2006年09月28日(木) |
論理の有用性について |
一昨日に引き続き、教科書購入のネタである。今回購入する2教科分において、俺は4000円弱と踏んでいたのだが、実際には5000円弱だった。財布の中をかき集めてみるtも、300円ほど足らない。 仕方が無いので、今回は文化社会学の教科書は諦め、問題集でもあり、講師の宣言から使う可能性が高い論理学の教科書を買った。
【論理の有用性について】
僕が取っている「論理学」の教科書『論理開眼 「事・物の理ヲ論ラフ学ビ」としての論理学』(山川偉也 清水真一・共著/世界思想社)の5、6ページにはこういう文章が紹介されている。
『むかし、ローマに住んでいたストア派の哲学者エピクテトスが、論理に関するある問題について授業をやっていた。すると、興ざめした面持ちでそれを聞いていた一人の若者が、エピクテトスに、「論理学なんて、なんの役に立つんですか。無用なおしゃべり術にすぎないじゃないですか。もしあなたが、論理学が有用だと信じていらっしゃるのなら、その理由を、わたしに納得できるように説明してみてください」と言った。以下は、エピクテトスと若者との間で交わされたその後の問答である。 「きみは、わしにそれを証明してほしいのだね」 「はい、おっしゃるとおり」 「すると、論理学が有用だということを、論理的に証明しなければならん。そうだね?」 「そう」 「よろしい。ところで、わしが「論理学の有用性」についてこれから証明するとして、きみはどうやって、その証明が正しいか正しくないのかを判定するのかね。ひょっとすると、わしは、詭弁で君を欺くかもしれない。その場合、きみはそれを、どうやって詭弁だと判定するのだね」 若者がちんもくするとエピクテトスは言った。 「ほら、論理学が必要だということは、きみ自身認めているんだよ。そしてきみは、論理学が必要だということを論理的に認めてさえいる。なにしろきみは、わしに論理学が有用である理由を納得できるように説明してほしいと求めたのだったからね。ところが、分かるかね、論理的に考えること抜きにしては、論理学が必要かどうかさえ、判定しようがないのだよ」 (『エピクテートス 人生談義』第2巻第25章より――原訳改変)』
これは、論理の存在意義について明確に語る問答である。何も知らない状態の人に、物事の概念をできる限り正確に伝えるためには論理が不可欠だ。
例えば「三角形」という図形がある。僕たちはこれが何なのかをイメージで分かっているため、一応この単語が出れば即座に「三角形」がどんな図形なのか分かる。 だが、仮に「三角形」を見たこともない、聞いたこともない人がいたとしよう。図形を見せずにこれを説明できるだろうか? おそらく辞書を引かない限り、「3本の線分(直線→まっすぐな線と言い換えるほうが良い)に囲まれた図形」という、できるだけ簡単な言葉を用い、且つ明快な説明はできないだろう。 それでも、少し分かりにくいので、「三つの点を打ち、それらの点をまっすぐな線で結んだ図形」という説明はどうだろうか。
こういった説明を可能にし、相手に納得、理解させることのできるものが論理である、と僕は理解している。論理であるならば、コンピューターにでさえ、物事を理解させることができるのである。
イメージや概念というものは非常に伝わりにくい。伝わりはしても、実際のモノを見せない限り、伝わったイメージが伝えた側のイメージと全く同じであるということはまずあるまい。それより、概念や想像など実際の形を持たないイメージの場合、伝える側でさえハッキリと細部までイメージができているかどうかも怪しいのである。 だが、最大限の努力として、論理的な説明をすることで限りなく正確に伝えることができる。
イベントの企画にしたって、企画者からスタッフへは、企画内容として企画者のイベント当日のイメージなどを伝えて共有しておかなければならない。 書類等のフォーマットが決まっているのも、より論理的に分かりやすく内容を把握できるからだ。 要するに、論理とは実務的なコミュニケーションでは必須のものなのである。
小説を書くにも論理は必要だ。 なにしろ、自分の頭の仲に思い描いているイメージを文字だけで表現しなければならないのだ。特にファンタジーだと実際には無いものばかりだからその説明には毎度毎度苦労をしている。 モノだけではない。心の動き、身体の動き、文章はできる限り、自分の頭の中に思い描いたイメージを読者にも共有させるものでなければならないのである。
もっとも、論理を使えといっても、既に我々は自然にそれを使っており、論理とは離れ得ない暮らしをしている。 ただ、普段何気なく使っている論理を意識し、それをより効果的に使うことは、人生に大きなプラスであることは疑いようもない。
web拍手レス(コンピューターを動かしているのも全部論理なんだよなぁ)
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