2005年06月14日(火) |
『名言めいた戯れ言』改め『哲学師弟』その2の日 |
哲 学 師 弟
2『時を駆ける論理』
「師匠、タイムマシンは存在しうるでしょうか?」 ある日、シキ君は唐突に私に尋ねた。彼はどうも自分で疑問に思ったことについては、自分で答えが出ている、出ていないに関わらず、私の意見を聞きたがる傾向にある。私も職業柄、自分の考えを説明することは大好きだが、私はいつも自分の見解を述べる前に、聞くことにしている。 「昨日は何を観たんだい?」 我が愛弟子は物語に触れるのが好きなのか、こうして私に質問などをするときと勉強をしているとき以外は、大抵本を読んでいたり、映画を見たりしている。そうした話の中から、彼は現実に疑問や可能性を見つけるのだ。 「“Back To the Future”です」 なるほど、タイムマシンが出てくる作品としてはもっとも有名な映画だろう。 「で、君はどう思っているのかな?」 「存在し得ないと思います」 「それは何故?」 「未来の人間が現れたという話を全く聞いたことが無いからです」 実に簡潔な答えだ。シキ君は私のように理屈をこねず、最も単純な答えの導き方をする。それが私には新鮮で、彼を教えることに並々ならぬ楽しみを覚えるのだ。 「そんなことは無いんじゃないかな」と、私は敢えて反対意見を出してみることにした。 自分が未来から来た者だと言う者が全く現れなかったわけではあるまい。それはたとえば世迷言として受け入れられなかったかどうかして彼の耳に届かなかったに過ぎない。また、ノストラダムスなどに代表される予言者などが未来人であるとする説もある。 「しかし彼らが未来人であるという証拠、タイムマシンないし明らかに現在に存在し得ない未来の創造物を提示できた例はありません」 それはそうだろうな。件の映画でも当事者であったドクター・エメット・ブラウンやマーティ・マクフライはともかく、『2』でマーティのガールフレンドであるジェニファーや、未来で老いたビフ・タネンなどが時間移動を信じられたのは、タイムマシンという動かぬ証拠があったからだ。 「なるほど」 私が納得して頷くと、シキ君は私の方に一歩詰め寄って言った。 「では、師匠の意見を聞かせてください」 「結論から言うと、可能だが、不可能だ」 「どっちなんです?」
「君は、この世界が四次元でできているという説を知っているかい?」 タテヨコの二次元に、高さが加わって三次元、そして四次元目は時の流れであるというのだ。確かに高さまでを備えた3DCGは基本的には動かない。しかし第4の要素である時の流れを加えて初めて3Dが動く。 歩くなどといったタテヨコを移動する二次元移動の次は、エレベータのような三次元移動が可能になり、その延長線上にある四次元移動、つまり時の移動も可能であるという理論も理解できないわけではない。 しかし、件の映画を見ていると、時間移動という行為はかなりの矛盾が付きまとうことに気付く。例えば『1』では30年前と現代という2つの時代が舞台とされる。おおまかな話の流れとしては、情けない父と、それに伴って暗い家族の雰囲気に不満を感じるマーティが助手をしている“ドク”の作ったタイムマシンを巡るトラブルに巻き込まれ、30年前の過去に行く。 そこで若き日の父と母に出会い、交流を通してトラブルを解決して現代に戻ると、30年前の自分の介入により未来が変わり、自分が不満を持っていた家族が理想的に修正されていた。 「さて、この話では2つの現代が出てくる」 1つ目はオープニングのマーティが不満を持っている現代、便宜的に“現代A”とでも呼ぼうか。2つ目がエンディングで修正された現代、こちらは“現代B”としよう。 映画の主人公のマーティ・マクフライは“現代A”に生きていた人間である。そして過去を介し、エンディングで“現代B”に渡ってきた後、周囲の代わり用に驚きながらも、そのまま“現代B”に暮らすわけだが、ここがおかしい。 周囲の者達の態度からすると、ずっとマーティと暮らしていたようだが、“現代A”で育ったマーティに“現代B”での記憶があるわけがない。 だからここで考えるべき結論は、 「“現代B”には“現代Bで生まれて暮らしていたマーティ・マクフライ”が存在していなくてはならない」
