呪縛の蝋
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洋館という分類上、蝋人形館の一角の雰囲気は日本のものとは違った雰囲気がある。そのためか、気のせいであろうが、歩いてくる途中ではあれだけうるさかったセミの声も館が近づくにつれて小さくなる。特に、昨夜“蝋人還し”を見てしまった千鶴や雛子の目には、いかにも妖しい雰囲気とかもし出しているようにさえ思えた。 そう、交番の次に彼らが向かったのは蝋人形館だった。事件の中心人物である伊戸部礼二、そして“現場”ともいえる蝋人形館を調べなおすことはこの調査には必要なことだ。
洋館の前では伊戸部礼二の父親である老人・伊戸部宗太郎が昨夜の灯籠巡りで洋館を照らし出していたかがり火の台を点検していた。足音が聞こえたのか、ある程度近づくと二人の存在に気付いた様子を見せて、その手を止める。
「おはようございますー」
千鶴が挨拶をすると伊戸部老は「ああ」と返事を返す。しかし、表情をわずかに潜める。赤羽教授の知り合いとはいえ、村への不法侵入者が彼の監視を離れてうろうろしているのが気になったのだろう。
「今日の灯籠巡りの準備ですかー? 朝からご精が出ますねー」 「真夏の日差しはワシのような老体には辛いので朝のうちに済ませとるだけだ。何か用かな?」 「息子さんのお部屋を見せていただこうかと思いましてー」
何のために、とは言わず率直に用件を言ったために、あまり意味が伝わらなかったようで、伊戸部老はしばらく表情を固め、よく吟味しなければ千鶴の要求の意味がわからなかったようだ。
「……何をする気かな?」 「蝋人形魔術の件で調査しようと思いましてー」 「余所者には関係のない話だ。悪いが帰ってくれ」
予想されていた答えだったのか、あるいはどう答えようとも同じ対応をするつもりだったのかもしれない、とにかく伊戸部老は切り捨てるような口調で言った。
「赤羽教授から許可をいただいているのですがー」と、千鶴が教授からもらった手紙を出して見せるも、伊戸部老の態度は変わらない。 「いくら赤羽君の弟子だろうと無関係なのには変わらんだろう。ワシはただ余所者の心無い好奇心で事態を引っ掻き回してほしくないだけだ」 「知りたいと思わないんですか? 息子さんがどこに消えたのか、そして何をしたかったのか?」きびすを返して去ろうとする老人に千鶴は言った。「ひょっとすると彼は無実かもしれませんよー」 「……本当か?」
最後の一言が利いたか、伊戸部老は足を止めて振り返る。
「万が一、という可能性ですが僕はそれもあると思っていますよー」
本気かどうか確かめようとしたのだろう、じろりと伊戸部老が数瞬にらむ。しかし千鶴はまったく動じず、いつもの締まりのない笑みで受け流した。
「いいだろう、ついてきなさい」
お盆の間、旧白灯村は閉鎖され、外からの観光客がまったく入ってこないので、蝋人形館もそれにあわせて休館となっている。
「ま、いつもどおり開けていても、相当の蝋人形マニアしか来んから、まったく問題はないがな」
この洋館の維持については村のほうから補助金が出ているので伊戸部老人も特に生活に困ることはないらしい。そういった体制が状況をさらに悪化させているのかもしれないが。
「楽そうでいいですねー」 「確かに呑気そうなアンタにゃ向いとるよ。だが、ワシには少々退屈だ。せっかく蝋人形が作れるのに腕を振るうことができない。今となってはもう遅いが、アレのことがなければ他の町に移住しとったかも知れんな」
つい失念しそうになるが、伊戸部老はもともと外から村が町おこしの蝋人形館を設立するためにつれてきた蝋人形職人である。よって地元としての愛着もなく、蝋人形職人としての生き方も失えば失望するのも無理はないのかもしれない。 そこでふと思い当たった千鶴は伊戸部老に尋ねてみた。
「そういえばどうして伊戸部さんは息子さんをイタリア留学させたんですかー?」
蝋人形の芸術としての地位は低い。ましてやこのような偏狭の蝋人形館を継がせるためだけにわざわざ留学までさせるだろうか。
「二階の作品は見たか?」
あの一階のものとは明らかに一味違った、表現力の強い作品群のことだろう。
「はい、なかなか面白い作品でしたー」
ここが交通の便さえよければ、もしくはこの蝋人形館が首都圏にあれば、あれらを目玉にこの蝋人形館はお盆に休むことなどできないくらい人で賑わっていたにちがいない。
