暴かれた真光日本語版
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2005年04月26日(火) スレ48-2

460 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/22(日) 19:46:13 ID:yQwAH6ot
■真光の業が、>>452-457でいうほど危険な業に思えない人に■

私は長年真光をやっているが、とくに目立ったトラブルをみたことがあるわけではなく、私にはそんな危険な業には思えないという人に。

本当に殺意を持つ霊が浮霊したならば、浮霊したとたん隠し持っていた刃物でのどを突くとか、いかようにでも浮霊者を殺害することは簡単です。
それが、霊がさまざまな理屈をいって、結局殺害できないことが多いように見えるのはなぜか?という疑問を持っている人に。
このスレでの基本的な真光批判がその答えになる可能性を示しておきます。

[1] 真光の浮霊は実は自己催眠。

真光が催眠術にすぎないというのはこのスレでたびたびいわれることですが、自己催眠ですと、自分の潜在意識が語っているわけですから、自分は当然自分の体を護ろうとする働きがあり、自分の体に危害を加えることはまず起こりません。
催眠術師も、その人自身に危害を加えるような催眠をかけることは難しい、不可能だと説明するのをたびたび聞きました。


[2] 真光の浮霊は実はバイト。

真光で浮いてくる霊は、実はその人に恨みがあるのでもなんでもなく、真光に雇われて殺意があるような演技をしているだけのバイトの霊である可能性です。
つまり、霊界での真光教団が、現界の真光という宗教を広めたいために、霊を時給で雇い、浮霊現象を起こして、オカルトマニアの興味を満足させようとしているだけということです。
これならば、殺意があるならば簡単に殺害できる浮霊者を殺害しない理屈がとおります。
さまざまな宗教の切り貼りの教義であっても、それにあわせたことを、憑霊がしゃべるのも、雇われたバイトならば確かにそうするでしょう。


461 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/22(日) 19:52:30 ID:yQwAH6ot
>>460
> [1] 真光の浮霊は実は自己催眠。
> [2] 真光の浮霊は実はバイト。

「そんな馬鹿な!そんなことはない。真光の神が、組み手を守っているから事件が起こらないんだ!」
→「だって、神が浮霊から浮霊者を守るから安心してどんどん浮霊させよという教えはないんでしょ?」


※「真光の浮霊はバイト」ギャグなのに擁護が粘着


609 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/25(水) 00:28:55 ID:D/mnjRKK
>>608

>貴方は安全性のない教義に裏打ちされてないあやふやな業と批判すんのか?

それは、私が批判しているというより、社会からそういう風にみられても仕方がない状態だということを言っています。

★真光は、浮霊の危険性を解決していないばかりか、自らの教義においても安全性を保証していない。★
>>452-461 (含む「浮霊はバイト」)
★大本の教義のパクリはオマージュでは済まない★
>>448
★オリジナルの御聖言には「手をかざせ」が無かった★
>>451

この3つとも、社会や信者に対して、最低限、教義という形であっても説明をする道理的義務がある物なのに、
していませんよね。それでは、真光は、社会的に信用が得られないですよね。ということです。


621 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/25(水) 00:56:42 ID:D/mnjRKK
>>617
>「崇 教」は、「宗 教ではありません」を地で逝ってますね(失笑!

ちなみに、ウチの宗教は、宗教ではなくて○○だ。というのも、
岡田茂吉が言っていました。岡田茂吉が言っていたのは、
「本教は宗教ではなくて超宗教である」ということです。

この「超宗教」という言葉は、現代の若者言葉の超○○だとすると、
「すごい宗教」という意味になりますが、岡田茂吉が言ったのはそういうことでは
ありません。宗教の活動範囲を超える救いの業であるという意味です。

ともかく、宗教ではなくて○○だというのも、救世教の宣伝文句だったということです。


627 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/25(水) 01:27:06 ID:D/mnjRKK
>>625
> >>621
> その話は始めて聞きました、情報提供サンクス!

大本教がそういう宣伝文句を使っていたかどうかは知りませんが、救世教では間違いなく大々的に使われていました。
おそらく、岡田光玉氏も、救世教の布教師時代に、この宣伝文句を使っていたのは間違いないでしょう。


636 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/25(水) 12:27:51 ID:Q02XWLcC
1000人程度の道場(実質は300人?)で数年の間に二人も癌の手術もせずに
亡くなる人を見るとね。
どちらも発見時は初期だったのに・・・

殺人宗教だな。


657 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/25(水) 23:38:01 ID:D/mnjRKK
>>646

> 崇教真光の「崇教」という言霊は、世界救世教のパクリなんだって。
> 名前からしてパクリですか?

