2005年05月21日(土) |
『名言めいた戯れ言』その1の日 |
というわけで、『島耕作』シリーズを読みつつ、リンク報告作業に回っている傍ら、ちょっとしたSSを書きました。 とりあえず、お読み下さい。
名言めいた戯れ言
1『真実という絵』
私はある時、熱心に本を読んでいる我が弟子・シキ君に珈琲を入れてやった。彼は丁寧に礼を言ってカップを受け取り、本にしおりを挟んでテーブルにおいた。その時、私にその本のタイトルが視界に入る。 「へぇ、ミステリーか。よく読むのかい?」 「いえ、それほど頻繁ではありません。この手の本を読んでいると大きな葛藤が起きてしまうので」 「葛藤?」 シキ君の言葉が気になって尋ね返すと、彼は頷いて答えた。 「はい。“早く先を知りたい”という気持ちと“答えを出せない内に解答を見るのは悔しい”という気持ちの葛藤です」 「アッハッハッハ! なるほどな!」 自分の答えに私が珍しく声を挙げて笑い出したのを見て、我が弟子は驚いたのか、目を丸くする。私はひとしきり笑うと、先ずは笑ってしまったことを詫びた。 「いや、済まない。別に君の答えが可笑しくて笑ったんじゃないんだ。ただ私も推理小説を読んでいると、妙な苛立ちを感じるものでね、どうしてなのかと思っていたが、君の答えはそれを端的に表わしていたものだから、とても納得してしまった」 推理小説を読み慣れている人間ならば使われているトリックのパターンを見破って大体の予想ができるようになるらしいが、私はそこまでたくさん読むわけじゃない。
「で、今回の答えの予想は付いたのかい?」 私が、笑いで浮き出てきた涙を指先でふきながら訪ねると、シキ君は苦笑して首を振った。 「それが、全く……。真実は必ず一つ存在しているはずなのに、どうも不可思議としか思えない事件です」 「必ず一つ存在する真実ね……。シキ君は、真実はいつも一つだと思うかな?」 私の問いに、若い弟子はわずかに片眉をあげる。それからしばらく視線を外して考えたあと、問い返した。 「それはいつも一つでしょう。先の道は無限ですが、後ろの道は一本だけです」 「ふむ」と、私は一つ頷いて返す。「では、一つ私が一つ問題を出してあげよう」 どうやら私の答えは自分のものと違うらしいと感じた様子のシキ君は、どんなものがくるものかと姿勢を正してその問いを待った。 私は、ちょっとした悪戯心を心に秘めつつ、私の飲みかけの珈琲を指差す。 「この私の珈琲だが、ミルクと砂糖、どちらを先に入れたと思う?」 シキ君の片眉がもう一度上がった。理解し、思考する時の私の愛弟子のクセなのだ。彼の視線は、ずっと私の珈琲カップに向けられたままだ。
彼はしばらく黙考した後、顔をしかめて大きく息を吐き出した。 「------降参です。それで、どちらが先なのですか?」 「それは私にも分からない」 いつも意識して入れているわけじゃないから、いちいち憶えていない。そう答えると、彼は不満そうに口を尖らせた。 「では、始めから答えなどなかったのではありませんか。それは卑怯というものです」 「答えがない、ということは真実がないということかな?」 私の返事に、シキ君は明らかにうっ、と言葉に詰まる様子を見せた。我が愛弟子は普段こそ抑揚のない平静を心掛けた言葉遣いと態度なのだが、基本的には素直なのでからかいがあるのだ。こうして、揚げ足をとっていると心が踊る。
少しヒントを与えてみることにする。 「良く考えてみなさい。『私は珈琲を入れた』、『ミルクを珈琲に入れた』、そして『砂糖を珈琲に入れた』。この三つは“事実”だ。動かすことは出来ない」 つまり、『真実がない』という事はない。確かに私は珈琲を入れ、ミルクと砂糖を入れてここにもって来たのだから。 「ここに立証されたように『答えがない』というのは『真実がない』ということじゃない。さあ、考えてみよう」 私が再び思考を促すと、シキ君はまた難しい顔をして、考え込む。だが、それは数秒にも満たない間だった。 彼は、顔をあげると私と視線をしっかり合わせて答えた。 「分かりました。『答えがない』ということは『真実が確定出来ない』ということなのですね」 「その通りだ」と、私は頷いて正解の意を示す。 私はミルクと砂糖、どちらを先に入れたかは憶えていない。他に誰が見ていたわけでもない。決定的な証拠があるわけでもない。つまり、ミルクと砂糖どちらを先に入れたかを証明する事は不可能なのだ。これが『答えがない』という状態。 「この場合、真実は複数存在する。『砂糖を先に入れた』という真実と、『ミルクを先に入れた』という真実だ」
