言の葉孝

1902年01月07日(火) 呪縛の蝋・5

呪縛の蝋





 赤羽教授は、帰ってきたときには離れの書斎で寝泊りするのだが、食事は雛子たち三原家と取ることになっているらしい。とりあえず今夜は教授と一緒に離れに泊まらせてもらうことになったのだが、その流れで千鶴も夕食に呼ばれることになった。

「すみませーん、おかわりお願いできますー?」

 千鶴は、空になった茶碗を雛子の母に差し出した。

「あらあら、やっぱり若い男の人は良く食べるのねぇ」
「いやぁ、普段はそれほど食べないんですけど、お母さんのお料理美味しいんでー」

 ついつい、と笑って言う千鶴に雛子母も悪い気はしないらしく上機嫌で茶碗にご飯をよそう。

「アンタ、他人の家でご馳走になってるんだから、少しは遠慮しようと思わないの!?」

 焼き魚の身をいそいそとほぐしていた雛子が千鶴をにらみつけると、千鶴は笑顔で味噌汁をすすって答える。

「食べられるときは食べるよー。遠慮しないのが礼儀でしょー? あ、どーも、ありがとうございます」

 白米が盛られた笑顔で茶碗を受け取る千鶴に、今度は赤羽教授が話しかける。

「それで、明日はどうするんだね?」

「朝一番で帰ろうかと思います。まだ色々知りたいことは残っていますけど、教授の行ったとおり、部外者の僕が首を突っ込んでいいところじゃないしー」

 好奇心は確かに残しているだろうがさして執着を見せないという器用な反応を返した千鶴に、熱い茶の入った湯飲みを片手に雛子の父がふむ、と頷いて提案する。

「なら、今夜の白灯祭を見ていったらいい。割と珍しい形の祭りだ。きっと青山君の好奇心も満たされるぞ」
「え? いいの? こんな余所者うろつかせて。確か、一日目は手伝いがあるんでしょ?」と、意外そうな声を上げたのは雛子だ。

「でも表が賑やかなのに離れでジッとしていろというのも酷だろう。確かに、一人で歩かせば問題はあるが、簡単な話だ。お前も一緒に行けばいい。年頃も近いし、意外と気が合うかも知れんぞ」
「ええっ!? あたしが!?」



 白灯祭は盆に催されるということからも分かるように、この時期に帰ってくる死者の霊を歓迎する、というのが主な目的の祭である。各自神社で霊を宿らせる媒介となる灯籠を受け取り、故人と過ごした昔を懐かしむように、村中を歩いてまわる『灯籠巡り』が主な行事だ。
 村の各所には祝い餅や振る舞い酒、菓子類などが配られており、各自それを受け取って帰るスタンプラリーのような形式で行事は進む。

「うん、いいねー。こういう純和風な雰囲気は大好きだよー」

 配られていた米菓子を食べつつ満足そうに頷く長身細身の大学生を、雛子はじろりと軽くにらむ。

「アンタねぇ、あれだけご飯食べておいてまだ食べるの!?」
「育ち盛りだからー、僕」と、身長一七〇、御歳おそらく今年で二十二の男が気楽そうに答え、雛子は盛大にため息をついた。

 いちいち間の抜けた口調にはまったく我慢ならない。何故自分がこんな男に付き合わなければならないのだろう。今年こそオジサマ(赤羽教授)と灯籠めぐりしたかったのに。―――今頃、美咲は西村勇と仲睦まじく歩いているのだ。ご先祖様片手にうらやましい、もとい、浅ましい。
 だが灯籠片手に夜の村を歩くというのは、この長閑(のどか)さくらいしか取り柄のない村にしては気の利いたロマンチックな行事であることは確かだ。雛子にも恋人がいれば一緒に歩きたい。もっとも同年代の色気づいた男子達とはあまり付き合いたいとは思わないが。彼らはどうも底が浅すぎ、青すぎる。男はもっと渋く、重く、そして深くあるべきなのだ。

 しかし今、隣にいるのは恋人にしたいランキング現在一位のオジサマではなく、今日あったばかりの不法侵入ヘラヘラ男・青山千鶴である。何故、出会う知り合いすべてに「彼氏だ」「男だ」と騒がれなければならず、そのたびにコイツは赤羽教授の教え子云々の説明を繰り返さなければならないのか。
 ちなみに本命のほうは、父母と一緒に祭の運営の手伝いに回るとかで、今日の灯籠巡りには参加していなかった。

