妻に先立たれた78歳の幸造は一人暮らしをしていたが、同じ大阪市内に住む長男知之の妻、雅美はそんな義父が痴呆症では、、、と秘かに案じていた。 色々 思い当たる兆候があったゆえに、夫や知之の姉らと相談して病院へ連れて行った時には ”レビー小体型認知症” と診断された。
以前、この著者の『廃用身』という物語を読んだことがある。 超高齢化社会と言われる社会の現実を書いておられるが、高齢者の仲間入りをした我が身としては何とも重い、重い、辛い物語だった。
それでも幸造は息子や嫁に見捨てられることなく、息子の家で静かに逝った。 痴呆の症状が出たと言っても、いわゆるまだらボケのときもあったから、そんな時は壊れゆく自分自身が辛くて、子供や孫に迷惑をかけたくないという意識の中で苦しんだ。
最早、他人事ではない。 主人が、私がボケたときにどうすればいいのか。
暴言と言われてもいいが私の希望は死にたい高齢者は死なせてほしい。 出来たら、病院の一室に 個室の看取りの病室 なるものを作ってほしい。 要は安楽死である。 今の日本にそれを希望、まして実現できるはずもないことは十分、自覚しているが死にたい高齢者は沢山いるはずだ。 それが これから迎える空恐ろしい高齢化社会の一つの解決策だと思うのだが。。。。。
|