「待って下さい、師匠。確かにその論理では映画の内容に矛盾が生じてしまいます。しかし“現代Bで生まれて暮らしていたマーティ・マクフライ”が居れば、タイムマシンが存在できることになるではないですか」 「まあ、確かにね。でも一つだけ問題が残っている。それは何だと思う?」 「疑問、ですか?」 シキ君は片眉を挙げてしばらく黙考すると。やがて思い至ったのか、ぽんと手を打って答えた。 「“現代A”のことですね」 「その通りだ」 歴史が変わってマーティ・マクフライが“現代B”に降り立った時、歴史が変わる前の“現代A”はどうなるのだろう。 「君はどう思う?」 「そうですね、歴史が変わった瞬間に起こることは、大別して2つのパターンが考えられます」と、シキ君は指を二本突き出した。「『“現代A”が消える』もしくは『“現代A”と“現代B”が並存する』です」 シキ君の答えに、私は軽く拍手をする。 「いい調子だ、続けてみよう。では“Back To the Future”の場合はどっちかな?」 誉められたのが嬉しかったのか、彼は得意そうに口元に笑みを浮かべた。愛弟子の表情の乏しさからすると、満面の笑顔といっていい。 「前者『“現代A”が消える』場合、その産物であるマーティも消えてしまうはずですが、しかし、作中では立派にマーティが存在できていることから、どちらかといえば後者なのでしょうね」
「それで、タイムマシンの可能性はあるかい?」 「前者の場合はない……と言っていいでしょう。厳密に言うと、居てはいけない未来の人間が現れた時点で歴史が変わり、その人間は消えてしまいます。後者の場合は一応生き残ることは出来ます。出来ますが……やはり歴史が変わって、“現代A”に戻ることはできないでしょう」 そう、量子力学における多世界解釈、俗に言うパラレルワールドだが、これは歴史の分岐点でいずれかをいった場合も、その他の選択をした場合の世界も同時に並立するという考えだ。 しかし歴史の分岐点など、一人の人間にさえ無数にある。極論を言えば、走った、走らなかった、それだけで空気中の酸素の量などに違いが生じてパラレルワールドが構成されてしまう。それが世界中の生物に作用するのだから、まさに無限と言っていい。そんな無限のパラレルワールドの中から自分の属する“現代A”に戻ることはできない。 「それに私に言わせると、パラレルワールドは成立し得ない」 歴史の分岐点ごとに世界が無限に枝別れしていくパラレルワールドは今、一秒の間にもやはり無限に増えている。このパラレルワールド間を移動できるとすれば、違う世界から資源を運ぶことができる。その世界が枯渇すればまた別の世界から持ってくればいい。 「つまりパラレルワールドが成立してしまうと、資源その他の量が無限になってしまう」 「すみません……もう少し分かりやすくお願いします」 シキ君は顔を少ししかめてこめかみを押さえていた。確かにこの抽象的な説明では想像力を掻き立てるに足らなかったかもしれない。 「いいだろう、先ほどのマーティ・マクフライを例にとろうじゃないか」 有り得ないことだが、映画のマーティとは別に、別の現代……“現代Cのマーティ・マクフライ”が同じように過去にやってきて、同じことをしたとしよう。 「待って下さい。それは不可能ですよ。その過去には“現代Aのマーティ”がやってきて歴史を変えるんじゃないですか、はち合わせしてしまいます」 「そうかもしれない。まあ、歴史を変えることはしないでも、いずれかのマーティが過去に干渉して歴史を変えた時点で現代に戻るとどうなるか」 その先にある“現代B”には現代A、B、Cそれぞれのマーティがかち合うことになってしまう。 「もっと沢山の現代から同じようにマーティがやってきていたらもっとたくさんのマーティが“現代B”に集まる、それが百人だって千人だってありうる」 「なるほど」 「私は理系の学者ではないから、それを数学的に証明することはできないが、それがあり得るとすれば不自然極まりないことは確かだ。よって、パラレルワールド、もしくはパラレルワールド間の移動は成立しない。とにかく“現代A”に生きる者は、“現代A”以外の時空に行くことはできない。だから、先ほどの『“現代A”が消える』か、『“現代A”と“現代B”が並立する』かという選択肢では、私の持論では前者になる」 先ほど、シキ君が述べていた、『“現代A”が消える』場合、“現代A”からやってきたマーティ・マクフライも消えてしまうため、タイムマシンは存在し得ないことになる。 「それが『可能だが不可能』という答えの説明ですか」 「その通りだよ」 過去に行くこと自体は可能だが、到着した瞬間に存在が消滅してしまうので、タイムトラベルを成立させることは不可能である、というわけだ。
