暴かれた真光日本語版
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2005年04月29日(金) スレ47-3

389 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/02(月) 20:11:37 ID:KatKQcex
>>363
>継走は、だいたいメール使いますし、インターネットも特に禁止されてませんよ?

真光に恐怖心を植えつけられている人は、気にせずネットサーフィンを楽しめても
果たして「真光」という単語をネットで気軽に検索できるのでしょうか?

神を疑うことは邪霊に操られている、神様から離れている証拠と
言われつづけ、オミタマを開けたら失明した人がいる
真光隊同士でラブホテルに行ったら、帰り道事故に合い首が切断され死亡した

なんて話が実際に真光隊内では言われ、皆信じていましたよ。本気で。
そんな人たちがネットで「真光」を検索し、真光批判に触れることは
「神を試しているのでは」という罪悪感に襲われなかなか難しいことではないでしょうか。

言葉ではネット禁止していないとは言っても、実際洗脳の効果によって
ネットで真光を検索する行為は、組み手にとって敷居が高いと思います。
純粋に信じている人ほど


402 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/03(火) 00:09:52 ID:XOxysDGj
さて、日中に出ていたオマージュについてまじめに話したいのですが、つまり真光の教えに、本当に先達の宗教団体に対する敬意があるのか、ということについてです。

真光にはこの教えがありますよね。これはとある真光掲示板の書き込みのコピーですが、

「人類は、歴史上、「正神の神様」に対して大変な御無礼をしてしまっており、龍体化した「正神の神様」を殺して、「煎り豆に花の咲くまで出て来るな。」という永遠に出て来るなという意味の呪文を言って、煎った豆を投げ、目を刺し、臓物を食べてしまいました。
今でも節分の「豆まき」・お正月の「お雑煮」の風習として残っています。」

「正神の神様」がユダヤ教、キリスト教の「ヤ−べ」・「エホバ」の神様、イスラム教の「アラー」の神様です。
非常に善悪・正邪の立て別けの厳しい神様です。この神様がその後「天の岩戸」にお隠れになられ、「副神の神様」が神界の政治を担当する事になりました。
やさしくて善悪・正邪の立て別けはあまり厳しくない、「福神の神様」が神界の政治を担当する事になり、地上は自由に欲心を発揮出来る様になりました。」

この「煎り豆に花の咲くまで出て来るな。」「雑煮、豆まきの風習」「厳しい神が封じ込められ、厳しくない神の統治が長かった」というのは、これはまるっきり大本教の教えです。

大本教では、「国常立尊(くにとこたちのみこと)」という古代において世界を統一していた神が、反逆の神に殺され、肉体は内臓を煮て食われ(内臓煮→雑煮)、霊は「煎り豆に花の咲くまで出て来るな。」の
呪いの言葉で艮の方角に閉じこめられ、艮の金神として、たたり神という扱いでいたのを、ついに時期が来て世に現れ、教祖の出口なおにかかり、世直しを大宣言したというのが大本教の始まりです。

ちなみに、大本の出口なおに国常立尊がかかったのは、明治25年(1892年)の一月一日(これは旧暦、新暦ならば節分の日)です。昭和34年ではありません。

「非常に善悪・正邪の立て別けの厳しい神様」というのも、世界救世教で教えている「国常立尊」の印象と同じです。


403 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/03(火) 00:11:53 ID:XOxysDGj
それで、真光における「正伸」「火の神」とやらも、「煎り豆に花の咲くまで出て来るな。」で封じられ、それが「雑煮、豆まきの風習」に残ったということなんですよね。ご性格は「非常に厳しい神」だと。

それでは、真光の「正伸」「火の神」とは大本の「国常立尊」と同じ神なのでしょうか?もしそうなら、なぜ昭和34年にいちからやり直すようなことをしたのですか?

これは「オマージュです」ですまして良い話ではなく、この教義を説く真光には、それを答える義務があると思います。(まあもっとも、「パクリです」なら、それで済ませてよい話です。)

真光の教えがオマージュだというなら、つまり先の教えに対して敬意があるというのなら、例えば、この「まるっきり同じ神話のストーリー」をもった先達の宗教の重要神、国常立尊との関係を説明する義務があると思います。
教祖の岡田光玉が、大本教を研究していたことも明白なわけですし。


404 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/03(火) 00:14:32 ID:XOxysDGj
よくこのスレで、「宗教というのは、別の宗教の教義を元に新しい教義を作ることを繰り返してきたので、パクリなど宗教の世界では当然のことなのだ」と書く人がいますが、こと、真光の件に関しては、それは適切な説明ではありません。