さすがにそれは違います。崇教という言葉を岡田茂吉が言ったことはありません。
私が昨日書いたのは、「本教は宗教ではなく○○である」という物言いが救世教で行われていたということです。
だから似ているのは「言霊」ではなく「宣伝方法」だと思います。


669 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/26(木) 00:45:01 ID:2FA2vbbM
>>667
>つまり、「宗教」でなく宗教を超えた超宗教は「崇教」だと崇教真光
>は言っていますが? これとは、矛盾してます。 

質問ですが、真光の教えでも、超宗教という言葉は出てくるのですか?


687 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/26(木) 01:22:49 ID:XWbz172u
>>669
>質問ですが、真光の教えでも、超宗教という言葉は出てくるのですか?

うろ覚えですが「祈言集」のどこか又は「御聖言」の序あたりに
「元主(もとス)初(始?)(はじま)り神(カム)は〜」に始まり?「〜〜即ち超宗教界のもの」
という一節が有ったと記憶しています。文は「幸への誇り」?
「祈言集」の他の文章かもしれません。同一文中に「神理(真理)の充満界」?
ただうろ覚えです。

どこかはともかく「〜〜即ち超宗教界のもの」は覚えています。
此の文以外にも「超宗教」は勉強会等で普通に出た言葉だったと思います。


692 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/26(木) 01:36:13 ID:2FA2vbbM
>>687

なるほど、真光の教義では霊界だか神界だかに「超宗教界」というのがあるんですね。世界救世教の教えではそれはありません。

なお、もう一つ情報をお伝えしておくと、よくこのスレで出る「真如とは『真の如し』と読み、真理そのものではない」というのは、岡田茂吉が言ったことです。

本教は神道か仏教か
昭和24年5月31日
http://park21.wakwak.com/~shippo/goronbun/ho/honkyo19.htm
> ここで神と仏について説明するが、何千年前世が替った時があって、
> すべての神々は仏として化現された、例えば月読尊は阿弥陀如来となり、
> 天照大神は大日如来と、稚姫君尊は釈迦如来と、伊都能売神は観世音菩薩と
> なったようにである、この期間が夜の世界でいわゆる真如(しんにょ)の世であった。
> よく仏教では真如実相というが、真如は真如の月すなわち夜の世界で、実相は昼の世界で
> あるから、今までは真如を上に実相を下にしたのである、真如とは読んで字の如く
> 真の如(ごと)しで真ではない、釈尊が仮の娑婆といったのもそういう訳である、
> 仏滅の世が来るといわれたのもその意味である、ゆえに今度霊界が転換すれば
> 昼の世界すなわち実相世界となるのである。

これは、岡田茂吉の思想である「夜昼転換」ということと関係があります。
釈迦は自らの教えを、「真如の月の教えである」と言ったらしいのです。これは、別の仏教の教えでも
学んだので、たぶん間違いないと思います。月の教えとは、世界を夜にたとえて、足下を照らすわずかな
光という意味での表現です。岡田茂吉は、時代が昼に変わったので、太陽が出たら月の光は必要なくなる
ということを言いました。『真の如し』はおまけ的な表現で、「月の教え」ということのほうが重要なようです。

そして、大本教では、おそらく「真如は『真の如し』である」という教えはないように思います。
大本の教えの中に、自分たちの教えを「真如の教えである」と書いているのを時々みるからです。

従って、「真如は『真の如し』である」というのは、岡田茂吉のオリジナル的な発言だといってもよいと思います。


701 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/26(木) 01:47:08 ID:2FA2vbbM
>>694
> 真光では、真光は既存の宗教を超えた「崇教」でそれ以外の宗教を
> 「真如の教え=偽の・仮の」教えとして「下」に見ています。

救世教では、霊界が夜の世界だった関係で、真理を出そうとしてもはっきり分からなかったとしています。
つまりそういう時代だったので仕方なかったということです。
そして、昼の世界になると、それら仏教や、それ以外の「夜の世界の宗教」も、ついに時機到来で、
その本願であるさまざまな目的を果たせるようになる。ということを説いています。


702 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/26(木) 01:49:46 ID:2FA2vbbM
前回の「本教は宗教ではなく○○である」、今回の「真如の教え」など、
真光と世界救世教とは、手かざしとかの大きな部分以外にも、上記のように本当に
細かい言い回しでも、よく似ているところがあるのです。

