うさぎのつぶやき
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忙しさに紛れ、季節の移り変わりに無頓着でしたが、気が付けば もう4月。 あちらこちらで桜が、プランターの花々も又先を競うように咲き 始めています。 この度の地震によって被災された方々、またその事によって不便を 強いられている皆様には心からお見舞い申し上げます。
阪神大震災のときにはあの悲惨な状況を見て「私にできる事は なんだろう?」と真剣に考えた事が思い出されてなりません。 あの時よりももっと悲惨な今回の地震、その状況はまるで映画を 見ているようでした。 私に何かできる事はないだろうかと思う毎日ですがまずは どうかどうか諦めないで一歩ずつでも進んでいただきたいと 願っています。
さて、今月をもって無期限で宮崎の実家に帰る事になりました。
今年に入り、父の肺に癌が見つかりました。 もともと若いときに肺逡巡を患い、左の肺は全く機能していません でした。長年片肺のまま来たのですが、今回右の肺の上部に癌が 見つかり検査の結果、転移もなさそうだし体力的にも85歳という 年齢の割りにはいろいろな数値も高く、何より父が前向きであった ことで「手術」と言う選択をすることになったのです。
2月の21日に入院、28日が手術でした。 6時間にも及ぶ大手術となりましたが何とか無事に生還、術後の容態 も順調で先月19日には晴れて退院する事が出来、現在は自宅にて 日々過ごしています。
私はと言うと、うすらぼんやりとでしたが、そろそろ両親と一緒に 生活したいと少し前から考えてはいたのです。 父の癌が見つかった時点で、その気持ちがはっきりと固まったという か現実味をおびてきました。 昔から強い気持ちを持っていた母も年を取るにしたがって自分の体の 衰えにじれったさを感じていて、時々弱音を吐くようになりました。 そんな足腰が弱ってきた母一人に父の看病を任せることはできないの です。 幸いにも娘も息子ももうすっかり一人前になっています。 夫はと言うと以前から、宮崎の両親も年を取ってきたし宮崎に行った ほうがいいのでは?と言っておりましたのでこちらも問題はなく、 あとは私自身の退職のタイミングだけだったのです。
地震の影響で仕事柄とても忙しくなってしまい、予定より少し伸びて しまいましたがようやく24日で終える事ができ、30日に帰ってくる事 が出来ました。 無期限ということで、身の回りのもののほかにも、雑多な物やそれ からデスクトップのPCも持っての帰郷となりました。
荷物の整理もまだ付いていませんがなんとかPCだけは接続設定も済み 徐々に平常に戻りつつあるこのごろです。
父の容態はというと良い時もあり悪い時もありと、一進一退ではあり ますが、ひと月前に肺癌の切除手術をした人には見えない程、顔色 もよくまずは一安心と言った現況です。
これからは少し時間的にも余裕が出てくると思いますので、又日記を 再開しようと思っています。宜しくお願いいたします。
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