私は一通りの事を説明したつもりだが、シキ君は納得して読書に戻ろうというつもりはないらしい。私に視線を向けたまま一つ質問をした。 「……そもそも真実とは何なのでしょう?」 「“事実”と、それを結ぶ“経緯”を大局的に見た、ある出来事の流れだね」 “事実”と“真実”は、混同されやすいが、私に言わせれば似て非なるものだ。“事実”は言うなれば時に穿たれた、決して動かず、形を変えたりもしない点。推理小説で言うと、証拠にあたる。 その『“事実”の点』を結んでいく線が“経緯”だ。推理小説でいうトリックや殺害方法である。厳密に言うと『“経緯”の線』の正体は『“事実”の点』の集まりなのであるが、現実問題、現在から過去を振り返った時、その『“事実”の点』の一つ一つを認識することは不可能だ。 こうして、『“事実”の点』を結んでいく『“経緯”の線』が描く絵、それが“真実”。
「何故、ミステリー小説の真実は一つしかないか分かるかな?」 「答えが用意されている、つまり『答えがある』状態だからではありませんか?」 シキ君は即答した。いい答えだ。この愛弟子は天才と言えるかどうかは定かではないが、飲み込みがよく、師である私に教えることの楽しさを教えてくれる。 「では実際の事件はどうだろう?」 登場人物達が、閉鎖空間に閉じ込められ、犯人が登場人物の中にしかいない推理小説ならともかく、実際の事件の場合、容疑者は不特定多数の人間だ。稀に迷宮入りと言うこともあるが、大抵、殺害方法から逃走ルートまで調べ上げ、最終的に広い街の中からたった一人の容疑者を引っ張ってくるのだ。 「なぜ事件になると答えが一つになってくるのか、分かるかい?」 我が愛弟子は、一分間程思考して答えた。 「証拠として集められる“事実”が“真実”をたった一つに確定する性質を持っているからだと思います」 「ほう、何故そう思うんだい?」 「始めのミルクと砂糖の例は、『ミルクを入れた』及び『砂糖を入れた』という『“事実”の点』に『“経緯”の線』が通る順序は問いません。何故ならどちらを先にしても結果は変わらないからです。ですが、事件の証拠などの“事実”は------」 何故かそこで彼は言葉を切った。何か閃いたように、目を大きく見開き、ついで力強さを増した視線を私に向けて言い直す。 「事件を取扱う場合、順序を問わず、過去を確定出来ない“事実”は証拠能力として不十分であり、警察が確実な“事実”から築いた答えと矛盾しない限り、あまり重要視されない。よって我々には“真実”が一つしかない“ように見えるのです”」 そう、本当は警察が解明する犯人の犯行手順でも曖昧なところはある。しかし他の部分で犯人が犯人だと証明され、肝心の段階さえハッキリしていれば、そこにこだわる必要はないのだ。“経緯”が“事実”を通る順序を限定する必要がない時、真実は一つでは無くなる。
「素晴らしい答えだ」 私が拍手をしても、シキ君はそれ程喜んだ様子は見られなかったが、それでも私には心無しか満足そうな表情を浮かべているように見えた。私は、飲み終えたらしいカップを盆の上に乗せると、片付けようと立ち上がった。 彼も議題が終わって、また読みかけの小説を開く。そんな彼に言った。 「そうだ、よく答えてくれた御褒美にいいことを教えてあげよう」 その言葉に、シキ君が顔をあげる。相変わらず読みにくい表情だが、推測できる感情としては読書を邪魔するな、という心と、好奇心だろう。そんな彼に対し、私はそっと耳を寄せて、ぼそぼそぼそ、と長い耳打ちをした。 すると、面白いくらいにシキ君は顔を真っ赤にして私を睨み付けた。
「……師匠ッ! ミステリーを読んでいる途中に解答を教えるなんてあんまりですッ!」
その1 完
つまらないもので非常に申し訳ありません。 イメージとしてはプラトンとか、昔の哲学者がよくやっていた対話集なんです。一応取扱うテーマが哲学なので。 哲学とはいっても僕は哲学書なんて読んだことはないし、読もうとも思いません。ただ、日頃疑問に思い、つらつらと考えて出した結論を吐き出すためのSSがこれです。今回は「真実とは何か」がテーマなんですね。 まあ、あまりジャンルには捕われずに、思ったこと感じたことを時々こういう形で書いていくと思います。
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