言の葉孝

2012年02月20日(月) 自分の中にあるプログラム

 将棋の米長永世棋聖が、コンピュータ将棋ソフト『ボンクラーズ』に敗北したことは記憶に新しい。人工知能はここまで来たかと話題になったものだ。
 『ボンクラーズ』でなくてもゲームでCPU相手に囲碁や将棋を打つと、本当にモノを相手に打っているのかと疑うことがある。しかし、いくら複雑な判断ができても原理的には「Aの場合はBという行動をとる」というプログラムに従っているだけでその思考パターンであるアルゴリズムに沿った行動しか取れない。

 だが、人間と何が違うのだろう。人間は自己判断ができるというが、やはり経験から「Aの場合はBという行動をとる」という判断をしているにすぎないのではないか。
 人間は成長ができる、という話をしても、自分でプログラムを改善することのできるプログラムを作ればどうだろうか。痛い目に遭えば、それを避ける思考回路を新しく作るプログラムを作ればコンピューターだって同じ目に合わないように判断できる。
 構造や、思考がやや複雑なだけで、人もモノには違いない。こうして打つ文章も、経験と外から来る刺激から、自分の中にあるプログラムに従って打っているのだろうか。そうではないと言い切れる自信は筆者にはない。

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