「あれはイタリアへ行く前の作品だ。何も学ばない原石の状態であれだ。こんな小さな蝋人形館で終わる器じゃない。きちんと芸術を学ばせて、蝋人形の芸術家(アーティスト)としてどこまでいけるか、見てみたかった」
息子に見た夢を語る老職人の声は先ほどまでの千鶴を拒絶する意思が込められた硬質なそれと比べて明らかに熱を帯びている。彼も蝋人形職人の世界に夢を抱いていたのかもしれない。だが、このような誰も来ない蝋人形館にやってくるところをみると、あまり職人として満足な道を歩いてきたわけではなさそうだ。自身が叶えられなかった夢を、いつしか伊戸部老は息子を通して見るようになったのだろう。
「イタリアから帰った後の作品はあるの?」
横から今まで黙って話を聞いていた雛子が口を挟む。
「あの七体の蝋人形だけだ。確かに精巧さは増しておるが、アレの本来のセンスはまったく生かされておらんよ」 「その七体の蝋人形を作っている間はまったく気付かなかったの?」 「ああ、作ってる間はワシをアトリエに入れなんだし、出かけるときはいつもどこかに隠してしまっていたからな」
伊戸部が寝室として使っていた部屋は蝋人形館の二階、一階のアトリエと同じように、ロープで区切られた順路の奥にあった。伊戸部老は三つの錠を順番にあけていくと、ドアを開けて言った。
「ここが倅の部屋だ。時々掃除のために入りはするが、ものの位置は当時のまま動かしとらん」
そして、ドアだけ開けて、千鶴と雛子を部屋の中に促すと、自身は部屋から一歩離れて言う。
「それじゃワシは祭の仕事に戻る。好きなだけ時間をかけてくれて構わないが、手は触れて動かしたり壊したりしないように」 「はい、わかりましたー。ありがとうございますー」
千鶴の礼が聞こえたか聞こえないか、とにかく伊戸部老はその場からあっさりと立ち去った。
「……やっぱり忌むべき部屋ってことかしら」
立ち去るにしても一歩たりとも足を踏み入れようとすらしなかった伊戸部老の様子に、雛子が怪訝そうに眉をしかめる。あのいくつも鍵を使った厳重な施錠といい、アトリエにあった伊戸部の蝋人形を思い起こさせる。 伊戸部老が去ったところで、早速部屋の物色をし始める千鶴に、雛子が尋ねた。
「ねえ、あの伊戸部さんに言ってた、伊戸部礼二が無実かもしれないって本当?」 「いや、十中八九黒だね、彼は。ああでも言わないとこの部屋みせてくれなかったでしょー? 方便、方便」
本棚を眺めながら、さらっと白状をする千鶴。へらへらしているようでなかなか腹黒い。
「方便にしても、よくアレで通してくれたわねー」 「それだけ何も知らないってことなんじゃないかなー、あの人」
答えながら、千鶴はおもむろにその書物のひとつを手にとってぱらぱらとめくり始める。
「どういうこと?」 「どうして伊戸部さんがあの“蝋人還し”に参加してると思うー?」
その問いに、雛子ははっとした。そういえば、蝋人形魔術事件において、伊戸部老の立場は微妙だ。 本来、犯人の父親として、非難されてもおかしくないのだが、犯人である伊戸部礼二の失踪の上、魔術めいた演出なども相まって、殺人事件とも誘拐事件ともとられにくい状況ができあがり、かろうじて村を追われるところを免れている。また、“蝋人還し”の儀式に参加していることが、伊戸部老が被害者側の立場に立っているイメージを与え、“犯人の父親”として意識させないように働きかける効果があったようだ。
「え? まさかそのために?」
そこまで考えた雛子が突如浮かんだ結論に声を上げた。
「そこまで計算していたわけじゃないだろうけど、息子の罪滅ぼしのつもりだったんじゃないかなー」
細かいことは置いておいて、真相としては二つの場合が考えられる。一つが、蝋人形魔術は本当であり、アトリエにある六体の蝋人形が消えた娘達自身であること。二つ目は、蝋人形魔術はただの演出であり、蝋人形はただの蝋人形、本物の娘たちは殺されたかさらわれたということ。 前者の場合、万が一蝋人形から本当の姿に戻すことができれば伊戸部礼二の罪は大分消える。後者の場合においても、被害者家族の希望を消さず、全面協力することで、被害者家族の伊戸部老に対する悪感情はほぼ中和できるのである。
「それはわかったけど、どうして“知らない”って言えるのよ? 全部わかってて隠してるだけかもしれないじゃないの」 「だったら息子が無実かもしれない、って言った時点で僕らをここに通さないでしょー?」
