うさぎのつぶやき
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今日は私の二回目の出産記念日。
その前年の5月に娘を出産していたので、1歳半になる娘を連れてのお里帰りをしていた私。
当時両親は共働きをしていたので、日中は私と娘だけ。 そのため通院が楽なようにと実家の近所の産院を選び通っていた。 元々低血圧の上に貧血があったので、増血剤の注射に通っていたのだが、ちょうどこの日定期健診と重なった為診察を受けたら、
「あーッ、もうすぐ産まれるかもしれません。すぐに入院してください」と言われ 「じゃあ、用意をして戻ってきますから、一度帰らせてください。」とお願いをして、とりあえずの用意だけしてとんぼがえりで病院へ戻ったのがお昼を少し回った頃だった。
すぐに段取りが始められ、点滴を刺したまま分娩室へ連れて行かれ、あっという間に陣痛が始まり、あっという間に出産してしまった。 午後4時30分を少し回った頃のこと。
最初の娘の時と違い、あまりにもあっけない出産だった。 なので彼には悪いのだがこの時のことはあまり覚えていない。
小さい頃は食が細くなかなかご飯を食べてくれなくて気分を変えようと、小さなおにぎりを作って家の前にゴザをしいてピクニック気分にしてみたり、まんまる、四角、三角、長四角、などの小さな小さな2センチ角くらいのおにぎりをたくさん作り、それにふりかけ、海苔やらをかけたり、巻いたりして目先を変える工夫をしてみたりと、とても苦労をしたことを覚えている。
小学校へ入る頃から、喘息がひどくなり昼夜問わず発作が出て学校を休む事が多かった。 私自身、喘息体質なので、そのしんどさはよく分かるしどの体勢が楽なのか分かっていたので(子供のうちはおんぶするのが一番良いみたいだ。)夜中はおんぶして外に散歩に出ることも頻繁だったし家の中では座っている時も背中にもたれさせて時を過ごしたことも度々だった。
その頃私達夫婦はお商売をしていたので、二人の子供達には寂しい思いをさせてしまったと、未だに申し訳なさが付きまとっている。
そんな息子も母の思いを知ってか知らずか、いっこうに安心させてくれる気配は無く、今日も今日とて 「おめでとう〜」の携帯mailを送ったのに何も返信してこないし、もう後わずかで今日も終わろうかと言うのに電話を入れても出る気配が無い。
しかし、どれだけ彼がえらそぶったって この先これからもずっと、永遠に私は彼の母親なんだし、一番身近で、一番熱心な応援団であり続けるんだろうな。
お誕生日おめでとう〜♪
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