すると、シキ君は一枚の紙を取り出して私に見せた。 「物理学界では『理論上、タイムトラベルが可能である』としていますね」 シキ君が出した紙にはワームホールとブラックホールを使ったタイムトラベルの可能性について述べられていた。 ワームホールとは、難しく言うと時空の位相幾何学的な性質についての仮説で、空間は実は服のしわなどのような歪みが生じており、そこを真直ぐ通ることによって、本来遠回りしなければならない距離を近道できるというトンネルのようなもので、光速で航行するより速く目的地に着けるとされている。 簡単に言えば、SFなどで見られるワープ航行に使う空間のある点と別の点を繋ぐトンネルだ。 そしてブラックホールは、大きな星が寿命を迎え、超新星爆発を起こした後に、自己重力で極限まで収縮した状態の天体を示す言葉で、そこからは強大な引力が発せられており、シュヴァルツシルト半径と呼ばれる球範囲内に入ってしまうと、脱出するために必要な速度が光速を上回るため、光ですら脱出できずにブラックホールに引き寄せられてしまうという。 なぜ、そんなブラックホールとワームホールが組み合わさるとタイムトラベルが可能であるというと、アルベルト・アインシュタインの一般相対性理論は次のようなことを述べているからである。 『強い重力は時間の遅れを発生させる』 つまり、ワームホールの片一方の出入り口Aをブラックホール近くに置き、もう片一方の出入り口Bを普通の空間に配置する。すると、ブラックホール近くに置いたワームホールの出入り口Aの周りの空間ではブラックホールの強力な重力の影響で時間の遅れが発生しているため、通常通りに時間が流れている出入り口Bとでは時間差が生じてしまう。 よって、理論上、出入り口BからAに移動した場合、“過去に行く”という行動が成立するのだ。 「だが、私はこの理論にはあまり賛成できないよ」 その理由の一つとしては、ワームホールの存在が確認されていないということである。あくまでも仮説の中でだけでの存在であり、実際に存在が確認されているブラックホールとは違う。 さらに、ブラックホールの周りでは時間がゆっくり流れているというが、そこにワームホールを使って移動したからといって過去に行くことにはならないと思う。 「何故ですか? ブラックホールの周りでは時間がゆっくり流れているのでしょう? だったら、外とその空間の中の時間に差異があるという説も納得できるでしょう」 私の言葉に納得できない様子で口をはさんだシキ君だったが、私はこれをうまく説明する方法を探すのに数秒を要した。 「……君はハッチンソン・ギルフォード症候群かウェルナー症候群を知っているかい?」 「……? たしか、通常の数倍の速さで老化してしまう病気ですよね」 物理学的な議論に何故、医学的な単語が出てくるのだろうか、と思っているのだろう、怪訝そうな間をおいてシキ君が答えた。しかしよく答えられたものだ。臨床医でもそうすぐには答えられまい。 そう、私が挙げた二つの病気は、急速な老化現象が起きてしまう非常に珍しい遺伝性早老症である。両方ともよく似た症状を示すが、前者は幼児期から症状がでる“幼年発症型”、後者は成長してから発病する“成年発症型”という決定的な違いがある。 「急速に老化するという事は、体内の時間が速く流れているということだ。しかし患者が生きている世界はそれとは関係なく時間が流れている」 最もこれは極端な例である。とどの詰まり私が言いたいのは、人によって体内に流れる時間は違うが、全ての人が生きるこの世界は変わること無く時間が流れ続けているということである。 「ブラックホールの周りの空間とやらも同じことだ。いくらあの中の時間がゆっくり流れているからと言っても、外界の時間の流れには全く関係がない」 「……なるほど」 私が何故、ハッチソン・ギルフォード症候群やウェルナー症候群を引き合いに出したのか、大きく疑問に思っていたらしいシキ君は、最後に大きく納得させられ、いささか放心気味に目が見開かれている。 「そもそも、それによって時間移動が可能だったとしても、やはりブラックホールの引力に引かれて一巻の終わり。さっき話した内容と同じくタイムトラベルは成立しないと思うがね」 大体、それだけ非常識な規模のブラックホールやらワームホールやらをそのように都合よく配置するという発想自体が、あまり実用的ではない。
「さて、ここでタイムトラベルの可能性は『絶望的』という結果を見たわけだが、それに関連してもう一つ議論しておこう。タイムマシンが存在するとして、それを使って未来に行けるのかどうか、だ」 「無理ですね」が、シキ君は即答し、私が何故かと答える前に自分で説明を始める。「既に確定している過去ならともかく、これからどんな選択肢があって、どんな道を選択することになるのかわからない未来は誕生前の星と同じ、塵とガスの塊ですから。無理に未来への移動等行えば、裸で宇宙空間に放り出されるようなものです」 これは珍しい。端的な言葉の使い方をするシキ君が喩えを用いるとは。 私は、これは面白くなってきた、と思いつつ、一つの話を彼に話してやることにした。 「先ほどアインシュタインの相対性理論の話題がちらっとでたから思い出したんだけど、アインシュタインは相対性理論を構築する上で、ある時間的概念を表す方程式を発見したんだ」 アインシュタインの時間的概念とは、宇宙の本質としては、空間と時間は同じもの、時空であるというものだ。そして、時間が流れて行くこの世界は時空連続体であり、時間の流れは常に一定して過去、現在、未来へと流れて行く。 