2008年07月18日(金) |
横柄な中央の高級官僚の話…その結末 |
《お知らせ》
身内に不幸があったので、一週間くらい、 お休みいたします。落ち着き次第再開します。 どうぞ、よろしくお願いいたします。
さて、昨日からの続きです。 今日もこの本↓からの紹介です。
「「抜く」技術」
「限界がきたときどう振舞うか」より (P153〜160Pから引用 ここから) ※強調はこちらでしました。
すると、その人は、
「これほどの規模の計画に、 これっぽっちの金額では ダメですよ」
と言いながら、 その場で私の出した数字に ゼロを一つ足してくれたのです。 その数字は、当時、 助教授として勤めていた大学の 年間の研究費の倍に相当する金額でした。 個人が受け取る予算としては ケタ外れのものです。
私は喜ぶ前にびっくりして、ともかく大学の 了承を得なくてはと佐賀にとって返しました。 学長以下、みなさん半信半疑であり、 助教授ふぜいが出過ぎたまねを…… と叱られもしましたが、 ともかく最終的には億の単位に届く予算をいただけました。
このお金があったからこそ、 海洋温度差発電の 研究開発に大きなはずみを つけることになったのです。
その後、この担当者の方とは個人的にも 親しくおつきあいするようになり、 私は、気にかかっていたことをたずねました。
「最初のとき、 なぜテーブルに足を 上げたんですか?」
答えはこうでした……
あれは山ほどある陳情を 断るための戦術です。 真剣でない人を追い払うための 儀式のようなものです。 あれをやると、たいていの人は 腹を立てて二度と来ない。
学者はプライドが高いから なおさらそうです。 しかし、先生は腹を立てながらも、 何度もやってきた。
計画の中身もさることながら、 その熱意に私は ゴーサインをだしたんですよ…
この担当者の方は、かつて小荘官僚として、 大阪万博のプランを練り、当時は、 新エネルギーの技術開発計画である サンシャイン計画を指揮しておられました。
その後、役所を辞められて、 評論家や作家として活躍し、 「知価革命」 「峠の群像」 といったベストセラーを出し、 経済企画庁長官も務められた経験もあります。 と、書けばおわかりのように、 通産省時代の堺屋太一さんだったのです。
現在、海洋温度差発電が実用化に 大きく前進していることに対して、 堺屋さんはまるで自分のことのように 喜んでくださっています。 堺屋さんとのこの劇的な出会いが、 研究者としての私の人生にとって 大きな契機となったことは言うまでもありません。
この体験から私は多くを学びました。 たとえば事をなすには粘りが大切、 百回やってダメなことでも、 百1回やれば成功することがある。
まして、数回やっただけで、 事の成否を判断するなという点です。 さきほどいったように、 成長するためにはまず何より忍耐が必要です。
また、ダメだと断られた話ほど、 脈があることもそうです。 私が堺屋さんの「戦術」に腹を立てて、 席を立っていたら、海洋温度差発電は 計画のままで終わっていたかもしれません。
《引用終り》
なるほど…こんなこともあるのだと、 何かを通すときには、こうした壁があり、 忍耐強さ、粘り強さも我慢も、 絶対に的に必要なのだと思った話だった。
私などは、1回ダメだと、 がっくりときて、めげてしまうし、 もうダメだ、などとつい思ってしまう。
そして、1回ダメだっただけで、 力がないとか、 こんなことをやっても、 何の意味もないのではないか、 やっても無駄なのではないか、 などと、ついつい思って、 1回で引っ込めてしまうこともある。 あきらめてしまうこともある。
しかし、違うのだ、 何度もやってみる必要があるのだと、 いや、何度もやってみてこそ 答えが見えるものもあるのだと、 逆境の中にこそ、光があるのだと、 この話を読んで、思ったのでした。
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