2009年05月18日(月) |
■知能指数が低く、バカといわれたお坊さま |
知能指数が生まれつき低く、周りから、 バカ呼ばわりされてきた お釈迦さまの弟子、周梨般特のお話の続きです。
今日も、「こころで生きる」 大藪 正哉著の本からの紹介です。
このお話の他、興味深い話や 面白い話がいっぱい書かれてある本です。 ぜひ、読んでみてくださいね。
愚鈍を活かす(後編) (引用ここから)
いよいよ当日になりました。 若い衆が最前列の5,6列いっぱいに 座っています。 そこへ周梨般特が合掌しながら シズシズと入ってきました。
演壇の周梨般特は、 自分の口の前に両手を合わせて 頭を深々と下げました。
周梨般特が頭を下げたときが 合図になっていました。
しかし… 誰も口を開こうとはしません。 皆、思わず両手を口の前に合わせ、 深々とおじぎをしてしまいました。
そして、みんなが頭を上げたとき、 周梨般特は、
「清めよ、清めよ、 心を清めよ」
と、心の奥底に しみわたるような声で申しました。 その声を聞いて涙を流す者すらありました。
周梨般特は、再び合掌して、 シズシズと壇をおりてゆきました。 口をきく者は一人もいません。 心の中で思いました。
「立派なものだ」 「お釈迦さまのお代理ができた」 「まことにありがたかった」 「お釈迦さまはウソをおつきに ならなかった」
村の衆はびっくりしてしまいました。
「あのバカが立派になったものだ」 「あのバカを立派にしたお釈迦さまが えらいのよ」
心の中で思い、 そして口に出して言いました。
「私もお釈迦さまのお弟子に なりたくなったよ」 「おまえも、少しは周梨般特を 見習ったらどうかね」
愚鈍な周梨般特が、 修行をして立派に お釈迦さまのお代理を つとめたというお話です。
愚鈍であったからこそ、 真剣に修行ができたという一面を 見逃してはならないと思います。
私どもは自分のことを、 いくらかでも利口そうに評価してもらいたいと思い、 またそのようにつとめています。
しかし、自分の愚鈍さを素直に出して、 自分の愚鈍を活用して 自分の人生に処してゆくことが、 かえって人生をすばらしいものにするための 近道であるかもしれません。
(引用ここまで)
ということで、 周梨般特お坊さんのお話でした。
きっと、毎日毎日、修行している間に、 周梨般特の心も清められていったのでしょうね。 だから、とても心に染み渡ったのでしょうね。 私は、この話がとても好きです。
お釈迦さまは、周梨般特の欠点を 見事に長所として活かしました。
そして、周梨般特は、 お釈迦さまの言われたことを、 疑うことなく、毎日毎日、 愚直に、実直に、素直に実行したのです。 そして、それが立派な修行となったのです。
とかく、頭がいいとか、頭の回転がはやいと、 何かをする前に、いろいろなことを計算しがちです。 損得や、周りからの評価、反応を得たいと思い、 策を弄したり、修行に疑問をもったりもして、 なかなか1つのことに打ち込むことができません。 このお話は、1つのことに身を入れて打ち込むことの 大切さを教えてくれるように思います。
昨日の写真の、道ばたでほうきを持った 小坊主さんが周梨般特であるかどうかは わかりませんが、こんな意味があったのです。 もちろん、私はこの小坊主さんの前で、 合掌し、
「清めよ、清めよ、 心を清めよ」
と、やや小さな声ながら、 何度か唱えてきました(笑) みなさまも、ぜひ、 ごいっしょにどうぞ。
気軽にコメントが入れていただけます。
→「ぼちぼち、お散歩日記」
■「ことば探し」に戻る時→
「ことば探し」
■「ことば探し」メールマガジン(月〜金)発行しています。
「今日のことば」以外の過去のことばも紹介しています。
コンパクトで、読みやすい構成にしています。
→「購読申込み」
|