なか杉こうの日記
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2005年04月03日(日) 【詩】餅のような二日間・雑記・一万遍

また、日が過ぎた
餅のように伸びた二日間
わたしは
歩いて
私鉄の赤い電車のそばを歩いて
すすきが光っているのを見た
すすきは乾いていて
年老いても元気な老人のようだ
餅のような、二日間
すすきが白く輝いているのを見ながら
あたしは、これから 好きなことをしよう、と思った。
餅のような二日間は、ながい
あたしは息を大きくつくことができる
あすからの一週間は
無駄な生である
給料がもらえるとか
理屈はいくつも立つが
それでいて、無駄な
人をしなす、作業である
好きなことをしたい、と考えた
すすきも、そうだそうだと言っている
白い餅のなかに沈んだ二日間
わるくない
またあしたから
きっとあしたから。



ふと、今までの主に詩のうちのよいものを集めてまとめてみたいなと思うときがある。しかし、その作業を想像するとどうも「自己撞着」的な仕事のように思えて
うんざりもする。
から回り。じぶんの中だけを、から回り。
人はどうなのだろう。自分の作品を編む時、「これだけは人に伝えたい」と思うから、作品集を編むのだろう。しかし、自分は、自分の書いたものがひとつにまとまると、いや、そのまとめる作業すら「むだなこと」という感覚がある。
 自分の書いたものは、自分が生きた「かす」である。豆腐のおからみたいなものである。
 自分の書いたものでとくに人からコメントをもらったものでない場合、すぐに忘れる。「こんなものを、書きましたね」と人から言われてピンと思い出せないことが多い。何かのきっかけで自分が以前に書いたものを読んでも、「こんなの書いたっけ」と、頭が霧の中である。
 他の人もそうなのだろうか。いや、ほかの人はもっと言葉を選んで、何かの意気込みを入れて書くのだろう。わたしは自分勝手にこうして書くのは好きだが、きちんとした文章がなかなか書けない。いつぞや小説の通信コースとやらに参加したことがあったが、ひどい点数とひどいコメントをもらってやめてしまった・・・。
 きちんと書けばあんなことはないのかなあ。



さあ、ひとしきり
近所やら
遠くやらを回って
ちょっと
心が翳ったこともあったが
ともかく
日は射すし
よい、天気
PCを消して
外に出ようぜ!
なにせ わたしは
生きているのだから。
なにせ
生きているのだから。
これを一万遍、繰り返せ

ちょいと
心が泣いている
陰りがかかっている
日が射せば射すほどに
影が濃くなる
それを、吹き飛ばせ、と。
よいことも、ある
わるいことも、ある
早く歳をとって
小さな花壇をつくりたい、と思う
野菜を植えていたあなた。
お元気ですか


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