それに、この部屋といい、アトリエといい、よく保存されている。犯罪者となった息子のものなど全部処分してしまってもおかしくないのに。
「ひょっとしたらまだ無実かもしれないと信じて待ってるのかもしれないなー、息子さんが帰ってくるの」
それから二人は言葉を交わさず何か手がかりになるものを求めて部屋を探索した。改めてみると伊戸部礼二の部屋はおよそ一般人が考える芸術家の部屋らしい。シンプルであまり余計なものをおいていないが、その代わりに蝋人形の仕上げに使う彫刻刀などが机の上にころがっている。そのそばには下書きをするために使ったのであろうスケッチブックとナイフで削った鉛筆。 それなりに片付いてはいるが、どことなく汚れている。伊戸部老は時々掃除をしているようだったが、それでも部屋のあちこちに塗料の跳ねた跡や、削った蝋のくずなどが見受けられた。 唯一異様なのが本棚だ。大半が日本語以外の本であり、装丁からしてあきらかに美術書や実用書、あるいは小説といったまともに流通している本ではない。
「ハァ、よく読むわね、こんな本」
学校の授業で少しかじった英語ならまだ分かりそうなものだが、これは読み方がなんとなく分かる程度で意味はさっぱり分からない。
「たしか伊戸部礼二が留学してたのはイタリアよね。ならイタリア語なのかしら?」 「違うよー。多分ドイツ語だよ、これー」
千鶴にも登山用語を除いてドイツ語はさっぱりだが、それでも雰囲気からなんとなく分かる。しかしイタリアに行っていた伊戸部にドイツ語が読めたのだろうか、ほかの本も見てみたが、日本語でない本はほとんどがドイツ語だった。 ぱらぱらとめくって行くうちに、本番からもらった資料に目を通している時点で思い当たったことが確信を帯びていく。
「この本は研究用に使われたものじゃないねー」 「え、何で?」 「普通研究に使われるとさー、彫ってあちこち付箋が貼られたり、線が引いてあったりするもんなんだー」
だが実際に伊戸部の蔵書の中で怪しい本にはそれらしき痕跡は認められなかった。
「そういう人だったんじゃない?」 「でも日本語のイタリア美術史の本には線が引いてあるよー?」と、千鶴は別の本を開いてみせる。確かに要所要所に付箋が張られ、赤線が引かれていた。 「怪しい本だから汚したら呪われると思ったとか?」 「あーそれはあるかもねー」
少しばかり突飛な発想ではあるが、特に否定できないので、とりあえず相槌をうちつつ今度は机の引き出しを開けてみた。 一番上が彫刻刀などの道具類を、二段目は塗料だった。そして一番下の段には―――
「ノートだー」
二、三冊の古びたノートが置かれていた。先ほど交番で貸してもらったノートと古さは似ている。おそらく、伊戸部の研究ノートだろう。
「どれどれ?」と、雛子は好奇心をむき出しにして千鶴の開いたノートを覗き込む。初対面のとき、千鶴を出歯亀と野次馬批判したと気持ちは棚の上にしまったらしい。 手にとってぱらぱらとめくると雛子は眉をしかめていった。
「うわぁ、異様……」
それは本人以外には、もしくは本人も解読ができるかどうか怪しい、混沌とした内容だった。行間や文字の大きさの一定しない文体、文字からしておそらくこれもドイツ語だろう。 一応全てのノートをざっと見てみたが、どれも同じ調子だった。これをどう見るのか気になり、尋ねようと雛子が彼の顔を覗き込んで驚いた。千鶴の顔から笑みが消えて、あろうことか眉間にしわが刻まれていたのだ。しばらくブツブツと何かを口の中でつぶやいていたが、やがて自分のノートにメモを取り始める。 書き留めた文章に目を通し、しばらく黙考すると、千鶴はパタンとノートを閉じて大きくため息をついた。
「……流石にこれは予想外だなー」
見る場所はすべて見たので、千鶴と雛子は引き出しや本を元の場所に戻した後、洋館をでた。外では先ほどと同じように伊戸部老が燭台を相手に何か作業をしていた。
「何か手がかりは見つかったか?」 「えぇ、まぁ」
苦笑を返した後、千鶴はしばらく伊戸部老を見つめた後にたずねた。
「……伊戸部さんは、真実は公表されるべきだと思いますかー?」
意図の読めない質問に、老人はしばらく黙考した後に答えた。
「……それは、誰を大切に想っとるかによるだろ」
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