言の葉孝

1902年01月09日(木) 呪縛の蝋・7

呪縛の蝋




「おっ、雛子じゃん。久しぶり」

 交番に行くと一人暇そうに書類に目を通していた若い制服警官が親しげに声をかけてきた。年齢的には千鶴と同じか少し上くらいだろう。まだ配備されたばかりに違いないが、この馴染みようからしてこの村出身なのかもしれない。

「おめー、昨日の“灯籠巡り”、オトコと歩いてたんだって? 学生連中が騒いでたぞ。男嫌いの雛子がムコを連れてきたって」
「なんでそういう部分だけ広まるのよ。教授の客を案内してただけだって何度も言ったのに。しかも何よ婿って! どれだけ話が飛躍してるのよ!?」

 雛子は不満そうに口を尖らせるが、噂とはえてして面白い事実のみ誇張されて広がるものである。それはさておき、“男嫌い”の方は否定しないのだろうか。

「おっ? 後ろのヤツが噂の婿か?」
「青山千鶴ですー。今日はちょっとおまわりさんにお願いがありましてー」と、千鶴はとりあえず挨拶をした。
「ちゃんと否定しなさいよッ!」

 雛子から抗議の声が上がる。

「でも、別に噂だけなら放っておいてもいいんじゃないー? 別に君が責任とって僕と結婚しなきゃいけないんなら別だけどー」

 間の抜けた口調ではあるが、割と説得力のある意見に、雛子はなるほど、と納得した様子を見せた。

「へぇ、雛子を黙らせたよ。たいしたヤツだね、兄ちゃん。俺はこの村出身で警官をやってる井上丈(いのうえ・じょう)ってんだ。今年この交番に配備されたばっかで、階級は巡査。……で、お願いって何だ?」

 客だというのに、丁寧語の欠片すら見えない井上の対応だが、特に見下しているわけでもなく、親しみのこもった口調であったため、不思議と不快感は沸かなかった。

「蝋人形魔術の事件、知ってますー?」
「へえ、あの事件かい。この村でその話を知らねぇやつはモグリだ。もっとも、俺らの世代の半分は本当にあったかどうかも疑わしいと思ってるがね」
「僕、その真相を調べてるんですよー。で、その捜査資料かなんかあったら見せていただけないかと思いましてー」

 その言葉に、年若い警官はへえ、と目を見開いて言った。

「へえ、本気かい?」

 こくり、と笑って頷く。同時に、雛子も神妙な顔で頷いたのをみて、井上はもう一度「へえ!」と、感心した様子を見せた。

「でも、ああいう大きい事件はフツー県警のほうで取り扱うから、ここに資料はないぞ。あっても内部資料だからな、どのみち見せることもできねぇし」
「あらー、そうですかー……」

 そんなもんだろうと考え、さほど期待もしていなかった。ひょっとしたら生き字引のような警官が残ってて、当時のことを覚えていないだろうかとも期待したが目の前の新人警官じゃ、まだ生まれてもいなかっただろう。
 隣の雛子はというと、結構な期待を抱いていたらしく、目に見えるほどに落胆している。しかし一瞬でその落胆を吹き飛ばすと、くるりと踵を返し、千鶴の袖を引っ張っていった。

「仕方がない。次に行くわよ」
「待て」

 立ち去ろうとした雛子と千鶴を井上は後ろから呼び止めた。

「俺は『フツーはない』って言っただけだぜ?」
「……ってことはあるんですかー?」

 千鶴が振り返って聞くと、井上は「ちょっと待ってろ」と、言って交番の棚にあるダンボールをあさり始めた。

「その頃、親父が俺と同じように新人でここの交番勤務に回されてたんだよ、そしたらあの大事件だろー? 事件捜査は警官の夢だからな、解決に燃えちゃったらしくて、休日に時間を割いて独自に聞き込みやら現場検証やらをやったらしいんだ。その記録用のノートが確かこの辺に……お、あったあった」

 ダンボールの中の荷物(大半がノートなどの書類だった)のほとんどを横に積んだところで一冊の古びたノートを取り出した井上が、それを千鶴に差し出す。

「ほい」
「……原本そのまま渡しちゃうんですかー?」
「雛子経由でいいからあとでちゃんと返してくれよ。なんたって親父の青春なんだから」

 あっさりと手渡されたノートに目を落とし、珍しく千鶴が驚きを見せるが、井上のその返答もかなりあっさりとしていた。

「そんなのがあるんならさっさと出し―――むー、むー!」

 からかったことに対し、井上に言い募ろうとした雛子の口を千鶴が押さえて礼を言った。

「ありがとうございましたー。お父さんにも是非お礼を言っておいてくださいねー」
「ああ。その代わり、謎が分かったら教えてくれよ。俺も気になってしかたねぇし、親父にも教えてやりたいからな」
「はい、必ずー」

 そのまま、千鶴は、その腕の中でもがいている雛子を引きずるようにして交番から離れていった。


「ちょっと、何で止めるのよ! それにあれはセクハラよ」
「いや、親切で出してくれたのに文句行ったら悪いでしょー? せっかくノートが見られるのに引っ込められちゃったらこっちが困るんだからさー」

 うっ、と雛子は言葉を詰まらせる。しかし、どこか子供を諭すような千鶴の口調が気に入らないのか、それに加えて相手が間の抜けたイメージのある千鶴だったということもあるだろうが、不満そうな顔でうつむいてしまう。

