なか杉こうの日記
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このごろは耐性ができたのだろうか、あまり人に腹を立てることは少なくなった。あきらめ、と言うべきか。もしかして、きちんと言うべきことも言っていないのかもしれないが。
翻訳をもっとやればいい、と言う。英訳して外国の雑誌にでも投稿すればいい、と言う。こちらでどんどん和訳ならやりますから、と。よく言うよと思う。青い口の先をとんがらかして、言う。ちょこちょことメークアップするような調子で言うのである。
実際にこれまで翻訳をしてきた人は、それこそ集中して机に向かい、ものを調べ結構な時間を費やしてきた。それが彼女にできる、というのか。一日中おしゃべり好きな人に。そのくせ、和訳の仕事が舞い込むと、それはわたしのすることではないと言ってうまく逃げる、そういうタイプなのである。
こういうタイプに真正面からはむかうと、負ける。うまくはぐらかすしか、ない。やったことがないくせに、またはちょっとかじっただけのくせに、したり顔をして、言う。または、きちん調べずに適当に訳す可能性がある。「そんなの重要じゃないでしょ」とでも言いそうだ。
うちの職場でここ二三年、TOEICなどを基準に、よい得点を上げたものを語学スタッフとして活用させろ、ということで、そういう人たちに翻訳をやらせてきた。彼ら彼女らは別に語学要員として入ったわけではないが、たまたま英語がある程度できたのである。
しかしながら、英語ができることと、翻訳または通訳として使えるということとは別物である。彼ら彼女らを「活用」するために、この二三年間、その人たちの訳したものを読み、訂正し、組織内に配布できるようなものに仕立てるという仕事をした。
自分で訳せば数倍早いものを、である。わたしは別に翻訳ができるから特別だとかそんなことは言いたくはないが、翻訳で正確なものを仕上げるには、時間と根気と興味とリサーチ力がいる。そんなことをやらずにちょいちょいと翻訳してもそれはそれでかまわないと思っている人間がうちの組織には多い。
たまたま、向こうの雑誌から依頼を受けてうちの組織の担当者が原稿を書き、それをうちの方で英訳した記事が雑誌に載る。大きな写真入りだ。これを実現させるまでには、編集者との手紙のやり取り、写真の入手、テクニカル的な問題、それを英語にすること、などなど翻訳プロパーだけでない、いろんな作業が必要だったのである。
それを出来上がった雑誌記事のみみて、「もっとこんなのをやればいいのよ」と口をとがらかせて、きんきんと言う。「交渉ならやってあげてもいいわよ」ですって。頭から湯気が出そうであった。この女はほんとうに、苦手である。
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