他の宗教をもとに新しい宗教を作ったという宗教の歴史において、例えば大本では、「いままで艮の金神は民間宗教でたたり神とされてきたが、実は国常立尊という古事記や日本書紀にも出てくる偉い神様だったのだ」というふうに、
たとえ元の宗教から見たら勝手な独自解釈に見えたとしても、それなりに続きの理論やストーリーがあり、神様の系統をその宗教なりにつなげつつ、「新説、新解釈」を教えるというのが一般的な宗教の姿です。

それ以外は、まったく新しい神様が出てきて、まったく新しい教えを説くというものもあります。

しかし真光の場合はそのどちらでもなく、「昔の宗教の独自のストーリーや教義をそのままもらうが(パクルが)、神様の系統は切断する。無関係にする。まったく新しい神様ということにする」ということを行っているのです。
こんなことをやっている宗教はそうそうないのではないでしょうか。

つまり「昔、神様に封じ込められて、炒り豆に花が咲くまで出てくるなと言われて、それが節分や雑煮の風習として残っていて、それがいよいよ世に復活して世直しをする。そんな厳しい性格の神様は?」というなぞなぞは、宗教界では「大本教の国常立尊」なのです。
これは「業界の常識」です。しかし、この神話をまるまる取ってしまい、「それは真光の正伸です。国常立尊?知りませんそんな神」というのでは、それは批判も受けるのも当然だろうと思うのです。


406 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/03(火) 00:17:03 ID:XOxysDGj
ここまで書いて、あることを思い出しました。

実は私は、昔、ある宗教関係者から、「真光というのは新宗連でまともな宗教として相手にされていないのだ」と言われたことがあるんです。
ただ、そのとき、その人に「その根拠を教えてください」と問うたところ、返事がありませんでしたので、私は、その人が言っていたのがそのまま真実だとは思っていません。
しかし、上記のように「他の宗教の教義のストーリー部分だけをオマージュし、それを自分たちの独自の神のストーリーにしてしまう。過去の宗教はなかったことにしてしまう」
というようなことをしているのでは、「新宗連で相手にされていない」というようなことが本当に起こったとしてもおかしくないのではと思うのです。

分派元と分派先は、教義上はつじつまが合わなくても、団体としては仲良くやっていくということもあるのです。
新宗連とは教義的には互いにつじつまが合わない団体同士で仲良くやっていこうとする、まさにそういう世界です。
大本と世界救世教も、教義的には相容れないのですが、実際には団体として交流があります。

でも、「教義のストーリーだけもらいましたが、神様としては全く別物です」というところとは、おつきあいしたくない気持ちになるのはわかる気がするんです。

とくに、上の教義の場合、手かざしのオマージュならばもともと世界救世教に分派が多いのでごまかしも効きますが、他に類例がない大本教の神話を
まるまるもらってこちらの神の神話にしているのは、「オマージュです」なんて言ってもごまかしがきかないと思います。

真光がやっている「オマージュ」は、それまでの宗教が行ってきた「分派」や「新説」「新解釈」などとは、全く違う物です。
いろいろな宗教の教義や神話のストーリー部分などをあちこちから「切り貼り」をして、それを新しい宗教として、自分がオリジナルだと言って、世に出しているのです。

これは、オマージュと言うよりコラージュと言えるでしょう。


409 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/03(火) 00:47:23 ID:XOxysDGj
新宗連とは新日本宗教団体連合会のことです。

上の話では、「新宗連で相手にされていない」と書きましたが、もしかしたら、
「日本の宗教界から相手にされていない」だったのかもしれません。
どっちにしても、「宗教業界の中で相手にされていない」という説明でした。

それに対し、「その根拠は?具体的にどんなことがあったのか?」と質問しましたが、
返事がありませんでしたので、その人の話自体は私も信じていませんが、でも、
こんなこと(オマージュ?)をしていたら業界のつまはじきになっても
おかしくないだろうというのが、上の文章です。


410 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/03(火) 00:49:52 ID:75O8vDhu
>>389
>言葉ではネット禁止していないとは言っても、実際洗脳の効果によって
ネットで真光を検索する行為は、組み手にとって敷居が高いと思います。
純粋に信じている人ほど

