2008年03月09日(日) |
ひっそりとたたずむ「ありがたいもの」たち |
花粉の飛ぶ量が多くなり、鼻水とくしゃみと 闘いながらウォーキングする毎日になりました。
顔中を隠すような大きなマスクはかかせず、 風のある日は、ゴーグルのようなものも必要になります。 (春は風が強く、ハードレンズの私はゴミに弱く、 しかも、花粉で目の縁がかゆくなるので必要) つまり…簡単にいうと… すごいかっこうで歩いている、 ということです。
でも、やっぱり ぽかぽかの日だまりの中を 歩くのは気持がいい… しかも、木々の葉っぱが ちょこちょこと芽吹いてくるくる様を 見ることができるのは、 とても幸せなことだしね。
そんなワケで、幸せな気持と裏腹に、 すごいかっこうで歩き回っています。 るるる〜なんて自作の鼻歌歌いながらね。
さて、今日は、そんな中で見つけた、 ひっそりとたたずんでいるもの紹介だ。
しかし、ただ、 ひっそりとたたずんでいるのではない。 とてもありがたいもので、 何か深い意味があるものたちだ、 たぶんだが…
まずは、これだ。 それは、こんなところにいた。
「あ、石があるね、 なんだろうね」
などと、興味津々で近づいてみたら、 それは、こんなものだった。
あ、お大仏さまの ちっちゃいのが掘られているぞ、 なんて思って 大急ぎで近寄ってみると…
ほぉ〜 小仏像+手水鉢(ちょうずばち) セットだね (「手水鉢(ちょうずばち)」については 以前のお話を参考にどうぞ)
手水鉢の本体に、 小さな仏像が掘ってあるのだった。
ふむ… これは、なにか、 深い意味があるね。
なんて、思ったが、 手や身を清めて、その上で手を合わせるんだね、 今は、こんな家の前に置かれているけど、 かつては、この家の庭かどこかに置かれていたんだね、 などと至極当然なことしか思い浮かばなかった。
かなり古いものだから大切にされて来たのだろうけど、 ちょっとじゃまになってしまって、 今はこんな人が行き交うところに置かれたのかも…。
私はひっそりと手を合わせて、
「どうぞ、これからも、 道行く私を見守ってください」
と、お願いしてきた。
さて、次はこれだ。 それは、こんなところにあった。 そう、駐車場の脇だ。
ほら、ここね。
近づいてみると、 とても立派な「観音様」であった。
これも、きっと深い ワケがあるんだろうね。
そう思ったけど、 これまたいい考えも浮かばなかったし、 「観音様」の意味もよくわからなかったので、 帰って来てから、 「観音様」について調べてみた。 すると、こんな事を知ることができた。 (私なりにまとめてみた)
「観音様は正式には、 「観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)」(旧訳)または、 「観自在菩薩(かんじざいぼさつ)」(新訳)と呼ぶ。 この言葉の原梵語(サンスクリット)は、 “アバローキテーシュバラ”で、 (とても1回では言えないね) 「世の人々の救いを求める苦悶の声(音)を聞くと、 直ちに救済する」「一切諸法を自由自在に観察する」 という意味で、簡単に言うと、 救いをもとめる者があれば、いろいろな手段を使って いろいろな形を使って救済するという意味がある」
つまり、このお宅では、 「何かの救済」を求めて、 こうして置いているんだと察せられた。 何かあったのかもしれないね。
ともかく、この観音様は、こうして 駐車場の脇でひっそりと、このお宅を 何かから救済しているのだった。
というわけで、 街角にはこうして、「ありがたい」ものも、 ひっそりと置いてあるのでした。 きっと、こうして守ってくれているんだね。
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