「教授たちはどこで働いているのかなー」
「さあね」私が聞きたいわよ、という勢いではねつけるように雛子は答える。「ぜんぜん見かけないし配るお餅とか運ぶ裏方でもやってるんじゃないかしら」

 もう何度も灯籠巡りを行っているが、両親および教授は必ずといっていいほど一日目は姿を消す。美咲が近年親友の自分より幼馴染上がりの彼氏をとって一緒に回る相手がいなくなってからは、その居場所を突き止めようと探したりもしたのだが、やはり見つからなかった。


 灯籠巡りの一番の名所はやはり蝋人形館である。中には入れないが、暗い中、かがり火の揺らめく光に照らし出された古い洋館というだけでもいろいろな意味で凄味のある景観だ。たとえ扉が開いていたとしても、とても足を踏み入れる気にはなれない。

「あはは、何か冒険心をかきたてられるね〜、なんとか中に入れないかなぁ?」

 同行中のヘラヘラ男はと言えば、子供のように灯籠で照らして中をのぞいたり、窓をガタガタ鳴らしたりしているのだが。ただの蝋人形館だし、特に心霊スポットだったり神聖な場所ではないのだがなんとなくバチ当たりだ。

「ガキっぽいことしてるんじゃないわよ。ホラ、さっさと行くわよ」

 声を掛けるが、千鶴は全く聞いた様子も見せず、館の側面に回ろうとしている。

「ちょ、ちょっとどこに行くつもりよ?」
「いやぁ、あの明かり取りの窓はどこかな、と思ってさー」

 どうやら夕方、赤羽教授に案内された地下室の窓のことを言っているらしい。あの地下室は上部二十から三十センチほどは地上に出ており、たった一つだけ明かりを取るための窓があった。位置関係からして裏だろうとあたりをつけたのか、千鶴は指して迷うことなく屋敷の裏へと入っていく。
 どういうつもりであんなモノを見たがっているのだろう。
 勝手な行動をするなら置いていこう、というかむしろこの男から離れるチャンスだ、と思ったのは確かだが、ここで面倒を起こされて後で自分にしっぺ返しがくるのも歓迎できない。
 というより正直、若干の好奇心もあって、雛子は千鶴の後を追って、蝋人形館の裏手に回る。

「ちょっと待ちなさいよっ」

 小走りに追いかけると、千鶴は奥の角を曲がったところでぴたりと足を止めた。それが不意の行動であったため、雛子は止まりきれずに彼の背中にぶつかってしまった。

「うぷっ……、アンタね、そんなに急に止まることないでしょう!?」

 待てと言っておいてなにやら理不尽な文句であると自分でも思ったが、千鶴はそんなことは気にした風も見せず、自分の唇に人差し指をあてて、喋らないようにジェスチャーをする。そして、その指である一点を指差した。
 その先をたどって視線を移してみると、確かに一点、おかしなところがある。

「……明かりが点いてる?」

 千鶴が指差したのは、彼が探していた地下室の窓だった。ただ、予想外だったのが、その窓の中から微かに光が漏れていること。忌まわしい事件の跡に残った部屋なので、こんな祭りの日でなくともほとんど人は立ち入らないはずなのに。
 しかも、ただの明かりではなかった。電灯にしては薄暗く、しかも揺らめいていたのである。

 すっ、と千鶴が足を踏み出した。ぜんぜん足音がしないと思ったら、彼は靴を脱いでいた。近づいて窓をのぞきこんでみるつもりなのだろう。
 雛子はホラー映画のように覗き込んだ瞬間、何かに襲われるか、得体の知れない怪人と目が合うような気がして、あまり覗きたいとは思わなかったが、それでも自分の身内に関わる問題である、という事実が見なければならない、と己に告げている。
 見たくはないが、見なければ気がすまない。雛子は意を決して、千鶴に習い、靴を脱ぎ、持っていた灯籠も地面に置くと、窓に歩み寄った。

「光に当たらないように気を付けてねー。あっちから見えちゃうかもしれないからー」

 追いついてきた雛子に、千鶴が小さな声で注意する。なんでこの緊張すべきときまで間の抜けた喋り方をするのか。しかもヘラヘラ男の癖に注意などと年上ぶって。(というか、先ほど靴を脱いだ事といい、そんなノウハウをどこで身に付けてきたのか)何か言い返してやりたい気分になったが、素直な心で見れば彼の言っていることはもっともだったので、何とか衝動を抑えて光を避けるように立って、中を覗き見る。
 そして、見なければ良かった、と雛子は一瞬で後悔した。


