2009年10月19日(月) |
“きれい”にはなれなかったけど“美しく”なれたお話 |
昨日からの続きになります。 今日も、この本からのお話紹介です。
「幸せのありか」から。
■3つの化粧品 『泥かぶら』のお話
「おじさん。 私には親も兄弟もいないんだから、 私を代わりに連れていって」
多分、人買いは、割に合わない取引と 思ったことでしょう。 でも、渋々、泥かぶらを連れて行きます。
そして、道すがら泥かぶらは、 自分の行く手に待ち受けている運命も知らぬ気(げ)に、 村での楽しかった生活、かわいい子どもたちの話を 明るく語り、人買いの肩を揉んでやったり、 食物を調えてやったりするのでした。
泥かぶらの笑顔と優しさ、 その信じ切った姿に、 人買いの心はいつしか動かされてゆきます。
ある朝、 泥かぶらが目を覚ますと、 人買いの姿はなく、そこには、 一通の書き置きが残されていました。 その紙には、
「ありがとう。 ほとけのように美しい子よ」 と書かれてあったのです。
泥かぶらは結局 “きれい” にはなりませんでしたが、 “美しく” なれたのです。 おじいさんの言葉通り、 村一番の美人に なったのでした。
“きれいさ”と“美しさ” とは違います。
お金を使って高級な化粧品をつけたり、 エステに通ったり、 整形手術をしたりすれば、ある程度、 きれいになることは可能でしょう。
しかし、美しさは、 お金で買えないものなのです。 それは、 人間の内からの輝きであって、 人が、自分自身の本能、 欲求などと闘う時にのみ 得られる輝きなのです。
腹立たしいこと、 言い返したいことがあっても、 グッと我慢して、にっこりとほほえむこと。 相手の出方に左右されたり、 振り回されたりしないで、 相手の身になって、思いやること。 自分と他人と比較せず、 自分のかけがえなさに気づいて、
「私は私、 ひとはひと」と 割り切る勇気と健気さ。 これらは、どれ一つを取っても、 易しいものではありません。
私たちは果たして、 きれいになるために使っている 時間と心づかいを、 美しくなるために使っているでしょうか。
「顔の造作は親の責任。 顔の表情は本人の責任」
なのです。
「いつもにっこり笑うこと。 ひとの身になって思うこと。 自分の顔を恥じないこと」
化粧に余念のない学生たちの中で、 きょうも私は、 泥かぶらを美しくした
「3つの化粧品」
の販売にいそしんでいます。
引用ここまで
以上、「3つの化粧品」 美しくなった泥かぶらのお話でした。 いかがだったでしょうか。
この「3つの化粧品」を 常日頃、すっかり、 つけ忘れてしまう私です。
頭に来れば、 「なにさ、私を何だと思ってるのっ」 「そんなことなら、いいわよ、 こっちだって考えがあるわ」 とばかり、すぐに顔にだし、口に出し、 不機嫌さを時としてまき散らし、
そんなときには、もちろん、 人の身になって考えられず、 人のことより、 自分の今の気持ちをどうしてくれる、 と、人を責め、
そんな怒った怖い顔、 眉間にしわ寄せた顔を鏡でみて、
「まぁ…! 自分で見ても、 なんて怖い顔! ひぇ〜怖いね、 怖いね〜 こんな顔じゃ、 100年の恋も 冷めちゃうね〜 だって、ホント 怖いもん」
と自分の怖い顔に驚き、 なかなか笑顔に戻れない、 美しさとはほど遠い… そんな切ないことの繰り返しを しているようです…
まったく… はっきりいって、 とほほの お手上げ 状態です。
こんなときに、反省を込めて、 渡辺シスターの書かれた本などを読み、 いかんなぁ… もっと心を大きく持って、 「3つの化粧品」をつけて、 美しくならないとなぁ… なんて思うのです。
女性のみなさま、 美しくなりましょう! 「3つの化粧品」 つけ忘れないようにして。 3つが無理なら、 せめて、1つは必ずつけて、ね。
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