言の葉孝

2012年02月22日(水) 犠牲者の残念

 ニュージーランドのクライストチャーチの地震から今日でちょうど1年になる。語学学校キングズ・エデュケーションの入ったビルが崩壊し、少なくない邦人が犠牲になったことで、海外の地震ながら日本からの関心も高かった。
 スクラップしていた当時の記事が手元に残っている。崩れたビルの下から見つかった遺体の確認作業が難航し、3月になって少しずつ死亡確認の報が流れた。
 悲壮だったのが死亡が確認された一人一人についてエピソードを紹介した記事である。語学学校という場所柄、犠牲者は何か思うところがあって、遠く日本を離れて英語を学びに来ていたのだろう、自然と記事の内容も明るい将来を目指していたことが伺える内容だった。

 死は無常である。死を望まれる悪人も、死を惜しまれる善人にも納得できる死が訪れる保障などどこにもありはしない。
 残念という言葉がある。念とは願いや望みといった意味だ。心半ばに果てた人の死は悲しい。だが、その悲しさが際立つのはその人の念は強かったからだ。果たされなかったとはいえ、強い念を抱いて生きられたことは、充実した人生を送れたということと考えることができれば、少しは残された人の心の慰めにはならないだろうか。

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