 サバト―――雛子の素人目にはまず、その言葉が脳裏に浮かんだ。
 まず目に付くのが、部屋の中央の床に描かれた円形の文様である。魔術儀式などでは良く使われる魔方陣という奴だろう。太く六芒星が描かれたそばに細かい文様が付け足されている。
 その六芒星の各頂点には、それぞれ件の六体の蝋人形が円の外に正面を向けた形で配置され、その目の前には灯籠が淡い光を放っていた。窓から漏れていた明かりはどうやらこの灯籠だったようだ。
 そして、魔方陣の真ん中に、その蝋人形を作った本人である伊戸部礼二の蝋人形が入っている(と、言われている)、お札がたくさん貼られた大きな箱が据えられていた。

 また魔方陣を囲むように人影も見える。一人は地下室の奥側に立ち、なにやら本を読み上げているようだ。慣れた動作なのか中々堂に入っている。そして残りの十五人近い人々はそれぞれ目の前にある蝋人形に向かって跪(ひさまず)き、一心不乱に祈りを捧げていた。
 雛子が認めたくない事実は、このサバト自体ではない。人影の招待のほうだ。灯籠の頼りない光に照らされて本を読み上げている男は間違いなく伊戸部宗太郎。そして、偶然窓に正面を向けて唯一顔が判別できた“高野日奈”の蝋人形、その正面で祈りに結んだ手を震わせている人物は―――


 もう何度も灯籠巡りを行っているが、両親および教授は必ずといっていいほど一日目は姿を消す。美咲が近年親友の自分より幼馴染上がりの彼氏をとって一緒に回る相手がいなくなってからは、その居場所を突き止めようと探したりもしたのだが、やはり見つからなかった。

 ―――ここに、来ていたからだ。

 心臓が早鐘を打ち、気の遠くなる思いがした雛子は、窓のそばの壁に背を持たれかけて座り込んだ。
 どうすればいいのだろう。ここから乱入でもして儀式の邪魔をするか。それともこの場は見逃して、帰ってきたところを待ち伏せて問いただそうか。
 そこで、もう一人そばにいることを思い出した。ふと千鶴がいたところに視線を移すと、彼もまた窓から目を離し、立ち上がっていた。自分が見上げていたのに気づいたのか、彼も雛子に視線を移し、自然と二人の目が合った。

「いやはや、ちょっと覗くだけのつもりがなかなかスゴイものと見ちゃったねー」

 口調と表情は変わっていない。いつもと同じ間の抜けた語尾に、へらりと笑った顔。だが、微笑みに細められた目が違っていた。薄暗くて瞳など見えるはずもない。だが、それでもその目には好奇心だけの今までとは違う、明確な意思の光が宿っていた。




 その晩、日付が変わってしばらくして離れに教授が帰ってきた時、電灯も消し、千鶴のために敷かれた来客用の布団にすでに横になってはいたが、意識は覚醒したままだった。

「教授?」

 まさか、千鶴が起きているとは思っていなかったのか、相当の動揺を見せて彼は千鶴に向き直った。

「青山君、まだ眠っていなかったのかね? 明日は早いんだろう?」
「教授こそ、こんな遅くまでどこへ行ってたんですかー?」
「ああ、祭の手伝いでね。明日の準備もあって、こんな時間まで掛かってしまったよ」
「蝋人形館の地下室でー?」

 あらかじめ用意してあったらしい嘘に対し、千鶴が真実を知っていることを匂わせると、案の定、教授は激しく動揺したようで、暗い中で表情は読めないものの、それでも大きく身じろぎ、しばらく沈黙した。

「……見てしまったのか……あれを……」
「はいー」

 返事をすると、千鶴はむくりと起き上がり、教授に向かい合って正座をすると、突然例の間の抜けた口調を忘れたように宣言した。

「というわけで、気が変わりましたー。帰るつもりだったんですが、僕は明日からも調査を継続しようと思いますー」
「……好きにしたまえ。私は君の調査に加わる気はないが、できる範囲で協力しよう」

 そう言って赤羽教授は自分の寝床に入ってしまった。彼の言動を見ていると、どうも千鶴がこの件に関して首を突っ込むことに、あまり賛成ではないらしい。しかし、それでもハッキリと反対をしないのは、その一方で何かを知ってほしい、という気持ちがあるからかもしれない。
 どちらであろうと、千鶴のこれからすることに変わりはない。

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