2011年04月05日(火) |
僕がアートを見る目がないと自覚する理由 |
僕が、文芸作品以外の美術品に触れる機会というのは実は、新聞の紙面が主です。 日経新聞の朝刊の文化面には「十選」シリーズというものがありまして、美術品に造詣の深い文化人があるテーマに沿って、アート十作品を選び出し、解説するというコーナーがあります。 僕が欠かさずスクラップしているコーナーの一つです。
例えばこの間まで連載していたのは 東京ステーションギャラリー館長 冨田章氏による「偽装された自画像 十選」シリーズです。 3月30日付の記事ではルーベンスの「4人の哲学者」という絵に触れ、
「この4人はそれぞれルーベンスと、ルーベンスの関係者であること」
「この絵を書き上げたとき、この4人のうち2人は亡くなっており、そのことが一緒に書かれている4輪のチューリップのうち2輪が花を閉じていることに表されていること」
「X線写真で確かめたところ、ルーベンスは自分の絵には初め帽子を描いていたが、描きなおした後があることが判明したこと」
「この頃、ルーベンスは頭髪の薄さが気になっており、自画像には帽子がかぶせられていることが多いこと」
などが解説されています。このことから筆者の結論は「2人の死に追悼の意を表して絵から帽子を外した」というものです。
深いですな。美術品というものは。 何の解説もなければ、ただの4人のオッサンが描かれているだけで、上手いとは思うだけの絵なのですが、こういう背景をしると、まじまじと眺めたくなってしまいます。
しかし、絵というものはそんなものなのでしょうか。 絵や写真は、小説や映画と違って物語が見えにくいものです。ルーベンスもまさかX線写真に撮られるとは思っていなかったでしょうし、2本だけしか花の開いていないチューリップに関して何らかの寓意を感じることはできても、ルーベンスに関する知識がない限り、やはり「上手に書いた4人のオッサンの絵」にしか見えないこの絵が何のために存在しているのか見えません。
実際、アートは好きなほうだと思うのですが、気まぐれに画廊などを除いても、綺麗だとは思っても、それ以上にピンとくるものを感じません。
ぱっと見で綺麗だったり、あっと驚くような構図で見た目で楽しめる絵というのは確かに存在しますが、それ以上に分析したり、背景を知らない限り楽しめない絵があるような気がします。 ただ、画家やアートに造詣の深い人たちが見ると多分、違うのでしょうね。素人目には地味な絵でも構図の撮り方、モチーフの選び方、筆遣いとか、微妙な表現から驚くほどに込められた感情を読み取って、絵に価値を見出してしまう。
だから、アートを楽しむことはできても、見る目がないと自分が思うのはそのような訳です。
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