今後も、そういったものを気づき次第お知らせしていこうと思います。


708 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/26(木) 18:47:52 ID:2FA2vbbM
>>702
> 真光と世界救世教とは、手かざしとかの大きな部分以外にも、上記のように本当に
> 細かい言い回しでも、よく似ているところがあるのです。
> 今後も、そういったものを気づき次第お知らせしていこうと思います。

前スレから本スレにかけて出てきた、「真光と世界救世教が似ている細かい部分」をまとめました。


★わずか三日で「小イエス化」 ★
■真光
真光では、わずか三日の研修で誰にでも手かざしできるようになり、「小イエス化」 されるとしている。
■救世教
岡田茂吉存命時は、救世教の入信教修は3日というのが標準であり、当時岡田茂吉は、「わずか3日の教修で、医学博士を超える治病力、キリストを越える奇蹟の力を得ることが出来る。」と宣伝していた。
小イエスというのは真光の造語だろうが、元は岡田茂吉の宣伝から来ていることが分かる。
※岡田茂吉の発言の例
「その一例としては、僅か三日間の教修によって、キリストと同様の奇蹟を現わし得る力を人々に与えている。その弟子すでに数十万に及んでおり、なお益々増えつつあるにみても分るであろう。」

★ご神前に「大黒像」によく似た「伊都能売神」★
■真光
真光では、神前に大黒様によく似た「伊都能売」と名付けられた神様を祭っている。
■救世教
日本において伊都能売の神を信仰する宗教や神社は皆無であり、この神を教義上発掘した大本教であっても重要としておらず、主神に準ずる重要な神としている宗教は救世教だけ。また、ご神前に大黒様を祭るのも救世教の習慣。
この二者が混ざり合って「伊都能売という名前の大黒様のような神様」というのが出来てしまったのだろう。
※救世教の神前の様子
http://izumo.cool.ne.jp/shuken/katsudou/2daisama/gojunkyou.jpg
このように、御神体の横に大黒様を祭るのが救世教の標準的な神前の構造だった。


709 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/26(木) 18:49:54 ID:2FA2vbbM
★本教は宗教ではない★
■真光
本教は宗教ではなく崇教である。という。また、超宗教という言葉が使われている。
■救世教
岡田茂吉は、本教は宗教ではない。超宗教である。と宣伝をしていた。崇教という言葉は真光による造語だろうが、元は救世教の宣伝方法から来ていることがわかる。
※岡田茂吉の発言の例
「それについて私がいつも言うごとく、本教は宗教ではない、超宗教であり、大いなる救いの業である。」

★真如の教え★
■真光
いままでの宗教は「真如の教え」といい、「真の如し」という意味で、仮の教え、偽の教えであったとする。
■救世教
岡田茂吉は、「仏教は「真如の月の教え」であり、夜の世界の教えである。「真如とは『真の如し』と読み、このことからも真理そのものではないことがわかる」と言っていた。
真如=『真の如し』」は、語源や仏教の解釈とはまったく違うのだが、違うということは、それを言っているのは岡田茂吉のみという証拠でもある。
※岡田茂吉の発言の例
「仏教はいつもいう通り、真如の教えすなわち月の教えである。」「それをお釈迦さんはちゃんと言ってます。「真如」ということを言ってますが、「真如」というのは、真理ではないので、真理のごとくというのです。」
「釈尊は、仏教の真髄は真如だと言った。真如とは、真の如し、即ち、真理のごときものであって真理そのものではないという事である、いわば、真理が現われるまでの、仮定的、第二義的のものであったという意味である。」


710 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/26(木) 18:55:46 ID:2FA2vbbM
なお、このスレで、なぜ他宗教と似ているのかという問いに対し「真理は一つなのだから、他の宗教と似て当然だ」というようなことを言ってきましたが、
ここに並べた特徴は、「世界救世教だけの特徴」であり、他の宗教では言っていないことばかりです。「手かざし」「薬毒論」も含め、
他の宗教では言っておらず、「(教祖存命時の)救世教だけの特徴」だったことを、真光は見事に継承しています。


711 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/26(木) 19:07:50 ID:2FA2vbbM
あと、真光ではこのような事はいっていませんか?(似ていそうな発言の予想です。)

「名前は仮に付けた」
世界に前例がない救いの業なので、名前の付けようがない。だから仮に○○とつけている。

岡田茂吉の発言
「右のごとくであるから、いつもいう通り本教は宗教ではなく、超宗教といってもいいのである。
そうして宗教とは読んで字のごとく、宗祖の教えであって、教えによって人心を済度するのが建前となっているが、
前記のごとく本教は教えは第二第三で、浄霊によって人を善化するのであるから、第一手数も時間もかからずして、
効果百パーセントという訳である。実に宗教以上と云ってもあえて過言ではあるまい。
そんな訳で今は適当な名前が見当らないので、仮にメシヤ教と名づけたまでである。
これも今までにこのような素晴しい救いがなかったから名称もないので、また止むを得ないといえよう。」


