言の葉孝

2006年09月05日(火) 誕生日のめでたさなどマヤカシだ

 正直な話、俺は誕生日はあまり特別な日であると考えない。今日から23歳になった俺には大して変化というものが見られないからだ。
 確かに去年の誕生日時点の俺と比べると、就職活動を初めとした濃い経験から内面的にずいぶんと伸びたところもあるだろうが、それは大局的にみた変化であって、昨日から今日になっていきなり変わったわけではない。

 だが、昨日までさっぱり話題にも出ていなかった誕生日が、昨日、母と妹の口から出たとき、正直ほっとしたのは否めない。
 今日が素敵な日になれば、日常的に時々訪れる巡りあわせのいい日よりも少しだけいい気分になれたに違いない。

 だが、世界は俺の誕生日など意に解しないわけで、俺は雨の中学校まで一時間歩く羽目になり、バイト先に突然呼び出されて研修も行うという、あまり巡りあわせがいいとはいえない日になった。

 それが日常的に時々訪れる巡りあわせの悪い日よりも少しだけ不愉快な気持ちを抱いたものである。


【モモサポで親指ピアノ作り】

 今度の和泉市五十周年記念で行われるイベント『ジャズストリート』。その中で我々モモサポは『エコ楽器づくり』というイベントをやることは前にも述べた。

 ただ、対象が子供たちなので、あまり難しいのはできない。しかし簡単すぎても感動に乏しい。そこで、僕たちは前もって難しい楽器を作り、サンプルとして子供たちに見せてやることにした。
 そのひとつが『親指ピアノ』である。

 いらない木の箱に反響用の穴を開け、細い三角錐材で浮かせた竹ひごを並べてつくるのであるが、木の箱が手に入らない。
 当たり前である。木の箱などというぜいたく品は誰一人としてゴミとして扱わない。竹ひごも同様だ。三角錐材など、日曜大工店で買う以外、どうやって手に入れるのだ。おまけに木の箱に反響用の穴を開けるには糸のこが要る。

 これのどこがエコ楽器なのだという問いは胸にとどめておくべきだろうか。

 さておき、それでもできれば子供たちに喜んでもらえる可能性は高いので、製作に取り掛かることにした。
 今日は箱を作ることからはじめた。木の箱が手に入らなかったのだから仕方があるまい。木材を骨組みに、釘を打ち付け、ベニヤ板を張って箱を作るのであるが、これが中々困難を極めた。

 まず、ベニヤ板が切りにくい。繊維に沿って切るならともかく、繊維を横切る形だと途中で曲がるし、ささくれ立って非常にやりにくい。安物を買ったせいだろうか。
 また、釘を打ち付けているうちに、あちこちがひび割れてしまった。他のところに打ってごまかしたが。

 そうして何とか箱らしきものはできたが、それは箱と呼ぶにはあまりに歪であったのである。

 だが、穴もあけたし、手間のかかる部分は終わったので、明日には完成するだろう。

 
【バイトで再研修】

 先週の土日はバイトであったわけであるが、バイト先の派遣会社に頼んだメーカーの商品はあまり売れなかった。それで営業さんが懸念を抱いたのか、「売れていないじゃないか」というツッコミを派遣会社のほうに入れたらしい。
 当然だろう。たかがバイトに一日一万円以上の給料を出してわざわざ派遣しているのであるから売ってもらわないことには元が取れないということだ。

 そんなわけでツッコミを入れられた派遣会社から電話がかかってきた。売らない販売員を派遣したとあっては派遣会社としても信用問題になるので、オブラートに包みながらも、「なぜ売れなかったのか」と聞いてきたのである。
 店によっては、とあるメーカーの商品を売れと指定する場合もあるらしく、そうであれば言い訳にもなるのだが、俺の場合は特にそのメーカーのデジカメを売ろうと積極的に客の誘導はしていなかったので、言い訳の仕様がない状態だった。

 かくして、俺は誕生日に梅田まで呼び出され(あくまでも任意という形だったが)、他の商品に興味を持っているお客を依頼メーカーの商品に誘導するための研修に赴いたのである。



【大人になる話】

 子供のころは早く大人になりたいと思った。
 そして、今現在、そのころ定義していた大人にはなれたはずで、少なくとも周りから子ども扱いされることはなくなった。

 法律的に車の運転ができる。
 酒は嫌いだが飲める。
 出不精気味なせいか、夜遊びや旅行も両親はむしろすすめられているくらいだ。

 就職活動のため、外出するときは高確率でスーツ着用という生活をした。
 大抵「暑くないか」「苦しくないか」といわれるが、僕はスーツを着た自分を気に入っていた。
 なんとなく、大人になれた気持ちがしたからだ。

 だが、気持ちだけだ明確には僕は大人ではない。
 父や母を初めとする、自分が大人と呼んでいる人たちと僕には大きな差がある。


 今更ながら、大人とはなんだろう、と時々考える。
 
 経済的に自立をすれば大人だろうか。そもそも家から独立すれば大人だろうか。



 ふと、気が付いた。所詮、僕たちは自分のためにしか生きられていない。


 子供のため、あるいは妻のため。
 大人と呼ばれる人たちは誰か、他の人の人生をも少なからず背負って生きている。





web拍手レス(mixiの方で去年に引き続き、一龍さんのところの“との”ご招待の会話式日記をやっております)

>「面白いです。はやく聖地への旅路の続きが読みたいです。」

 ありがとうございますー!
 続きは鋭意執筆中です。どんなに遅くても9月中にはアップしますので、見捨てないでお待ちあれ。

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