ドウーイ。ネットやってもなかなか真光を検索できなかったし
2ちゃんねるをやっても心と宗教板にはこれなかった。


433 名前:2週間前に辞めた元組手 投稿日:2007/07/03(火) 02:05:08 ID:l1qka0uz
今度の参院選で大分の組み手「えとうせいいち」を(郵政民営化反対して
復党問題で騒がれた人物)当選させたいとの事で一人6枚チラシと署名用紙
が配られました。

「指導部推薦らしい・・・・・」。w

それと、地元の日本新党の組み手のF氏の応援で今月中、S K氏が県内のある三道場
を応援演説で回るそうです。

崇教では自民等を推薦しているが、K氏とは縁が深くて断れないとか・・・・・
さすがの組み手も創価みたい担ってきたとうんざりしてました。


495 名前:2週間前に辞めた元組手 投稿日:2007/07/03(火) 23:37:28 ID:l1qka0uz
>オマージュせしめ

なかなかいい表現だとおもう。

>>310 >あのね、ぱくりじゃないのオマージュね道化。

これの何所が「言い切ってない」わけ〜?(笑)
自分の言った言葉に責任も持てないところは
さすがに、その場限り・言い訳三昧・嘘吐き真光信者だね。(笑)

>それに神様よりネット禁止されてないから。

はぁ?真光ではネット禁止だよ(笑
ネットや雑誌などの媒体は、「邪霊の魔語」と言われ
見る・読むと「曇るから」、見るな・読むなと言われているぞよ。
そんなことも知らずによく組み手やってられるねぇ。

もしかして、もぐりかよ(笑

てか。電波発信中だから仕方ないか。


646 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/06(金) 00:58:23 ID:fh+BvbIe
源伸さん。お返事が遅れました。

>>274
>>102
>>196

>ご質問が真光問答にありませんでしたので、
>昨日から真光のご神書を7冊ほど調べておりました。
>鎮魂の業
>出所:「岡田光玉師 御対談集」P205
>「鎮魂の業をやると、どんな暴れた霊でもおとなしくなります。」

お調べ頂きありがとうございました。真光のご神書を7冊ほどをみても、資料の中でこの一文だけが、
浮霊者の安全を守る教えということになるようですね。

ずっと考えていたのですが、もう一つ質問させてください。
こういう教えはありますか?

「真光の業により浮霊した霊は、決して嘘をついたり騙そうとする行動をとることは出来ない。」
というような教えです。

また、現実的に、浮いてきた霊は一切嘘をついていないですか?

源伸さんに限らず、おわかりになる方のご返答をお待ちしています。


682 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/07(土) 11:56:31 ID:E9nBitLB
>>274
鎮魂の業ってあるけど
大本では今でも鎮魂はやってる。帰神(浮霊)を封印しただけ。
その鎮魂が効かなかったから懸かった霊が被験者を線路まで連れて行き
電車に轢かせたんだろが。「おしずまり」と「鎮魂」以外に無いわけ?


749 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/08(日) 20:10:49 ID:j/r96+KZ
これは別スレで似たような書き込みに対して行った返答を再書き込みした物です。

>>745
>自分の所よりも手かざしが有名になっちゃったから悔しいんだろうな、急逝教の連中は(ー。ー#)

面白い話題ですね。実は、世界救世教の教えで、いわゆる「ニセモノ」は気にしないというのがあるんです。

昭和27(1952)年10月8日

> その宗教が隆んになるとよく贋物が出たがる。本教なども今までにそういう事が時々あるので、
> その都度私はいうのである。宗教も化粧品と同様、売れると贋物が出るもので、贋物が出る
> くらいなら世の中から認められた証拠だから、むしろ結構ではないかと笑うのである。

こういう教えがあるので、救世教が真光を組織的にたたくということは、まあ、ないんです。
真光というのがパクリだろうがオマージュだろうが、世界救世教という宗教では別に気にしていないわけです。

ただ、私がここ数週間、真光系スレに出てきて救世教関係の情報を流している理由については、以前も書きましたが、
批判派も擁護派も、どちらもまるで救世教の事をそんなに知らないのに、いっぽうは「パクリだ」、
もう一方は「違うに違いない」というやりとりが、もう延々と何年も続き、まるで進展していなかったので、
もうちょっとなんとかならんかということで出てきているのです。

だから私が気にしているのは、真光という宗教自体というより、このスレの進行度合いのほうなのです。

ところで、上の教えの全文は、以下のリンクから読めます。

自由なる信仰
http://www.geocities.jp/rattail567/shi/jiyunaru.htm

この教えは、おそらく、世界救世教と真光とが「似ていない」部分の教えになっていると思います。
興味がある人は読んでみてください。


751 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/08(日) 20:25:03 ID:j/r96+KZ
>>749
スペースが入ってアドレスのリンクが正常ではなかったようです。

