2010年10月31日(日) |
いつ何時何があるか分からない |
日記もご無沙汰ですな。 光一さんのソロコン旅行の事を書きたいと思いつつ、何気なく始めてしまったビデオの確認作業でなかなかパソコンすら起動しない日が何日もあったり。 でもこの日起こった事だけはちょろっと書いておかないといけない気がした。何となくだけど。
日曜日しか休めないので、昼ごろまで寝てて。(いつもじゃん) 両親は花買いに行ってくるとガーデニングのお店に行ったと弟に言われた。 じゃあ昼も向こうは適当に食べるよなと思ったので、自分達は自分たちで食す。
でも夕方近くに帰ってくると思ってたのに、いきなり帰ってきた。 そして家に入るなり直ぐにソファに寝っ転がる父親。 なんか見た目具合悪そう。胸押えてるし。 母親も家の中入ってきて「具合悪いんだって。でも病院行こうとしないの」と困り果てた様子。 本人は抑えてれば楽になるからなどと言ってはいるけど、冷や汗かいてるし。 「頭も手も冷たいの。触ってみ」と言われたので触ってみた。 尋常じゃないぐらい冷たい。真冬のパソコンいじくってる時の私の手より冷たい(ただの冷え性じゃ・・・) 人間ってここまで冷たくなれるもんなの?!って感じで。 「早く病院行って診てもらった方があんまり苦しまずに済むよ?」と私が言ったからかどうか知らんが(母親はそうだって言うけど)、素直に病院行く気になったみたいで。 でもそこで自分で運転して病院行くのもどうかと思うけどね。 母親が付き添っていつも行ってる病院行って、15時ごろにメールが来た。 「総合病院に救急車で運ばれた。ハンコ持ってきて」 は?!なんじゃそりゃ?!! でもここで冷静になれる私と弟もどうなんだろう・・・。 こっからだとバスで駅まで行ってあとは歩くか。化粧するからバスの時刻調べといて〜と15分ぐらいでもう家出た。
病院着いても母親の姿が見えなくて、玄関うろうろしながらメールしてみたら迎えに来てくれた。 「手術して、今集中治療室にいるの」 ・・・もう何がなんやら。弟は病院関係というか手術とかとても苦手なので、沈んでましたね。おねーちゃんの方がてきぱき動いてましたよ。 とにかく連れていかれて、ナースステーションの前で書類記入の続きをさせられ、入院に関しての説明受けてようやく患者とご対面。 さすがに手術後直ぐだから、あんまり元気ではなかったけども。 でも喋れたし。医師に言われたこともちゃんと覚えてるようで。
病名【急性心筋梗塞】
心臓の・・・あれ、なんて言う動脈だっけ??とにかく重要な動脈が完全にふさがってたんだと。 だから血液を通すためにリングだか何だかを入れて、流れるようにしてくれたと。 母親が医師にパソコンで見せられた画像はもう一目瞭然だったそうですよ。 見てみたかった・・・。 心電図撮ったらすぐさま救急車呼ばれたそうで。で、懇意にしている循環器系の医師(相当権威のある医師らしい)と連絡が取れたから、総合病院に運んで直ぐに手術と物凄い連係プレーで一命を取り留めたようです。 もうちょっと遅かったらダメ(死)だったって。 な・の・に!本人ケロッとしてて。 オマケにタバコはぜーったいにダメ!って言われたのにも拘らず、退院したら吸う気満々。アホかー!!! 本人に病人という自覚が無いのが憎たらしい。 前兆が9月ぐらいから有ったらしいので、糖尿病の薬貰いに行く時に診察してもらえばよかったのに。
で、一旦家に帰って、いつも飲んでる薬と入院するのに必要な物を揃えて、再び病院へ。 この時は弟は一緒に行かなかった。なんかこっちも具合悪そうだった。
こーゆー時っていつも私が母親に付き添ってくのよね。 ばーちゃんの時もそうだったし。 ここ近年、秋になると必ず何かが起こる我が家。 「呪われてんじゃね?」と母親に言ったら「そうだねー」と妙に納得してくれた。こんな会話はこの二人じゃなきゃできない会話。 父親の自宅療養&プチリフォーム、ばーちゃんの具合急変&他界、私が怪我して入院、父親の教育入院、で今回の父親の心筋梗塞。
病院着いて荷物置いて、父親の手を触ってみた。 昼間と全く違う。ちゃんと暖かかった。血が通ってたよ。 そこでやっと一安心できたかな。
木曜日に担当医師が巡回診察に来るから、そこで退院かどうか判断するそうで。 看護師さんに「ご家族の方は11時ぐらいに来てくださいね」などと言われたので、私も行くの?と母親に聞いたら「・・・休める?」 ・・・はいはい。 なので、私も一緒に医師の説明を聞くようになってしまいました。
とりあえず先週じゃ無くて良かった。 名古屋&仙台行ってる時じゃたまったもんじゃない。
で、本気で運転の練習しないといけなくなってしまったよ・・・。
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