712 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/26(木) 19:38:18 ID:2FA2vbbM
「陽光子の統一真光BBS」に、こんなことが書いてありました。

> お代理さまのご教示にも「日の神の光でしか真の浄化は出来ない…」とのお示しもあるように、

この、「日の神の光でしか真の浄化は出来ない…」というのも、救世教の教えから来ていますね。

岡田茂吉の発言の例 昭和23年4月8日

> いままでの療法は患者の病気を引きうけるのです。御木徳一が「ひとのみち」を始めたのは、徳光教の金田徳光のためです。
> この人はそうとう偉くて奇蹟をいろいろやったんですが、それが御木の喘息を治した。
> ところが御木のほうはすっかり治ったが金田が今度は一カ月ばかり苦しんだ。そんなことから御木は「ひとのみち」を作ったんですが、
> こういうのをお振替といって他人の病気を自分が背負って苦しんでしまう。で、毎月二十五日にそれを神様にとってもらう。
> まア苦しみを神様にしょってもらうんです。あれはこんなふうにしていましたがだんだん病人が多くなり、苦しみも一人でしょいきれなくて
> 準教祖というのを十人くらい作ってました。いままでのはみな引きうけるんです。それは神は月の系統であって水で治す。
> まア洗濯のようなものです。だから水は汚れてしまう。ところが私のは火で燃してしまうんだから自分は汚れず、病気をしょうどころかやればやるほど丈夫になる。
> それはあんた方がやって、判るでしょう。火を使うのはいままでなかった。霊界が昼になった証拠です。


717 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/27(金) 00:23:49 ID:f8wfmls2
>>713
> 埼玉県の和光布教所長を務めた世界救世教の刊行物「岡田茂吉全集」著述篇第5巻付録8頁19行〜9頁7行に、
> 世界真光文明教団の岡田光玉氏が教団の布教師であった ことが明記されている。

この文章、テンプレート化しといたらどうですか?

(岡田茂吉全集著述篇第五巻付録8頁19行〜9頁7行)

私(※1)は天国会(※2)移籍後、西萩窪の支部で助手をしておりましたが、そこに名古屋の知多方面で布教をしていた岡田仲道氏(※3)が支部長として赴任してきました。
四十八歳の岡田氏は一つの風格を持っており、その指導に多くの人が集まりましたが、岡田氏は霊的現象に段々と傾倒してゆきました。

明主様(※4)は霊的現象の取扱には注意をされておられましたので、私は岡田氏に忠言をしましたが、逆に岡田氏は私を避けるようになり、私は遂に意を決して中島先生(※5)に指導を求めました。
先生は「岡田にやらしときなさい」、小生「このままにしておいたら信者が迷う」と申しましたが「やらしておけばよい。貴男は本部に来なさい」と言われ、私は天国会本部に入ることとなりました。

後に岡田氏は国分寺に移転しましたが、後に教会から解雇されました。数年後彼が、世界真光文明教団の教主になったのには大変驚いたものです。


※1 この文章はこの方の布教体験を綴られたものである。
※2 天国会: S界救S教での二大勢力の一派。
   光玉氏は天国会の博愛教会所属であった。
※3 岡田仲道(おかだちゅうどう)氏: 岡田光玉氏のこと。
※4 明 主 様: 岡田茂吉氏のこと。光玉氏と茂吉氏は血筋
   関係ではない。
※5 中島先生: 天国会の会長。岡田茂吉氏が大本在籍当時から
   茂吉氏の弟子として仕えた。中島氏は大本時代より霊的事象
   に関心が強く、それに光玉氏も強く影響を受けているようで
   ある。


718 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/27(金) 00:33:30 ID:96YRC3TN
・・・崇教真光誌 2005年10月号 P21に・・・

・・・・人類危機の来たらんことを明治時代に予告したのが
大本教の出口ナオでした。
「コロリ コロリの世がくるぞよ!」と警告されたのであります。・・・・
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人類初の救いの業が真如の教えのパクリだと認めたのか? 開き直りか?
どっちにしても御神業しないと「コロリと死ぬ」と脅迫している事は確かです。
既存の宗教を超えた崇教(超宗教)は、ご利益よりも恐怖を植え付ける様になりましたね。
脱会した人は平和に過ごしているのにね。


日記作者