自由なる信仰
http://www.geocities.jp/rattail567/shi/jiyunaru.htm


753 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/08(日) 20:34:43 ID:j/r96+KZ
>>652

この文章はコピペでしょうが、これに返信させてもらいますと、

> 手かざしにしても、古代の歴史にしても、尊い先人達が苦労をなされた歴史があると私は思っています。
> この先、人達の研究の素晴らしいところを学んで、より素晴らしいものにしていくことが、後に続く私
> 達の使命であるように私は思うようになりました。その意味で、「パクリは大いに素晴らしいこと」と
> 私は思っています。

はたして、そのような「先人たちの苦労に対する尊敬の念」が真光にあるのかないのか、その疑問と私なりの考えを、>>402-406 >>409 に書きました。

それで、>>749 の「自由なる信仰」

http://www.geocities.jp/rattail567/shi/jiyunaru.htm

に掲載されている文章

昭和27(1952)年10月8日
> もしメシヤ教(救世教)以上のものがあったとしたら、いつ転向しても差支えない。
> 決して罪とはならないからで、本当の神様ならその人が救われ、
> 幸福になりさえすればそれでいいのである。

の通り、もし真光が世界を救うとかたくさんの人を助けるなら、それはそれでいいんです。

でも、いまのままだと、信者が増えれば増えるほど、この教えの根本に「ぱくり」なり「オマージュ」なりがあるということで、
自分は騙されたのだと非常にがっかりしたり、教祖や、根本を疑ったりと、そういう目に遭う信者もどんどん増えていくということになるのです。
現に、このスレに書いている元組み手というのは、実際にそういう経験をさせられた人たちなのだと思います。

だから、「オマージュ」でもなんでもいいですが、真光は、教義の出自を明らかにし、認めることです。
それをしない限り、真光がもし今後世界的な宗教になったら、パクリ論争も同様に世界的になるということになります。


754 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/08(日) 20:48:31 ID:j/r96+KZ
>>661 >>663

>>「真光の業により浮霊した霊は、決して嘘をついたり騙そうとする行動をとることは出来ない。」
>>というような教えです。
>>また、現実的に、浮いてきた霊は一切嘘をついていないですか?

>そのような教えはありません。むしろ逆のことをおそわります。
>「御霊は嘘をつくことがあるので気をつけるように」的なことを言われていました。

>また「浮霊者の安全を教義で保証しているのか」についてですが。
>実際問題として2階以上の御神前では浮霊がきつい人のお浄めのとき、危険防止に窓を閉める
>という指導もあります。浮霊による飛び下りを警戒してのことです。


ご返答ありがとうございます。
「浮霊は嘘をつく事が出来る」
「(業だけでは安全性を保証しきれないため)人間による危険防止措置をとろうとしている」
ということですね。これについての異論はありませんでしょうか。

>さらに、真光は布教活動の際に路上でお額のお浄めはしません。
>理由は、浮霊してもしものことがあってはいけないからです。

昔は駅前などでやっていたそうです、この「昔」というのは、おそらく1970年代末から1980年代初頭ぐらいをさすと思います。
東京の大きな駅で、当時を知る人の話によると、駅前にござだか畳だかをひいて、通行人に真光の業をさそっており、
あるとき通行人の浮霊が、おしずまりをかけても治まらず、そのまま病院に直行となり、それ以来、駅側は、
真光布教を許可しなくなったということでした。


758 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/08(日) 21:33:06 ID:+sA2Qr74
〜〜

>>757
おみたまみたいなカルトアイテムが大本にも救世教にもあるのか!?
それとも真光だけがカルトアイテムな使い方してるの?


760 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/08(日) 21:57:13 ID:onLlC8M/
>>758
カルトアイテムがどうかわかりませんけど。

御手代は、大本の出口王仁三郎の「御 手=手当て=手かざし」の代わり
に、王仁三郎が拇印を押し、手掌を形どった「杓子」を信者に渡したもので、
沢山の信者に「手当て」をする代わりに、王仁三郎の「拇印付きの杓子」で
神へお取り次ぎをして病をいやしたと思います。

救世教では、「浄霊」するときに、「お光」というお守りを身につけて行います。
でも、救世教の教組は、本当は「お光」がなくても浄霊はできるといっています。

三日の研修で誰にでも手かざしできる「小イエス化」と言ったのは、崇教の救い主様
が最初だと思います。


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