この時間の流れが一定しているという考えを“時間の矢”という。 「それって当たり前の事じゃないんですか?」 「確かに、過去、現在、未来へと時間が流れるのは当たり前のことだよ。それでもアインシュタインを悩ませたのは、“時間対称性”の存在さ」 「時間対称性、ですか?」 耳なれない言葉だったらしく、シキ君が聞き返したので、説明してやることにした。 時間に関してニュートンは時間方程式という方程式を打ち出している。またアインシュタインも独自にアインシュタイン方程式という時空が関係してくる方程式を生み出しているのだが、この両方の方程式にはある性質の存在を示していた。 それが“時間対称性”。簡単に言うと、時は一定の方向、過去→現在→未来と流れるということだが、これをアインシュタインは「過去、現在、未来は同時に存在する」と解釈した。 「つまり、アインシュタインによると今現在からしても未来は既に存在する、というのさ」 「未来は既に決まっている、ということですか?」 「さあね、そこまで言及されたわけじゃないけど、そう取る人もいるんじゃないかな」 運命は既に決まっており、自分達がどう足掻こうとその運命は変えられない、という説がある。そうすれば確かに未来は確かに存在しており、タイムマシンで未来に赴くことも可能になる。 逆もまた然り、運命が自分達のタイムトラベルもその流れに含むとすれば、過去へのタイムトラベルも無事行って帰ってくることが可能になり、成立してしまう。技術上はともかく、タイムマシンが誕生する可能性が出てくるわけだ。 「本気でその説を信じているのですか、師匠?」 「別に否定をする材料はないからね、捨てるべき理論ではないとは思うよ」と、答えると、我が愛弟子は少し呆然としていた。それを見越して、私は付け足す。「それが本当だとしたら本当に面白くないけどね」 するとシキ君はしばらくして立ち直り、尋ねた。 「……師匠自身の考え方はどうなのです?」 「時間対称性は肯定する。だが、許すのは“未来が存在する”という事実までだ。アインシュタインの解釈によると、時間対称性が語るのは過去、現在、未来が同時に存在するということだ。しかし未来の中身に触れていない」 私は袖を少しずらして、腕時計をシキ君に示して言った。 「例えば時計があるだろう? 時計の一生について、三段階に分けよう」 バラバラの部品である状態が“第一段階”、完成してコチコチ動いている状態が“第二段階”、古くなってしまってもう動かなくなった状態が“第三段階”だ。いずれも同時に存在はしている。状態が違うだけだ。わかるかい?」 「……つまり、“第一段階”が過去、“第二段階”が現在、“第三段階”が未来ですか?」 少し腑に落ちないような声で、シキ君が確認をする。 「残念ながら間違っている。逆だ。既に固まって止まってしまっている“第三段階”が過去、現在進行形で動いている“第二段階”が現在、そしてまだどんな時計になるか分からないが、とりあえず部品があって時計が存在することだけは分かる“第一段階”が未来だ。 ちなみにこの“第一段階”の時計の部品は一式あるだけじゃない、組み合わせ次第で無限の種類の時計が作れるほどたくさん部品が山になっている状態なのさ。 つまり、私の言いたいことは一つ。私の解釈で時間対称性が示す“未来の存在”とは『形はどうあれ、とりあえず現在の先に未来は存在する』という意味なのだと思う。だからシキ君の言った通り、タイムマシンで無理矢理未来に行っても、未来は完成していないから自分の存在もその混沌の中に混ざってしまって、とても無事にはいられないだろう」
私は喩えのためにシキ君に見せた時計を覗き込んで目を丸くした。 「おや、もうこんな時間になってしまったのか……。タイムマシンについて語ることがこんなに長くなるとは」 窓の外を見ると、文句無しに夜が更けている。 「こうして議論していると時間が経つのが速く感じられますね」 「そうだね。“体感時間”とでも言おうか。主観的にはこれが絶対的な時の流れだ。過去に行こうが、未来に行こうが、現在に留まろうが、自分の生きている時間分以上の事は見聞きできないんだな」 私は、目の前に出ていた書類を片付け、帰る準備を始めた。それに習ってシキ君も上着を来て自分の鞄を取る。 「さて、お腹も減ったことだし、何か奢ろうか?」 「本当ですか? ありがとうございます」
しばらく後、タイ料理屋にて自分の前に並ぶ、トムヤムクンを初めとする真っ赤な料理を目にしたシキ君が恨めしそうな表情で言った。 「師匠。……知っててやってますね?」 んん? 何のことかな? 君が辛いものがとても苦手なのだということなんて全然知らないね。
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