2005年11月19日(土) |
映画『THE MISSION』感想の日 |
お久しぶりですぅぅ。最近生活が乱れまくりの想 詩拓です。お肌が荒れちゃう(はぁと)とか言ってみよう。木曜日の夜はほとんど徹夜で、金曜日はばったりと眠り込んでしまって日記を掛けませんでした。一応ネタはあったのですが……。 意外にキツいみたいです、ハートフルロード。周りも結構参っているようで、助成金をもらっちゃった手前がなければ投げ出してるかも、と冗談半分に言っています。
僕は割と平気なつもりだったのですが、今日などはTOEICのテストを受けに行って、精神集中どころか居眠りしないことで精一杯だったところからも乱れた睡眠生活のツケがたまっているようですな。
話は変わりまして、先日木曜日のキリスト教史の授業は映画を見る事でした。流石に90分では碌なのが見られないので、昼休みから130分通しでした。 見た映画は『ミッション(原題:THE MISSION)』。ラテンアメリカのインディオの一族にカトリックを伝えに来たイエズス会の宣教師の話ですね。 結構深い映画で、オススメです。悲劇はあんまり好きじゃないけど、深い映画は好き。もっともっといろんな事を知って、いろんな事を考えたいです。 以下、宿題に出された感想レポートです。
映画『THE MISSION』感想
まず、予備知識のない人には中盤まで物語の展開がなかなか読みにくい映画だった。序盤をみた限りでは、滝の上、未開の地のインディアンにカトリックを布教する物語かと思ってしまう。しかし奴隷商人が出て来ると、今度は身を投げ打って奴隷商人と戦う事で、グァラニー族の信頼を得るのが最終的なエンディングなのかと考え直すや、メンドーサが一気にカトリック寄りになってしまい、続いてアルタミラノ卿がやってきて、ポルトガルとスペインの覇権争いや、グァラニ−族の村一帯を伝道区から外すと言う話が出てきてしまう。 そもそも題材からしてあまり取り上げられる事のないものだったからかも知れないが、とにかく目が離せない話で、少し居眠りをすれば全く展開に付いていけないストーリーである。
それから考えさせられる事の多い、深い物語だと思った。先ず、インディアンへの宣教である。グァラニー族はグァラニー族で、カトリックの信仰無しにも平穏に生きていけていた。奴隷商人にしても、西欧人がやってきたからこそ起こった問題である。そこにわざわざ話を持っていくのはやはり“お節介”と言わざるを得ない。 もともと信仰に宣教はなくても良いものであると私は考えている。様々な悩みへの一つの解答として、信仰を持つ。だからといってその信仰を広めるのはどうだろうか。信仰を持つ自分に強さをみて、「何故強いのか?」と、尋ねに来る者には教えても構わないだろう。または、自らの信仰を文章にして残し、後々悩む人への道標に残すのも良いだろう。しかし、宣教はあまり積極的であるべきではない。だが、ガブリエル等のように本気で信仰にその身を捧げる強さは、宗教無しではできる事ではないだろう、とは思う。 カトリック、ひいては宗教という概念自体の本質である、と私は考えている“赦し”が深く関係していたのが、メンドーサが意味のない重荷を持って、タダでさえ危険な滝の上への決死の登山のシーンだった。仲間を奴隷として狩られ、売られてしまったグァラニー族に受け入れてもらった時に流した涙は果てしなく重かっただろう。殺人等の罪は決して購いきれるものではない。それでも罪に沈む人の心を信仰で支える事で救うことはできる、という実例のような、心動かされるシーンだった。
私が映画をみた直後に抱いた感想は「救いがない」ということだった。理不尽な要求に従うか、それとも虐殺されるか、どちらかしかない。 実際救いのない時代だったのだろう。インカ帝国を征服し、残虐の限りを尽くしたフランシスコ・ピサロの例もある。ガブリエル達イエズス会のように本気で宣教に来ている者もいたが、スペインやポルトガルなどの国益を第一とし、略奪の口実として神の名を利用しているに過ぎない者達もいた。本国から離れ、文句を言うような者達があまりいない場所に来ると、それこそ神の名の元に道徳の箍がいくらでも歪む。 物語の終盤で特に深いと思われるのは、最後の戦う事を選んだメンドーサと、非暴力不服従を選んだガブリエルとの対比だろう。状況からみて、メンドーサもガブリエルも絶望的なものを感じていたに違いない。だからこそ、結果は同じでも、その選択が重要になるのではないだろうか。映画の中では、教会の中から聞こえる聖歌にためらいを覚える者が出た事から、どちらかと言えばガブリエルの選択が正しかったように感じられた。 昔、教会を破門されると、その者がいくら神の名を唱えようとそれは偽者で、その者の信仰は邪教であると見なされたようだが、それでも本物の信仰は、直感的にそれが真実ではない、と気付かせる何かがあったのだろう。
本来、救いのない話と言うのは好きではないのだが、この映画に関しては好き嫌いを超越する物を感じる事が出来たと思う。
web拍手レス(コーダの解答が効いたのか、ここのところweb拍手がたくさんきてうれしーです、ハイ)
>いやいやセコクないでしょう。営業努力ですよwその努力のおかげで自分は読めた訳ですし
そ、そうですか! そうですよね!? えいぎょーどりょくですよね!? でも良く考えてみると、あの頃二ページ目に落ちたら直ぐにUpできるくらい(もしくはそれ異常に筆が早かったんですよね(笑) 話は変わりますが、喜ぶところでweb拍手公式サイトの掲示板などの意見を見てみますと、web拍手ページを変えた事を「更新」と呼ぶのはあまり誉められたものではない、という意見がありますね。 やっぱり、何らかの感銘を受けた人がぽちっと押して「あ、こんな所にこんなものが!」と発見していただくのが真っ当で、自分から拍手ページを更新した事を告げると、やっぱりそれを読むために押すってことで、本来の主旨からは外れるんだそうです。 僕もさすがに、トップの告知以外、例えば検索サイトにUp告知はしないんですけどな。おまけみたいなモンだし。
>○○ですがtitleから初ムフムフかと思ったよ。見事キミの術中にはまってしまった訳だ。ワハハ
イヤ、アナタ、高校時代からで結構付き合い長いんだから私っていう男をよく知ってるでしょう(汗)。あと20年は有り得ませんね、ハイ。っていうか、ホントに脱サクランボだったら日記に書かないよ、ビミョーな話題だし、そこまで赤裸々に書く気ないし。
>大変でしょうががんばってください。
励まされました。 最近、日記で結構愚痴っぽいことやってましたからねぇ。それに更新も乱れちまってるし……。まだこの状態から回復しませんが頑張らせていただきます〜。 応援ありがとうございます〜。
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