暴かれた真光日本語版
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2004年10月19日(火) 「宗教の火遊び 心の危機からいかに身を守るか!」/「気功 その思想と実践」

「宗教の火遊び 心の危機からいかに身を守るか!」/「気功 その思想と実践」


■■■ 真光関係者集合!!(33)■■■
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486 名前:名無しさん@3周年 投稿日:04/12/23 11:38:10 ID:JSRmVZbH
「宗教の火遊び 心の危機からいかに身を守るか!」溝口敦 小学館 1996/07出版
ISBN:4093893942
崇教真光の万能の手かざし p30-37
 立命館大学の安斎育郎教授は広く「超能力」を科学していることで知られている。
 なにしろ東大奇術愛好会の第三代会長だったとかで、みずから手品を駆使して念力、
透視術、テレパシー、心霊術などを「自然科学概論」の授業で実演、学生たちの度肝を
抜いた後、おもむろにタネも仕掛けも明かして、科学する心を教えていく。
(中略)
 安斎教授は手かざしをどう見るのだろうか。前記した通り、施光者が手をかざすと、
はなはだしい場合には受光者が床を這いずり回る−ここにタネや仕掛けを見つけ出すこ
とは、かなり難しそうである。
「手かざしをすると、相手がそれらしい反応を見せる。自分ではよく分からないけれど、
どうも気を出せるようになったらしいという人が実際に多い。
 群馬大学にこの手かざしや気功で治ったという患者さんを綿密に調べているM教授、
T教授がいるんですけど、おふたりの研究だと、八十項目にわたって患者の体を調べたが、
有為の変化は何も見いだせなかったというんです。たとえば手かざしに鎮痛効果があるの
なら、脳内にエンドルフィンが増えていなければならないはずですけど、その濃度が増え
ていない。
 といったことからすると、昔から病は気からといいますけど、それと同じで、手かざし
に反応するというのは催眠誘導的なものと思いますよ。なんでもかんでも超能力と呼ぶ
ことで、合理的な理由を解明しようとすることを放棄せず、肝心なのは、なぜだ、と追求
する気持ちだと私は思いますけどね」 p34-35  

(※初出『SAPIO』92年2月27日号)



■■■ 真光関係者集合!!(37)■■■
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476 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2005/08/19(金) 00:51:55 ID:CsqdDDDZ
『気功 その思想と実践』 春秋社 廖 赤虹/廖 赤陽 著

P70,71より抜粋
気が充実してきた身体が、よく自発動を起こして気の流れ道を
調整することがある。これは人間(動物も)の持つ自然治癒力の一つの現れ
でもある。この人間の本能に対しては、世の中に誤解が多い。気功練習者
の全員が必ずしもこれを正しく理解しているわけではない。

昔、日本流の修行法のなかでは、自発動のことが霊動とも呼ばれていた
ことがある。なにかの神や霊的力に操られて動いているのではないかと
心配する人もいる。また、宗教のなかにこの自発動を神秘現象として
利用するところもある。

 この自発動は人間の自然治癒力の一部であり、神秘現象ではない。
自発動、広げて言えば、私たちの身体と気持ちのすべてについて、
「求めず、抑えず、恐れず、喜ばず」、つまり、平常心をもって物事に
執着しないことが気功のなかで強調される基本原則の一つである。

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霊動は、気功でも知られており、真光の専売特許ではない。また
気功ではこれを身体が自然に起こす本能的現象として捕らえており、
神秘的なものとは考えていない。ゆえにこれに興味を持つこともなく
自然に任せるという立場を取っている。
 真光では真光の業が人類で初めて霊を浮き上がらせることを許され
た業であり、従来の方法では霊力がないため、起こらなかったなどと
主張しているが、気功では起こらないのではなく、起こそうとしない、
興味を持っていない というのが実態であろう。
気功と真光の業との次元と格の違いを見せ付けられる一例である。
もちろん気功の方がはるかに格が高いということである。


(※日記作者 抜粋時のミス修正)


日記作者