読書記録

2016年06月20日(月) 人は死ぬとき何を思うのか


共著


〇渡辺 和子:ノートルダム清心学園理事長
死を受け止め、次世代に継ぎ足すというシスター渡辺和子。
せめて私たちにできることは、死を絶えず身近なものとして、忘れないように生きていくことではないでしょうか。
それは、いつ死を迎えてもよいような日々を送ることだと言えるかもしれません。



〇大津秀一:ホスピス医で東邦大学医療センター大森病院緩和ケアセンターでケアチームを運営
緩和医療の専門家として命の尽きるまで人としてできることはある――と説く大津秀一


〇石飛幸三:血管外科医で、特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医
延命治療と平穏死のはざまで終末期の人にとって最善の方法を模索する医師・石飛幸三
「口から物を食べる」という行為をしなくなるのは、やはり生命を維持する力に限界が来ていることを意味しているのです。


〇青木新門:冠婚葬祭会社の顧問で、映画『おくりびと』の元になった『納棺夫日記』著者
納棺師の経験を通して命の輝きの素晴らしさを語り続ける青木新門。
死を五感で受け止めるとき、命がバトンタッチされる


〇山折哲雄:国際日本文化研究センター所長など歴任
「死に支度」の重要性を現代に問う山折哲雄。
死者を弔うマナーも大事にしなくなり、直葬や脳死移植が登場したことに対し、こうした問題を解決するためには、
生のみに偏った現在の死生観をリセットし、再び死を身近なものとして認識する必要があるのではないか。

仏教における無常の三つの考え方→地上に永遠なるものは一つもない+形あるものは必ず壊れる+人は生きて、やがて死ぬ



 昔はどこかからだの調子が悪くなれば、当然食欲がなくなって物が食べられない状態になる。
点滴はもちろん 胃ろうなんてものはないから自然と餓死に近い状態で亡くなっていく。
ある程度の年齢になっていればそれこそ覚悟をすべきだ、と私は強く思う。

取りとめのない書き方と人によれば暴論といわれるかもしれないし 少々話がズレがちだけれど、私はさっさと死にたい。
もし心肺停止したなら、せっかく止まった心臓に手をかけないでもらいたい。
延命なんて真っ平ゴメンだ。
だが 家族(・・・これも疑問・・・)や使命感ある救急隊の人たちの立場を考えると難しい問題だ。

それに何故か、風潮として『死』を語ることがタブー化されているように思う。人は必ず死ぬのだから、いつかその順番はやってくるのだから、もっとオープンにその時の医療のことなど語りたい。







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fuu [MAIL]