつ愉快に やろうじゃないか。 自分が役者になって、舞台にあがり、 フットライトを浴びてると思って、 やってやろう」
同じ、“must”や「ねばならない」でも、 自分の気持ちの持ちようで、楽しんでやることも できるということだと思います。
生活していれば、自分にとっては、イヤなこと 「せねばならない」は、確かにたくさんあります。 だからこそ、“雑用"と思わず、それを、 意味あることとして、やっていきたいと思います。 楽しんでやる方法を見つけ出しもしながら。
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