うさぎのつぶやき
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親がいて、子供がいて、学校があって先生がいる。 学校で嫌なことがあると、子供は学校を休んだり親に訴えたり、日記やネットに書き込んで・・・。
そしてそういうことが出来ない子供は内に篭もってしまう。
どちらもどうしたらいいのか分からず時間がたち、そうこうしているうちにますます「ネクラ」になって 「うざい」とか「暗い」などのレッテルを貼られいじめの矛先を向けられて・・・。
テレビのニュースになるような事件へと繋がっていく。
親は学校の対応が悪いという。 テレビの中で評論家達は学校の対応と教育委員会の対応の悪さを指摘する。 加えてその指摘は警察まで向けられたり・・・。
そして私達は テレビや新聞で報道されたりネットで配信された情報しか知りえないからそれらで判断をしてしまう。
報道されていることから判断してみると、 確かに学校の対応や教育委員会の対応には呆れてしまう事も多々あるけれども・・・。
多くの非難を覚悟で言うと・・・。
子供は事の全てを友達や先生のせいにしていないだろうか? 親はその全てを学校の、教育委員会のせいにしていないだろうか?
まずは家じゃないかと思うわけです。
些細な本当に些細な事から問題は始まるわけで、その些細なことがあったその日のうちに 「今日こんなことがあっってん・・・」と話せる家庭だったろうか? 「私はこう思うけど、こうしたんだけど、どう思う?」 と夕飯のときにでも話せる環境を作ってあげていただろうか? 「今日はちょっと元気がないね〜。何かあったん?」 と小さな綻びに気づいてあげただろうか?
そして自分の子供が間違っていれば分かるように話してあげただろうか? 間違っていなければ 「お前の言うことは正しい、でもそれぞれ考え方や意見は様々なのだから人の意見も受け入れてみてはどうかな」 などと話し合う雰囲気があっただろうか?
“臭い”といわれたのなら、それが体臭であるならば、 洗濯の方法を変えてみるとか、石鹸や洗剤を変えてみるとか、体臭をカバーするエチケットスプレーを 何気なく買ってくるとか。
“暗い、うざい”と言われているようなら ほんの少しの努力で明るくなれることを教えてあげるとか、 もしそれが本来の性格であるなら、それはそれでいいところもたくさんあるんだから卑屈になる事はないんだと 言ってあげるとか・・・。
そしてそれ以前に、親と子が信頼しあえるのかどうか、信頼しあえていてこそ家庭内での話し合いが 功を奏すと思うのです。
親は、わが子が自分で命を絶つほどに思いつめていることに気づかなければならないわけです。 そして気づいたなら何としてでも解決策を考えなければならないわけです。 学校を先生を頼る前に、親としてなりふり構わず真っ向から取り組まなければならないと思うわけです。
仕事を休んででも子供と向き合って一緒に考えてみなければならないと思うのです。 そして世界中があなたを非難しても私はあなたの味方なのだから安心しなさいといってあげなければ ならないと思うのです。
「学校に送り出してしまえば全てのことは学校側の責任」かと言うとそうでもないと思うわけです。 子どもの全ては親の責任、育てた責任なのですから。
そう考えると、つまりは幹の太い、揺らぎのない“こころ”というものを持つように育てることが 出来たかどうかという事に行き当たるような気がします。。。
学校の、教育委員会の、ひいては文部省の責任だと言ってしまえば楽なこと。 事実そうかもしれないけれどそれは第三者が糾弾することで、まずは親としてどれだけの事をしたか ということを真摯に考え直してみることが必要なのではないでしょうか?
そして・・・ そう考えると、結局親の資質と言うことに行き着くような気がするのですが。
『子供は、育てたように育つ』のですから。
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