言の葉孝

2006年07月09日(日) 【楽しみの見つけ方の話】の日

 昨日は『呪縛の蝋』をアップしました。これからは短編とか、中途半端なやつは全部エンピツで掲載することにします。いちいちHTMLファイル作るの面倒なので。
 で、その第1弾である『呪縛の蝋』だったのですが、どうせなら絶対に使われることのないくらい昔の日付でアップしてやろうと思ったわけですよ。

 で、とりあえずは「19000101(1900年1月1日)」でやってみたわけですが、エラーがでました。
 まあ当然ですな。
 たまに、存在しない日付で登録をしようとすると、「存在しない日付か1970年以前の日付で登録された可能性があります」と、エラー表示が出るのです。
 ならば、公式的には1970年からは大丈夫ということ。

 もっと過去にさかのぼったらどうだろう、と一気に「1910年」を試してみました。
 すると、成功したのです。続けて「1901年」と試してみましたが、これはアウト。1910年が最古なのかと思い、「1909年」でやってみると、こちらはセーフ。
 そこからだんだんさかのぼっていくと、結論が出たのです。
 
 「1902年」。これがエンピツ日記における最古の日付です。

 なぜに1902年。世紀の変わり目である1901年ならわかるのですが、なぜに1902年。それは管理人さんでも知らないのかもしれません。


【楽しみの見つけ方の話】

 今回デスクトップにおいてある言葉について、少し解説をしようと思います。

 私は、「楽しいこと」に対して最近懐疑的になっている部分があります。
 というのも、私は「楽しいこと」をやろうとして本当に楽しく過ごせた記憶が少ないからです。はしゃごうとおもって、本当にはしゃげた記憶は少ないからです。
 お酒を飲んで騒ぐこと。ゲームセンターに行くこと。カラオケに行くこと。女の子と一緒に遊ぶこと。

 それらは本当に楽しいときもありますが、たまにやってこそ楽しいものです。いつもいつも追い求めてやって満足感が得られるものではありません。

 私が最近主張しているのは、目先に「楽しい事」を考えるとあまりうまくいかないということです。
 確かに、先ほどあげた楽しいことっていうのは、やっている時、もしくはやろうとしている時は楽しいのかもしれないです。
 しかし、途中で飽きてくるとともに、その行為の不毛さに辟易してそんなことをやっている自分が好きではなくなり、やがて「楽しい」とは感じられなくなってしまう。それでもそれ以外にやることが見つからないから、何とか自分をだましてテンションを保って続けるわけです。

 逆に、ボランティア活動など、一見面倒くさそうな活動を「苦しい」ことをあえて覚悟することで見つけ出せる楽しみがあります、
 自分にとって何の実益も得られないものや、単純に苦しいものでも、やっていることが生産的なことならば、それを実行できている自分が誇らしくなって、そんな自分が好きになって、不思議と「苦しい」ことも「楽しい」と思えてくるものだと私は思います。
 それに真剣に何かに打ち込んだ日々というものは、後に振り返ってみればたいてい笑顔で話せるものです。

 だから、「楽しい」を目標にすると自分に甘くなり、行動が浅くなる。深く充実できる行動をするにはまず「楽しい」を目標にはしないこと、と私は主張します。
 「楽しい」は結果的についてきてこそ真に「楽しい」のです。




web拍手レス(それでもリラックスをするときには自分に甘いほうがいいんですけどね)

>「ほうほう!物語も解決編に差し掛かるところですね。次も期待しています。」

 ありがとうございますー! 今日は解決編のプロットを軽く書き出してみたのですが案外スムーズにまとまりました。あとは表現などでひっかからなければ、意外と早くあげられるかもしれません。
 『呪縛の蝋』、結構反応返ってきますね。序盤の軽めの展開がよかったのか、一話一話が短いのがいいのか……。

 特にあっと驚くようなトリックはないのですが、書きたくても我慢し続けていたことが、思い切りかけるのでがんばっていこうと思いますよー!

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