 ほほえましげな雛子の反応を横目に、千鶴は先ほど渡されたノートを開いてみた。
 さすがに地元というだけあって、容疑者・伊戸部を中心とした相関図などは、県警の本物の捜査資料よりも詳しいのではないだろうか。証言も当時の村人すべてから取ったのかと思われるくらいたくさん書き込まれており、噂レベルにいたることまで書き込まれていた。
 そのせいで多少考察の部分はその噂に振り回されているようではあったが。
 この、『蝋人形魔術失踪事件』と名づけられた(実際の警察はこんな幻想的な名前をつけるはずがないので、これを書いた井上父の勝手な呼称だろう)タイトルが書かれているノートの概要は以下のとおりだった。




 まず、事件の始まりは一件の村娘の失踪事件から始まったらしい。30年前の一月八日、松も明け、新年の祝いムードも抜けたころ、一人の村娘がいなくなってしまった、との通報が交番に入った。
 その娘、山下妙子(やました・たえこ)は十八歳で高校卒業を控えており、また本人は就職の折、上京希望だったが、その両親は反対していたという事情から家出と処理され、東京のほうに捜索願が送られて事件は決着した。

 そして二月七日、また一人の村娘が行方不明になる。桂美里(かつら・みさと)、二十三歳で当時こういった村には珍しく、その年齢でまだ独身であった。早くに病気で母親を亡くし、また父親も病床に臥せってしまったため、仕事と看病の毎日に追われて、結婚どころではなかったらしい。
 彼女の場合、家庭でのトラブルもなく、また看病に疲れた様子もみせていなかったため、何の前触れのない形での失踪となった。警察としても事故で川にでも落ちたのでは、と周囲を聞き込み、最後の目撃地点から川の捜索などを行ったがついに見つかることはなかった。

 さらに三月九日、今度は駆け落ちと思われる失踪事件がおきた。川口智美(かわぐち・ともみ)・二十歳が、「恋人と旅行にいってくる」という書置きを残し、以降帰らなかったという事件だ。
 奇妙なのはその前に彼女に男と付き合っていた気配がまったくなかったことと、付き合っていたとしても、特に相手が外部の人間であっても反対をするつもりはなかった、と両親が話していることだ。また、そこまであからさまに駆け落ちをしておいていまさら「旅行だ」と嘘をついている点も妙であったが、結局ただの駆け落ちということで処理され、あまり重く受け止められなかったようである。

 次に失踪事件が起こったのは四月十七日、失踪したのは加村英子(かむら・えいこ)十九歳。高校卒業後、この村の木蝋作りの会社に就職したばかりで、まだ研修期間が始まったばかりだった。整った容姿が評判の娘だったらしく、当時の上司がしつこく言い寄って困っていた、という記録がある。
 それがついにトラブルにまで発展する。上司のセクハラ行為がさらにエスカレートし、彼女が仕事中に逃げ出したのである。当時セクハラという概念はなかったが、それでも悪質であると判断され、その上司を処分する決定を下し、加村英子を探したが彼女の姿は村から消えてしまっていた。列車を使うなど村から出た様子がなかったことから、自殺行為に及んだのではないかという噂も立ったという。

 五つ目の失踪は六月二日。伊藤夕菜(いとう・ゆうな)二十一歳。山菜を取りに森に入ってから行方がわからなくなった。
 失踪した六人の娘の中では唯一既婚である。ただ、夫がストレスを溜めやすい性格だったらしく、アルコールに逃げた結果、妻である夕菜に暴力を振るうようになり、そのことを友人に相談したりもしている。


 村ではこんなに短期間に五人もの村娘が失踪するなど前代未聞で、神隠しか何かじゃないか、とそれなりに騒ぎになっていたのだが、この五つの事件は当初全く別々に取り扱われていた。今述べたとおり、五人の失踪には五人ともうら若い娘であるということ以外は共通点が見出せなかったからだ。
 それが結びついたのが六人目の失踪者・高野日奈の事件だった。警察はこれとは別に捜査していた麻薬密輸に関して調査しており、この事件の容疑者が伊戸部礼二であった。高野日奈の事件で、家宅捜索の許可が下り、そこで見つけたのが先に失踪していた五人の娘たちの蝋人形であった。
 この事実を受け、警察は高野日奈も含めた六人の娘の失踪事件を一つの事件として扱い、本格的に本部を組んで捜査した。テレビでもこの不可思議な事件にスポットを当て特番が放送され、その捜査は全国に及んだが、結局一人も見つからないまま、迷宮入りし捜査本部は解体された。




「『伊戸部礼二についての証言はあまり多くない。子供のころは芸術性の高い子供として、村から著名人が出るのでは、と期待されていたが、イタリア留学で村を空けているうちに、彼のことを忘れてしまっていた者もいた。
 帰ってきて積極的に挨拶回りするでもなく、蝋人形館のアトリエに篭ったまま、まったく出てこない様子だったため、この狭い村でもイタリアから帰ってきたあとに彼に接触した人数は少ない』、だってさー」
「普通、帰ってきたらみんなに会えて嬉しいから会いに行くんじゃない? 何のために帰ってきたのかしら」

 千鶴が読み上げたノートの内容を聞いた雛子の疑問はなかなか核をついている。どのみちアトリエに引きこもるなら、わざわざ白灯村に戻ってくる意味はないのだ。蝋人形館を継ぐにしても伊戸部老もそのころはまだ若かっただろうし、特に急ぐ理由もなかった。
 村のほうが伊戸部礼二を必要としたわけではない。“伊戸部礼二が村を必要とした”のだ。

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