言の葉孝

2006年10月09日(月) 信じるも疑うもしなくていい。


 朝っぱらからカレーを食べつつ余裕の朝を過ごしていたら、祝日で休日ダイヤなのを失念し、狙っていた時間帯の電車を逃してしまった。別にぎりぎりを狙って登校しているわけではないので、普通に間に合いはしたが。

【俺のマスコミに対する姿勢】

 今日のアメリカ文化研究でこんな話があった。

「『アメリカは銃が普及しており、危ない世界だ』というが実際のところ犯罪率はかなりのところまで激減している。日本でも凶悪な事件が増えているというが、やはり犯罪率は減り平和なものである」
「アメリカのメディアは差別問題に結びつけて人権保護団体がうるさく抗議するので黒人やゲイの起こす事件はあまり取り上げない」

 要するに“メディアリテラシー”の話である。
 メディアリテラシーというのは簡単に言うと、「テレビや新聞で言っていることを鵜呑みにしないで、自分で調べて自分なりの見解を出しなさい」という精神……だと俺は少なくとも考えている。

 以前にもメディア関係の授業をとっていたのも影響してか、俺は最近メディア、特にインターネット、テレビの報道を冷めた目で見るようになっている。
 特に、俺が「“時の人”報道」と呼んでいる現象である。オリンピックや甲子園などのイベントで一躍有名人になった人をどんなつまらない記事でも取り上げる現象なのであるが、たとえば冬季五輪のフィギュアスケートで金メダルに輝いた荒川静香選手のときだ。
 その得意技「イナバウアー」が大流行したのをいいことに、何でも「イナバウアー」に結びつけたニュースが目立った。特にひどかったのが、仰向けにひっくり返りかけた虫の写真を持ち出して「イナバウアーをした虫」と報道したニュースだ。
 他に何か伝えるべきものがあるだろう、と思うのだが。
 そのほか、特に華やかなイメージの先行するテレビとインターネットのメディアはエンターテイメント性重視で、流行に無理やり乗っかるノリのようなものがあって正直俺にはあまりよいものには見えない。

 殺人事件の報道でもそうだ。このあいだの専門学校で女生徒が殺害された事件などでは散々少女の過去の思い出話が報道された。少女の立場に立ってみれば、顔写真は出回るわ、プライベートは公開されるわ、恥ずかしい限りだろう。
 そのほかの事件についても、その事件の悲しさを煽ろうとしているのか、被害者の情報が徹底的に公開されるのである。死者のものとはいえ、プライベートを尊重しようとは思わないのだろうか。

 そういうところもあって、俺はメディアというものを信用しなくなってしまったのであるが、だからといって拒絶ばかりしていては時代に乗り遅れてしまい、一般常識に欠けてしまう。
 だから、俺としてはメディアで流されるニュースに対し、自分の目で確認しない限り、信じるも疑うもせず、「そういうニュースがあった」と、事件の事実などの主要な情報のみ心に留めておくことにしているのである。





web拍手レス(さて、明日からは二連休。何をしてすごそうかな。とりあえずやっとこさザナルカンドまでたどり着いたFF10は最後までやってしまいたいところであるが)

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