うさぎのつぶやき
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いつから学校が危なくなったんだろう・・・? 昨日またもや悲惨な事件が起こってしまった。しかも又大阪だ。
学校というところはとても楽しいものだった。まるでおもちゃ箱のようだった。
そもそもとても神聖なところだったし、その中で先生は聖職者、子供達は天使だった。 地域に密着していたし、周りの大人たちは教師に対して敬いも忘れていなかった。 国は子供達の事をもっともっと真剣に考えていた。 周りの全てが、未来を背負った子供達の為に取り組んでいた。
余りにも真剣に取り組みすぎて組んでいたスクラムがパンパンになりすぎたのかもしれない。 風船もゆとりを持って膨らますと割れないけれども、 余り膨らましすぎると、ちょっとつついただけで割れてしまう。
どこかに綻びが生じたのかもしれない。
今、昔を思い出してみると楽しかった事ばかりが思い出されてくる。
幼稚園に入る前、私は学校が大好きだった。 近所の小学校へ一人で遊びに行き教室に入っていって授業を聞いていた。 暫くすると先生から「大きくなってからいらっしゃい」と追い出されていつも泣きながら 家に帰っていった。 母はそんな私をいつも笑っていた。
幼稚園に入って暫くの頃。 向かいに幼稚園に行ってない同じ年のH子ちゃんがいた。 「幼稚園って楽しいよ」そう言ってある日連れて行ったことがある。
当時私は市バスで通園していたがそんな子が大勢いたので、運転手のおじさんは、 子供達は皆、胸から定期をぶら下げていた為に、たいした確認をしていなかったのだろう。 H子ちゃんは料金を払うことなく、難なくバスに乗り、降りる事ができたと思う。 幼稚園では飛び入りのH子ちゃんを受け入れてくれ一日園児として過ごさせてくれたそうだ。 帰りもまた同じように一緒にバスに乗り一緒に降りた訳だが帰ってみると大変な騒ぎになっていた。 警察まで来ていた。
そう、 いなくなったH子ちゃんは誘拐されたのではないかと大人たちは大騒ぎしていたのである。 まさか私が連れて行ったとは思わなかったのだ。 当時は家に電話などなく、幼稚園側も自宅に確認ができなかったし、まさか黙って連れて来ている とは思わなかったようだ。 「どうしてそんなことしたの?」と聞かれた私は 「幼稚園にいってないH子ちゃんがかわいそうやったから」と答えた。 そんな私を大人達は叱る事もなく笑ってその場は解散となった。
小学校に入学してからは下校時間が来るまで校庭で遊んでいた。 そして帰宅すると、通っていた小学校は家から少し離れていたので、 小さい頃よく忍び込んだ近所の小学校の校庭で夕方近くまで鉄棒をしていた。 大概の時間になるといつも仕事から帰ってきた父が、迎えに来てくれた。 掌にはいつもまめができ、できては破れ、赤チンを塗っては又鉄棒を・・・の繰り返しだった。
子供のころのことを思い出すときいつも幼稚園や小学校が浮かび上がる。 数え切れないほどたくさんのエピソードがある。 屈託のない毎日を送れたのはそこに学校があったからだと今更ながら思うことである。
今の子供達にそういう毎日を送らせてあげたいと切に思うこのごろだ。
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