2005年05月12日(木) |
『英語帝国主義論』について考える日 その3 |
今日の朝はあんまりツイてませんでした。
木曜日の講義は昼の二時限だけなので、昼はゆっくり出来ます。といってもお昼を食べて出るところまではゆっくり出来ず、学校でお昼を食べることを考えて十時半くらいに出るんですね。 それは『雨が降って歩くハメになっても間に合う時間』なんで、晴れて自転車にのっていける日はかなりの余裕が出来ちゃうんですけど、今日は何か読みかけの漫画(←何故か『H2』)にハマり込んじゃって、出て行く時間を遅らせたんですよ。
結局十一時過ぎに出たんですけど、外に出たら雨が降っていまして「これは間に合うけど昼飯を食べる時間はないなァ」とか思ってたんですよ。 と、そこに第1の災難が。
家のカギを掛けるのを忘れていました。
どうしようこのまましらばっくれて行こうかしら→でも空き巣に狙われたら→愛しのエリーたん(←愛犬です)が狙われてしまう→というかあれほどまでに眩しい存在を泥棒が見逃すはずはない
僕はカギを掛けに引き返しました。そこに第二の災難が。
自分のドジに腹を立てて傘を地面に叩き付けたら壊れました。
というわけで、電車は一本見逃してしまったのですが、まだバスを使えば間に合います。不幸中の幸いというやつで、雨は小雨程度だったので傘はなくとも駅まで歩く分には問題ありません。 そしてバスにのった時、最後の災難が。
財布の中には福沢さんとこの諭吉くんがひとりでおるすばんをしていました。(←南海バスは一万円の両替えはダメ)
捨てる神があれば拾う神もあるとはよく言ったもので、その時そばにいた神々しい光を放つマダムが「オバちゃんが千円札と変えてあげよっか?」と言ってくれました。メルシー・ボーク、マダーム! お陰で僕は遅刻を免れたわけですが……マダム。アナタどうして千円札を30枚も持ってるんですか? 明らかに営業用じゃないでしょう、それ。 話は関係なのですが、樋口さんとこの一葉お嬢さんの写真、見方によってはかなりコワいんですけど。
何だ、殆どの災難は人災じゃないか。
以下、一昨日から続いている『英語帝国主義論』の話です。つまらん話に付き合わせてしまって恐縮ですが、今後も宿題を兼ねたこういう記述は時々出てくると思いますので、ついていけなければ読み飛ばして下さい。
『英語帝国主義論』の内容のあらましは昨日までで終えてしまったので(あんな短く済まされると大石氏としては憤慨ものでしょうが)、今日は僕自身のこのイデオロギーに対する見解を述べたいと思います。 本を半分くらいまで読み終えた時は、ちょっとこの考え方に反感を持っていたんですよ。危機感を煽るためか、英語帝国主義の罠に落ちてしまった例に対してかなり過激な言葉遣いをしていたので、なにもここまで毛嫌いすることなかろう、と。ですが、昨日問題点を並べていると、確かに不公平で悔しくなってきたんですよね。英語の国だけが得をしていくシステムには納得がいきません。
ですが、本で提案されている反『英語帝国主義』策は、お世辞にも実現性が高いとは言えません。 エスペラントの広がり具合はイマイチですし、他の世界言語が作られたとしても五大国のサミットをやって、それを世界の共通言語として案が採択されない限り、普及は難しいでしょう。アメリカとフランスが一笑に伏して終わるだけでしょうが。 そして、他の言語を広げるには英語はもうあちこちにしみ込み過ぎてしまいました。これを英語に差し換えていくのは途方もない労力と財力が要ります。
『フィネガンズ・ウェイク』を至上とする、英語呪縛に解き放たれた言語、という案はあまりにも現実性がなさ過ぎます。確かに『フィネガンズ・ウェイク』という実例が存在するものの、逆に言うとそれだけで、これをどう実用に持って行くかという話になるとそこで話が頓挫してしまいまうのです。
だからといって代替案があるのかというと、これがサッパリありません。使用言語は英語のまま、英語帝国主義の問題点を認識して、それに抗っていきたい、としか言えないんです。どう抗うか、それが次代のグローバル化された世界に繋がって行くのかもしれません。
8日振りのweb拍手レス(←文句を言うならサイトの更新をしてからにしな)
>2部読み終わりました!
まことにお疲れ様でしたっ! “まほゆめ”第二部は第一部より章数は少ないものの、一章ごとの文字数が半端でなく多かったので文字数で確実に上回っていると思います。ストーリーもややこしく出来ていますしね。 でも、最近読むと文章は第一部より確実に上手くなってるんですよ自分的に。
第三部もそのうちに始めたいと思ってはいますので、その折にはまた読んでやって下さい。宜しくお願いします。
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