2009年04月02日(木) |
街角のおことばと、仏教詩人坂村真民の詩 |
今日は、久々の街角の、 ありがたい「おことば」の紹介です。
ウォーキングの時に、 あちこちにあるおことばを見つけて読むことも、 楽しみのひとつですが、そのおことばを読んで、 あ、そうそう、なんて思い出すこともあって、 なんとなく私は、このおことばたちが 好きなのです。
さて、まず、新宿にあるいつもの 「金光教会」のおことばから。
この教会は、本当にまめに更新されていて、 いつ行っても、新しいおことばが書かれている。 だから、読むのも楽しみなのだ。
今日は、こんなおことばだった。
そうだね、心の内が寒い人は、 春がきても、夏がきても、きっと、 心があたたかくならないんだろうね、 ちょっと寂しいことだね… 心にことばのストールでもかけてあげて、 ちょっとでもあたたかくしないと だめだね…
なんて、思ったのだった。 せっかく春が来たんだから、 心も春がいいよね。
さて、続いても、 いつもお寺だ。
このお寺では、 月に何回か座禅を指南してくれるのだが、 いつも出たいと思いつつ、 まだ、座禅を組みに行ったことがない。 今度、勇気をだして行ってみたいと 思っているところ。 って、それはさておき。
今日は、こんなおことばだった。
あっ、今日は、 坂村真民(さかむらしんみん)さんの おことばだ。
以前、坂村さんの詩はかなり読んだ。 坂村さんは、仏教詩人とも言われていて、 「念ずれば花ひらく」で有名な詩人だ。
そこで、家に帰ってきてから、 久しぶりに、坂村さんの詩を取り出し、 読んでみた…そして、
ああ… やっぱりいいね 心が洗われるね
と、しみじみ思ったのだった。
ということで、 話はちょっとずれますが、 少し、坂村さんの書かれた詩を 紹介しますね。
坂村さんの書かれた詩は、 心がすさんでいるようなときに読むと、 心が落ちつくし、心に響いてくると 思っています。
「念ずれば花ひらく」
念ずれば 花ひらく
苦しいとき 母がいつも口にしていた このことばを わたしもいつのころからか となえるようになった
そうしてそのたび わたしの花がふしぎと ひとつひとつ ひらいていった
この詩は、こんなことを言っているのです。 念というのは、今という字と、 心という字から出来ている。 一つのことを、いつも思い続けていると、 遺伝子が、そうなっていく…と。 また、私はこの詩も好きです。
「タンポポ魂」
踏みにじられても 食いちぎられても 死にもしない 枯れもしない その根強さ そしてつねに 太陽に向かって咲く その明るさ わたしはそれを わたしの魂とする
この詩は、なぜか宮沢賢治を 思い出させてくれるような詩で、 苦しいときに、思いだします。 それと、道ばたのタンポポをみると。 「タンポポ魂」ステキだと 思いませんか?
「随筆集 念ずれば花ひらく」
「坂村真民一日一言―人生の詩、一念の言葉」
というわけで、今日は、 ありがたい「おことば」のお話でした。 機会がありましたら、坂村さんの詩も 読んでみてくださいね。 とてもいいですよ。
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