2009年01月19日(月) |
新宿区立「漱石公園」に入ってみる |
さて、昨日からの続きになります。
昨日の最後に紹介した写真の小さな道の 左側に、この公園はひっそりとある。 どれどれと入ってみると、 ほら、「漱石公園」と書いてある。
ここから入ると、 こんなさわやかな感じの公園になっている。 もちろん、入場料などもなく、オープンな公園だ。 奥に見えるお家には、夏目漱石関連の本や パンフレットが置いてあり、警備員のおじさんもいる。
この公園は、新宿区が、 「夏目漱石生誕140周年記念事業の一環として、 夏目漱石が141回目の誕生日を迎える 平成20年2月9日に、区立漱石公園が リニューアルオープンした」のだ。 (「漱石公園」HPから)
以前は、とてもみすぼらしい公園まがいの ところだったけど、(私は知っている) いつの間にか、こんなきれいな公園に生まれ変わったのだ。 「夏目漱石生誕140周年記念事業」として きれいにされたんだね。
そして、ほら、もちろん、 漱石さんもちゃんといる。
では、いったいこの公園は、 どんなゆかりがあるかというと、 こんな看板が立っている。
そう、ここは、 「漱石終焉の地」なのだ。 (49歳、胃潰瘍を悪化させて亡くなる)
ちなみに、昨日紹介した吉野家のとなりにあった 記念碑のある場所は「誕生の地」。 漱石さんは、この界隈で一生を過ごしたのだ。 (熊本で先生をし、一度イギリスに留学するも)
そして、この公園のある場所で、 本格的に執筆活動をし、 最後の9年間を過ごした「漱石山房」と 呼ばれた家があったらしい。 それが、こんな家だったようだ。
さらに、近づいてみると、 漱石さんの部屋は、こんなだったらしい。
かなり几帳面で神経質な方だったらしく、 いつもきちんとしていたとか。 赤い絨毯が印象的な部屋だけど、実際には、 本がいっぱいで、絨毯の赤は見えなかったらしい。
ともかく、この部屋で、 朝日新聞に掲載された小説などを 毎日8〜20枚くらい書いていたという。
さて、この「漱石山房」には、 その周りに洋風のベランダがついていた。 (上の写真の全体像を見るとわかります) そのベランダを再現したものがこれだ。
このベランダは、漱石さんの仕事場の書斎の まわりにあったベランダだけど、 ベランダだけ、再現されていて、 書斎の中に入るとかはできない。 つまり、こんなベランダがついていた、 というだけのものなのだ。
「ベランダより、書斎そのものを 再現してほしいぞ」と、私などは思うが、 場所も予算もなかったのかもね。 でも、今ひとつ工夫がほしいなぁ… これだけじゃね。
でも、ともかく…、漱石さんは、 このベランダがお気に入りで、 執筆に疲れると、椅子に座ってひと休みしたらしい。 ふぅーん、って感じだ。
さて、このベランダのわきには、 こんな気持ちいいこぎれいな庭がある。 まぁ、庭というより、出口に向かう道、 という方が正しいのだけど。
以上が、この公園の全てだ。 こじんまりとしていて、15分もあれば、 全部を見終わってしまうようなところだ。
しかし、この界隈には、 漱石さんゆかりの地が、他にもまだまだあって、 散歩コースなどもあるから、 歩いてみると楽しいかも知れない。
私は、まだこの漱石コースを歩いてないので、 あたたかくなったら、歩いてみようと思ってます。 何か発見したら、ご報告します。
あ、そうそう、 昨日すっかり、書き忘れてしまいましたが、 あの吉野家の「牛とじ鍋定食」の旗ですが、 漱石さんが、「牛鍋」が大好物だったので、 あの旗を立てているのだとか。 知りませんでした… 吉野家もやりますね。
というわけで、漱石公園の紹介でした。 場所は、こちらを見ると書いてます。 ただ、この地図を見て行けるかどうか、 かなり心配ですが… 「漱石公園地図」
機会があったら、訪れてみてくださいね。 もっとも、あまりの小ささに驚くかも知れませんが(笑)
気軽にコメントが入れていただけます。
→「ぼちぼち、お散歩日記」
■「ことば探し」に戻る時→
「ことば探し」
■「ことば探し」メールマガジン(月〜金)発行しています。
「今日のことば」以外の過去のことばも紹介しています。
コンパクトで、読みやすい構成にしています。
→「購読申込み」
|